2020年05月24日

「葛藤」(゚听)

ごきげんよう (ノω<).。oOO


「私」の中にはいろんな「私」が何人もいて、そのゴロゴロいる「私」同士が四六時中、争いあっています。
ひとりの「私」が何かしようとしたら、もうひとりの「私」が出て来て、やめろと言う。

「葛藤」(゚听)

が始まります。

とんでもなく美味しそうなケーキがある。食べたい「私」がいる。しかし、太りたくない「私」も現れて、食べるな我慢しろと言う。葛藤が始まりますね。
(´∀`)

何かをしたい「私」と、そんなことはやめろという「私」
何かをやらなければいけない「私」と、したくない「私」

そいつらがいつも「私」の中でケンカします。もう常時です。そして、そんな葛藤している「私」を、葛藤はよくない、葛藤はなくしたいという「私」がいて、「私」の中の事態は、ますます混乱していきます。モヤモヤのモヤモヤ。
(´・ω・`)

この「私」の中のもうひとりの「私」、いったいどっちが本当の「私」なのか?
どっちも「私」には変わりないならば、よりよい「私」の方でいたい。またはいろんな「私」があるのなら、新しい「私」に変えたい。そして葛藤のない人生を歩みたい。

それで人は自己啓発や心理学、性格を変えるノウハウを学んだりするわけですが、そんなものに時間とお金を投資しても、ほとんどの人はそれほど「私」を変えることはできません。実際は。ハイ。
(´・ω・`)
だって、どの「私」も、

「本当の自分」

ではないのですから。


「葛藤」しているとき、「本当の自分」はどっちの「私」なのだろう? と、思うことほど、馬鹿げたことはありません。
「葛藤」しているときの「本当の自分」は、

「葛藤」(゚听)

です。

「私は葛藤している」のではありません。「私が葛藤」なのです。「私はモヤモヤしている」じゃないんですよ。

「モヤモヤ」こそが自分

なのです。ハイ(´∀`)


すると、どうでしょう? 

「私はいま、モヤモヤだ!」

と、言ってみましょう。すると、あら不思議。

どこにも葛藤はありませんよね(´∀`)



人生は葛藤の連続です。モヤモヤ悩み続けます。だから人は生きにくいと常に感じています。

ちがいますよ。

葛藤を愛する術を知らない

から、生きにくさが生まれているだけですよ。

ごきげんよう。


やはりこの時期はバラを貼りましょう(´∀`)
IMG_9402.jpg

IMG_9394.jpg

IMG_9414.jpg

IMG_9393.jpg
posted by 笑うウリエル at 06:47| Comment(79) | このへんから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月19日

「道徳」(゚听)

ごきげんよう(ο´ω`ο)ゝ


今、私たちが生活しているこの社会には、道徳とか倫理、モラルというものがあります。
人を悲しませたり、傷つけたり、不愉快を感じさせることは、道徳に反します。また真っ当とされる道からはずれると、道徳に反します。
道徳と言うのは、

「正しく生きる」

ための規範です。

私たちは、この道徳を子供の頃から、たくさん教えられてきました。
人を殺してはいけないという大きなものから、みなで決めたルールは守りましょうという細かいものまで、たくさんたくさん教えられてきました。道徳に反する生き方は「邪悪」と見なされます。そして、道徳的でない人は憎悪され、「罰を受けるべき」だと見なされます。

世の中を見渡してみると、この道徳は「正義」です。私たちはこの道徳を意識することもありますが、ほとんどの道徳は、いちど教えられると、もう意識しないところに刷り込まれます。そして無意識に「正邪」・「善悪」をジャッジするようになります。

子供のとき早くアイスクリームが食べたくて、お店のレジに走って行った。すると、並んでいる順番は守らないといけないのと叱られたわけです。ここで「順番は守るべき。横入りはしてはいけない」という道徳観を教えられ、それ以降、私たちはいちいち考えなくても、もう無意識にちゃんとそれを実行できるようになってます。だから、たまに割り込んでくる人に出くわすと、「邪悪!」と無意識にジャッジします。いちいち考えなくても、瞬間的に腹が立つというのは、道徳というものが無意識の域に刷り込まれているからこそなのです。


人がこの社会の中で、穏やかに円滑に生きていく上で、道徳というのはとても大事です。いちばん大事なものと言ってよいかもしれません。けれど、この道徳は、

絶対的なものではありません

なぜなら、変わって行くからです。
(´・ω・`)

ひと昔前は同性愛は「邪悪」でした。道徳に反しました。が、今はそんなことありません。
学校の先生が子供をたたくのは、ひと昔前は当たり前でしたが、今は「邪悪」です。
平時では人を殺すなんて「邪悪」の極みです。でも、ひとたび戦争になると、そんなこと吹っ飛びます。
最近、新しい道徳が生まれました。自粛とソーシャルディスタンスです。

このように「正しく生きる」規範であるはずの道徳って、変わって行くわけです。「正邪」のジャッジが変化して行く。つまり道徳って、

絶体的な真理でもない

わけです。

みなさんは、もうおわかりだと思います(´∀`)
道徳と言うのは、分離した意識から生まれてきたものですので、絶対的でないわけです。『真実』ではないんですね。
「世の中が乱れること」
に対する恐怖。それによって、自分に危害が及ぶという恐怖。その恐怖が土台になっている、ただの

「分離意識」

なのです。


さて、「本当の自分」は、道徳などいっさいおかまいなしです。『ありのまま』を表現しますので、「正しく生きる」なんて、

これっぽっちも考えません(´∀`)

だから分離した「私」、この広い世界の中の一個人と思っている「私」は、とても「本当の自分」を恐れます。
道徳ガン無視ですので、この広い世界から「邪悪!」とジャッジされるのではないかと、常におびえています。
おびえているので「本当の自分」が顔を出さないように、何重にも柵を作って封じ込めています。「本当の自分」は何が正しい生き方で、何が邪悪かすら知りませんので、こんなヤツ、とても放ったらかしにできません。でも、それが、そもそも最大の

「不幸のモト」

なんですけどね。


「本当の自分」は

 『調和』

 『平和』

 『感謝』

そして、

 『愛』

これらをとても大事にしています。というか、これらしか知りません。

道徳なんて超越してます(´∀`)

だから、あなたも胸の内から湧きおこる衝動やヒラメキのままに行動して、なーんの問題もないのです。ときには、それがこの社会の道徳に合わなくで「邪悪!」とされるかもしれませんが、それすら「本当の自分」は、おかまいなし。それも体験したみたい『歓び』でしかないのです。

では、今日はこのへんで。

ごきげんよう。

どこにも行けないので、
お散歩中のお花シリーズ続くよん(´∀`)
IMG_9235.jpg

IMG_9259.jpg

IMG_9280.jpg

IMG_9272.jpg
ねぎぼうず(´∀`)
posted by 笑うウリエル at 06:33| Comment(57) | このへんから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月12日

続・「二極化」(゚Д゚)

ご━━━⊂(゚Д゚⊂⌒`つ≡≡━━━っきげんよう。


「二極化」の続きです。まあ、ウリエルが感じていることなので、あくまでも雑談、戯れ言ですよ。
ただ、これ、「直観」として感じてますので、あながち戯れ言でもないかもしんない。どっちやねん?
(´∀`)

えっと、『日月神示』というものがございます。国之常立神(くにのとこたちのかみ)という、ずいぶんエラソーな神様が、私たちが住むこの世界に下ろしてきたとされる文書です。

細かいことは置いときましょう。あまりにも長いので、ウリエルは所々かいつまんでしか読んでません。しかし、まあ、ウリエルからしたら「当たり前」のことが、つらつらと書き並べてあるわけです。真剣に研究している方もおられますが、今のところ、ウリエルと同じような解釈には、出会ったことがありません。
「まあ、おもしろいけど、そうじゃないわな」
というものが大半です。
(´・ω・`)
誰ワカさん視点で見たら、あまりにも当たり前のことが書いてあるのですが、「私」が思考をこねくりまして解釈すると、そんなオカルトになっちゃう? という感じ。
基本的にはウリエルがこのブログで言っているようなことを、「改心せよ」とか「身魂をみがけ」と、少々強い口調で、半ば脅すように表現されている文書と言っていいかなと。


で…… そんな日月神示の中に、ハッキリ時期を示している箇所がありまして。

磐戸の巻 第十六帖

「子(ネ)の歳真中にして前後十年が正念場」

お? と、なりますよね(・ω・)

その前に何回か、
「獣となりて、這ひ廻る人と、空飛ぶやうな人と、二つにハッキリ分かりて来るぞ」
というようなことが書いてあるのですが、エラソーな神様はそれが「子(ネ)の歳」を中心に起こると予言しておるわけです。そーか、そーか。
んでね、

富士の巻 第四帖

「一二三(ひふみ)の仕組が済みたら三四五(みよいづ)の仕組ぞと申してありたが、世の本の仕組は三四五の仕組から五六七(みろく)の仕組となるのぞ、五六七の仕組とは弥勒(みろく)の仕組のことぞ、獣と臣民とハッキリ判りたら、それぞれの本性出すのぞ……」

五六七はみろくの仕組だって。
あれ? 五六七? コロナ……?(・ω・)

それで、ピコ━(゚∀゚)━ン!ってなっちゃいまして。
いや、こんなええかげんなもんなんです。ウリエルの直観って。
(´∀`)
なるほど、「子(ネ)の歳」を中心に「獣となりて、這ひ廻る人と、空飛ぶやうな人と、二つにハッキリ分かりて来る」のね、って、なっちゃったわけです。ハイ。「二つにハッキリ分かりて来る」から「二極化」でしょ?

どう? 戯れ言だけど、おもしろいでしょ?(´∀`)

じゃあ、獣な人はどんな人? というと、

『いま』と対立する人

でしょうね。んで、空飛ぶやうな人はどんな人? というと、

『いま』と調和する人

に、ならざるを得んですねえ。誰ワカさんから見たら。ハイ。
(・∀・)ニヤニヤ


『いま』と対立する生き方って、基本的に今まで「ヨシ」とされてきたことなんですよ。現状に満足せずもっと上を、てな生き方です。

問題点を見つけ解決していく生き方。
少しでも優秀になるべきという競争の生き方。
危険を排除し、より安心・安全を目指す生き方。
より幸福を追求する生き方。

これ、ぜんぶ今までは「正しい」とされてきました。でも、ぜーんぶ『いま』を否定しないとできない生き方でもありますよね。

では、『いま』と調和する生き方って、どんなのでしょう?

ま、あとはコメント欄で。あくまでも雑談、戯れ言ですよん。
(´∀`)

ごきげんよう。


今の時期の花(´∀`)♪
IMG_9222.jpg

IMG_9306.jpg

IMG_9246.jpg

IMG_9203.jpg
posted by 笑うウリエル at 22:49| Comment(65) | 閑話休題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする