2020年09月09日

「新しい生活様式」1(´∀`)

ごきげんよう オッ↑↑c(゚∀゚∩)ツー↓↓

ここのところ、夏の疲れMAX(´・ω・`)
なので、おそろしく早寝です。そしたら、おそろしく早起きしてしまったので記事でも書こう。


人はなんで悟るんだろう?
ウリエルはときどき、そんなことを思います。なんでオレ、悟っちまったんだろう?
(゜∀。)ワヒャ

人生を豊かにするため? じゃあ、その「豊かさ」ってナニ?
そんなことを思うと、「わからない」が延々と続きます。まあ、ここで、そんな「わからない」を延々と書いても仕方ありませんので書きませんが、やはり無限にある「豊かさ」を違う言い方にしてみたら、

『真実』を体現すること

に、なると感じるのです。ハイ。
(´・ω・`)

んじゃあ、その「『真実』を体現すること」ってナニ?
これまた、無限に「わからない」が続きそうなのですが、それを書いても仕方ありませんので、ここではある側面をバサッと切り取って、それについて書いてみようかなと。

んで、そのバサッと切り取った「『真実』を体現すること」のひとつにあるのは、

「思考を道具に戻すこと」

かな(´∀`)

「思考」は自分ではありません。また、人生でもありません。ただの頭の中に浮かび上がる情報というか、なんかよくわからないモノです。ぶっちゃけて言うと、頭の中に思い浮かぶものは何もかも、自分とも人生とも関係がありません。まったく無関係。「思考」はこうすればいいのではとか、こうあるべきとか、いろいろ提案したりしますが、それが人生の大きな流れを根本から変えることはないんです。

だからと言って、捨てていいわけではありません。「思考」は人生が流れるのを助けて円滑にし、おもしろくするための重要な道具です。そんな道具に人生を背負わせては本末転倒。「思考」も困ってしまいます。
(´・ω・`)
道具はちゃんと道具として使って、その価値がある。

では、具体的にどういうことか、もう少し細かく見て行きますね。例えば

相反する二極は同じ

これは『真実』を探求していると気づくことです。正反対のものって、実は同じです。コインの表と裏。それだけを見ると違うものに見えますが、どちらもひとつのコインには変わりありません。そして片方だけでは存在できません。表があるから裏があります。表だけ、裏だけでは存在できない。
そういった「気づき」は「思考」の中に知識として放り込まれます。あらゆる二極は実はひとつで同じものなんだという知識として。

そういった、いったんは知識として放り込まれたものを、こんどは引っ張り出して使わないと意味がないわけです。そのための道具なんですからね。ただ知識として本棚に並べていては意味がない。では、使って見ましょう。
(・ω・)ノ

ここにストレスがある。なんかしらの不安があって、それをモヤモヤと考えると心に負荷がかかりしんどい。このストレスを取り除こうとするのですが、取り除こうとすればするほど余計にしんどくなる。いったいどうしたものかと、思い悩むばかりです。

そこで「思考」を使います(・ω・)ノ

相反する二極は同じ

ほほう、じゃあストレスのもう片方ってなんだろう? ストレスをコインの表側だとすると、その裏に相当するものってなんだろう?
さらにもう一段「思考」を使って、反対側はいったい何なのか探ってみたりします。ストレスの反対、真裏…… うーん……

頭の中にある知識だけではわかりませんね。文献やネットを調べてみてもよいです。もちろん、ただただ「ひらめき」が来るのを待つだけでもいい。すると、驚きの事実が判明します!!!

ストレスの反対側は、な、な、なんと!

「ワクワク」!

ストレスとワクワクがワンセット、表裏なんて驚きです。不安と期待がワンセットだったのです。これを発見するのも「思考」を使ったからこそです。なんてすごい道具なんでしょう。


んで、ここで終わってはいけません。まだ「思考」を使って、もう一歩踏み込めます。

ストレスとワクワクがワンセット。ということは、いま感じているストレスの見方を変えるとか、捉え方を変えるだけで、即、

ワクワクになっちゃうってことだ(゚∀゚)!

コインをくるっとひっくり返すだけ。そもそもストレスを取り除く必要もないし離れる必要もない。というか、そのストレスがワクワクと一体だったわけで、離れようにも離れられなかったんだ。

では、自分はいったい何にワクワクしてるんだろう?

それは、今ここにあるストレスが教えてくれる。

というわけで、またまた「思考」を使って、ストレスをよーく見てみましょう。今までただのストレスだったものが、裏返ってワクワクになっちゃうなんて、スゴくね?
人生っておもしれぇーなー…… と、なってしまいます。


こんな感じで、今までにない新たな視点を人生に取り入れて生きてみる。『真実』を体現する。これを

ウリエル流の「新しい生活様式」(´∀`)

として、しばらくいろいろ記事を書いて行こうと思います。

ごきげんよう。


ナゾすぎる
「高森ツリーハウス」
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なんか少年の夢や浪漫がそのまま形になってる。
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ステキなんだけど、現在は廃墟です。
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誰か新しい管理人が現れるといいなあ。
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@熊本県高森町
posted by 笑うウリエル at 02:30| Comment(57) | このへんから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年09月03日

そしてUSO800(゚∀゚)!

ごきげんよう (o´・ω・)_串


ちょっと体調を崩してしまい、いろいろご心配をおかけしました。
まあ、なんとかやってます。この異常な暑さも、だんだんマシになってくるでしょう。あともう少し、なっとかやってしのぎます。
(・∀・)

さて、暑さで頭も働かないのをいいことに、今日はちょっとよくわからないことを書いときましょう。

「気づき」とか「目覚め」とか、いわゆる「悟り」と呼ばれていることが起こっても、
「私はいない」ということに気づいても、
やっぱり、この身体も思考もあります。「私」という個人、そして、その個人が持つ人格とか個性もきっちりあります。消えてしまうことはありません。

そして、「私」という個人が存在する以上、いろんな考えや意見を持ちます。これも消えてしまうことはありません。んで、考えや意見がある以上、誰か他者とか、または自分自身と闘うこともあります。さらには、この世界と闘うこともあります。だけど、そういった「私」の考えや意見、これが最初から、

USO800(゚∀゚)!

なので、その考えや意見を信じる必要がないのです。ハイ。
というか、そもそも「私」がいないので、その「私」の考えや意見なんて、

『真実』のわけがないのです

ハイ。

どんな考えも意見も、

USO800(゚∀゚)!

になってしまうと、どんな闘いもまったく意味がありません。ボッシュートです。

私たちはありとあらゆることを思考で理解しますが、その思考が『真実』でないのです。いっさいがっさいです。『真実』の思考はありません。ということは、もう『真実』はないんです。

ありとあらゆる「私」の考えや意見が、

USO800(゚∀゚)!

まったく信じるに値しない。『真実』ではない。これほど、

自由で幸福なことってあるでしょうか?

(´∀`)ノ

「悟り」ってこういうもん、と、わかったところで、それも

USO800(゚∀゚)!

これが「自由」なんでっせ!

ごきげんよう。


ASO━(゚∀゚)━!
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UMA━(゚∀゚)━!
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USI━(゚∀゚)━!
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阿蘇山@熊本県阿蘇市
posted by 笑うウリエル at 22:32| Comment(27) | このへんから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年08月27日

「わからない」(´・ω・`)

ごきげんよう (ヾノ・ω・`)ムリムリ


あるとき、これが「私」だと、今まで信じて疑うこともなかったものが壊れる。この身体や、この思考が、自分ではなかったことに気づく。それをスピリチュアルでは「気づき」とか「目覚め」と言います。

『真実』

に、気づいたのです。

「わかったぞ!」( ゚∀゚)!

思わず、そう叫びたくなってしまいます。実際に叫んじゃうかもしれません。


だけどですね……

ここで終わりじゃないんですよ。ハイ。

ひとつの「わかったぞ!」が、また新しい「わからない」の扉を開けてしまいます。
(´・ω・`)

そもそも、どうしてこの幻想の世界を体験してるんだろう?
幻想だと見抜いたのに、どうしてまだこの幻想を見続けるのだろう?
というか、幻想を見る前は何をしていたんだろう?

山のように「わからない」が出るわ出るわ……(´-ω-`)

なんだか『真実』に気づけば、そこで終わりと思っていたのに、これではまるで新たなスタートです。いったいどうなってるの? 


どうなってるのって、まあ、そういうことです。

ようやくスタート地点に立てた

ってことです。ハイ。
(´・ω・`)


あのですね、私たちは思考でしか理解することができません。その次元での「わかったぞ」なんて、ぜんぜんわかってないんですよ。所詮は思考ですから。『真実』はもっと深くて、思考が「わかったぞ」なんて結論を出せるものではないんです。
つまりは、思考が困惑して「わからない」ほうが、より『真実』に近づいているということです。「わかったぞ」で、ハイ終了とは絶対になりません。

だから探究に終わりはありません。「わかったぞ」と「わからない」の繰り返しです。ひとつの「わかったぞ」が、いくつもの新しい「わからない」を生み出します。そんなもんです。
「わかったぞ」で終わっておくとラクチンなんですよね。スッキリもする。でも、『真実』はそこで終わりではないんです。
実際にいくら「わかったぞ」があっても、分離したひとりの人間としての人生は終わらない。それはつまり、まだまだ、もーっと深い『真実』があるんだよ、ということなのです。

確かにこの世界は幻想で「私」なんていない。でも、それは『真実』の一面を切り取っただけのもの。幻想で「私」もいないんだけど、いくらいないと言っても、やはり「私」はいるし、この幻想も「現実」としてあるんです。それもまた『真実』なんです。

この相反する、ふたつの『真実』を、

「体現する」

って、どういうことなんだろう? パラドックス。

「わからない」

です。


どんどん「わからない」を見つけて、そこに入って行ってください。そうやってどんどん深く入っていくと、いつのまにか、いろんな次元で『真実』を「体現」しているようになるんですよ。

不思議なことです。ありがたいことです。

ごきげんよう。

フルーツバス停( ゚∀゚)
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@長崎県諫早市 国道207号線
posted by 笑うウリエル at 22:53| Comment(43) | このへんから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする