2019年09月02日

おもしろい(´∀`)

ごきげんようヽ(゚∀゚)ノアッヒャッヒャ!


『誰だかわからない』さんは、この肉体や思考、そして湧き出る感情を通して、この世界を体験しています。それが、とても

おもしろい(´∀`)

のです。

人生には「浮き沈み」があって、浮いているときや、浮きあがる途上は楽しいのですが、反対に沈んで沈んでどん底まで到達してしまうような体験は、ちっとも楽しくありません。そんな個人としての「私」が、ちっともおもしろくないと思うのも、『誰だかわからない』さんは、

おもしろい(´∀`)

のです。どんな体験も、どう転んでも、おもしろいのです。
どう転んでもおもしろいので、今生の人生という物語がどういう結末になっても、

おもしろい(´∀`)

わけです。


さて、そのことに気づいてしまった、この物語の主人公。よーするに個人としての「私」
ここで、この「私」はひとつの疑問を持ちます。

どう転んでも、おもしろいなら、

「もう見なくていいんじゃねーか?」

どんな結末になろうと、同じなんでしょ? 見なくていいじゃんと。


はい。まったく、その通りですね。もう物語を見るのをやめてしまってもかまいません。だって、どうせ、おもしろいんですから。結末がわかっては、物語を最後まで見る意味がありません。テレビの電源を切るように、プチっと、この世界を消してしまってもいいわけです。今夜がこの世界の最後の夜でも、どうせ、おもしろいんですから。いますぐにでも、終わらせてもいい。
なのに、

この世界があるんです(´∀`)

これがもう、最大級の最大級に

おもしろい(´∀`)

んですよ。

なんつーかなぁ……

なくてもいいのに、あるんですよ。

それも完璧なかたちで。

ちょwww こんなに

おもしろい(´∀`)

ことって、もうねーや。アホらしすぎて、とんでもなくて、ステキさが×10の10乗



うーむ、すんません。これ以上、言葉にできない(´∀`)

ごきげんよう。


「終着点」 なんか郷愁と浪漫があります。
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ちなみに、ここは札沼線・新十津川駅
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なんと、一日一本しか列車が発着しません。
「始発が終電」
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来年の春に廃線になります。寂しいですね。
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@北海道新十津川町
posted by 笑うウリエル at 22:03| Comment(94) | 『ありのまま』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月28日

「無知」 (´・ω・`)

(( ̄( ̄( ̄( ̄ー ̄) ̄) ̄) ̄)))フッごきげんよう


私たちが、あまりにも無意識に、しかも、あまりにも当たり前に行っている「無知」

「無知」というのは、前回お話した『知性』を忘れてしまっている状態、『真実』から引き離されてしまっている状態のことです。

んで、その当たり前になってしまっている「無知」とはズバリ、

「よくなろう」

です。(´・ω・`)


私たちは子どものときから、昨日より今日、今日より明日と、徹底的に教えられてきましたので、あまりにもそれが当たり前と思い込んでいますよね。それが「進歩」だと。人は「進歩」しないといけないと。

でも、「よくなろう」は、このかけがえのない『いま』の否定に他なりません。乱暴な言い方をすると、「よくなろう」は、暴力や狂気の世界と、なんら変わりがないのです。同じなのです。
そもそも、スピリチュアルですら、「よくなろう」と思ってしていたるするわけで、それでは気づきや目覚めも、「気づきや目覚めという夢」を見ているにすぎないのです。


この『いま』は、ダイナミックに変化して行きます。何も「よくなろう」としなくてもいいのです。あなたはその変化を招き入れるだけでよいのです。

「ああ、また、よくなろうとしているわ」

と、気づいたとき、その「よくなろう」をちょっと横に置いて、ただ、この『いま』を見てください。
『いま』顕われているものを肉体の眼を通して見て、『いま』ある様々な音を静寂の中に聞いてください。そして、内側に湧く感情のエネルギーを感じてください。その『いま』から動こうとしないで。それだけで、あなたは恩寵に帰って行くのですよ。
(´∀`)


「よくなろう」と、いちいち思わなくても、この世界はどんどんよくなるんです。

それをご自身で体現してください。世界を救ってください。

ごきげんよう。


「白い貝殻の道」
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海の向こうに見えるのは利尻富士です(´∀`)ノ

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@北海道稚内市


posted by 笑うウリエル at 05:00| Comment(86) | 『ありのまま』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月21日

「既知のもの」との決別(・ω・)

ごきげんようヽ(* `O´ *)ノファーーァ!


夏のピークは過ぎたようですね。あっというまに今年の夏も過ぎ去って行きます。
屋外で火を使って商売している者としては助かるのですが、あらゆる生命力がみなぎる夏が去って行くというのは、どこか寂しさがあります。
(・ω・)

さて……

私たちには、生まれ持った『知性』というものが備わっています。『智慧』と言ってもよいです。『叡智』と表現されたりもします。当笑ウリ部では、もっぱら『智慧』という表現を使っております。

この『知性』、『智慧』、『叡智』は人間だけにあるものではありません。あらゆる生き物に備わっています。例えばクマやキツネは、その日どこに行けば食べ物にありつけるか、理屈抜きで知っています。サル、シカ、イノシシは、毒キノコや毒のある実を、理屈抜きで知っているので食べません。ツバメは、どちらの方向にいつ飛べばいいか理屈抜きで知っているので、同じ場所に毎年戻ってきます。
人間はこれは「本能」という言葉で片づけてしまっています。思考にはこの「リクツヌキ」が理解できないので、しかたなく「本能」という言葉でお茶を濁していますが、真実、「本能」なんてありません。

『知性』( ・∀・)ノ

です。人間は脳が発達しすぎたがゆえに、この『知性』がわからなくなってしまった、あわれな存在です。サルだったら絶対に食べない毒キノコを、わからずに食べてしまうのですから。「万物の霊長」なんて聞いてあきれます(笑)


スピリチュアルの真の目指すところ、つまり「悟り」とは、このあるにもかかわらず見失ってしまった、

『知性』( ・∀・)ノ

を、再びこの世界に表現することです。『知性』を表現して、人生のあらゆるのものに『歓び』を見つけることです。『知性』を表現すればするほど、この世界はどんどん変わって行くのです。それに終わりはありません。驚きと感動、想像をはるかに超えた体験が、永久に続いていくことを知るのです。可能性が思考の範囲をはるかに超えていることを知るのです。


しかし、その、

『知性』( ・∀・)ノ

を表現するには、少々、困難がともないます。私たちはあまりにも知識や経験にたよりすぎて、『知性』がなんなのか忘れてしまって久しいからです。忘れているので、知識や経験、つまり「既知のもの」しかたよりにできないと思い込んでいるです。

「既知のもの」、「過去のこと」、そして、

そこから発生した「こだわり」や「決めつけ」

これらだけを人生の道しるべにしているので、グルグルと同じところをまわり、ちっとも新鮮な驚き、神聖な世界に気づけませんし、世界も変化していきません。


『知性』( ・∀・)ノ

を表現するためには、「既知のもの」、「過去のこと」、そして「こだわり」や「決めつけ」に背を向けて、未知の領域に踏み込んでいかなくてはなりません。思考、それによって作られている「私」からはなれて、偏りのない世界に、ひとり立って進んでいくのです。
思考はいろんなものを幸不幸、優劣、善悪、高低の、どちらかに偏らせて世界を見てしまっています。何かを正常とし、それ以外は異常と決めつけて、世界を見ています。そんな「こだわり」すべてに、当たり前、常識、すべてに、

背を向けてください

無防備になって、なにもかも受け入れて行くのです。なにもかも肯定し、許していくのです。すべて、

「これでいいのだ」

と、受容するだけのことなのです。
あおり運転して人を殴った男だって、「何かに恐れおののいて、あんなことしてしまったんだろうな。本当はいいヤツなんだろうな」と、思って許すだけでいいのです。


私たちの可能性は無限です。思考なんていう、ちっぽけなものでは推し量れません。ほんの一瞬先に何が起こるかすら思考にはわからないのですから。
この無限の可能性に人生を開花させるのです。『知性』がそれを受け持ってくれるのです。


あなたが今まで生きてきて得た知識、経験、それらをすべて失っても、あなたはなんの不自由もなく豊かに人生を歩めるのですよ。だって、

『知性』( ・∀・)ノ

が、備わっていますから。

ごきげんよう。


なつーーー! 夏がおわるぞーーー!
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十和田湖@秋田県小坂町

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@福島県喜多方市

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@北海道石狩市
posted by 笑うウリエル at 08:51| Comment(34) | 『ありのまま』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする