2016年03月10日

いちばん関心を持っていること

配下にするなら三成〜♪ …ごきげんよう(´・ω・`)

ゆるすぎる滋賀県のせいで、記事を書く気力がへし折られました(笑)
それでも、まあ、折れ曲がったまま記事を書きます。


では…… うん、いきなりですが、

あなたは何に、いちばん関心がありますか?

あなたが『いま』、いちばん関心を持っていることです。
『いま』といっても、「まさに今、この瞬間!」みたいな刹那的な『いま』ではなく、
「ここのところ」とか「ずっと前から」とか、あるいは「幼いころから今日まで」とかの『いま』です。

あなたが「最も価値がある」としているものです。


これは、「『真実』とは何か?」を、探究していく中で、とても大事なことです。
おそらくは、みなさん、この「最も価値がある」としているもののために、探究をしているのではないでしょうか?
「いや、その『真実』こそ、最も価値がある」って方もいないことはないでしょうが、そういう方はズバリ! 何かおかしいです(笑)
まずは、ご自身の内側をよーくよーく観察して、この、あなたが「最も価値がある」としているものを明確にしてみてください。
それが『ハート』からもたらされているものか、「自我」が作り出しているものか、どっちかわからなくてもかまいません。とりあえず『いま』わかる段階で明らかにしてみましょう。

これはもう人によって様々でしょうね。自分以外の誰にもわかりません。他人に定義してもらうことなんて、ありえません(笑)
だから自分自身をよーく観察し、よーく掘り下げて、いちばん奥と思えるところまで洞察してください。

そして、さらに、

なんで、それに「価値」を置いているのかも調べてください。

あなたが、いちばん「価値がある」と思っているから、いちばん関心を持っているのです。その「なんで?」を調べてみてください。
たぶん、すぐにはわかりません(笑)
「いや、わかった」という方は、まだそれがいちばん奥ではありません。あなたがただ当たり前と思っているだけで、実際はまったく当たり前でもないんです。
だから、『黙考』してください。『ハート』に尋ねてください。

「なんで?」を『黙考』してください。


この世界は、あなたが「最も価値がある」としているものに沿って動いていきます。だって、

あなたが世界を作り出しているのですから。

ですので、明らかにしておくに越したことはありません。いや、しておかなといけません。
いろいろ洞察するにしたがって、「最も価値がある」としていたものが、実は「自我」の作り出したウソ、マヤカシだったとわかることもあれば、本当の「わたし」の持つ揺るぎないものだったとわかることもあります。探究が進み成熟して行くうちに「最も価値がある」としていたものが、変わることだってあります。
とにかく、『いま』わかるレベルで、「最も価値がある」としていたものを明らかにしてください。

なんでこんなことを言うのかといえば、これが『真実』へのいちばんの近道だと思うからです。
というか、これから逸脱してしまっては、スピリチュアルの道は必ずと言っていいほど、「脱線」しちゃうんです。「最も価値がある」としているものが、「スピリチュアル」では迷走してしまいますよ(笑)
スピリチュアルは、あくまでも、

あなたの人生を「成就」させる道具です。

自分が『いま』向き合うべき課題に集中するためのものです。



あなたが、いちばん関心を持っていることに集中しないで、なんのための人生でしょう?
『真実』を理解したら、「もう思い残すことはない」と、死んでもいいですか?(笑)

あなたがいちばん関心を持っていること、すなわち最も「価値」を置いているもの、これって、

あなたがスピリチュアルをしている理由でもあるんですから。

時間をかけて、じっくり自分と向き合ってみてください。
ごきげんよう。

yama.jpg
どこの山かわかんない(笑)
たぶん秋田か山形。





posted by 笑うウリエル at 23:44| Comment(27) | 旅のはじめのころ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月06日

かけがえのないもの

ゴキゲンヨォ*・゜・*:.。..。.:*・゜(n‘∀‘)η゚・*:.。. .。.:*・゜・*

今宵は「閑話休題」のカテゴリですが、ちぃーーーと、大事なことを書きますね。


この現実世界のあなたの人生は、

かけがえのないもの

です。

神様があなたのために、特別にあつらえて与えてくださった唯一無二のものです。
それが、どんなに今はつまらなく、苦しく、気に入らないものであっても、そのことは決して忘れないでくださいね。何度も頭をこすりつけてでも、お願いします。

なぜ、こんなことを言うのかというと、
あなたに与えられた現実の物語から、目を遠ざけてしまっては、「スピリチュアル」は、時として危険なものになってしまうのです。
「スピリチュアルの師」とか、または「グル」という人たちは、あくまでも『真実』を差す「ゆび」みたいなもんです。その「ゆび」を尊敬しようが、敬愛しようが、それは個々の自由ですが、ただの「ゆび」に、

あなたの人生を明け渡してはいけませんよ。

「ゆび」は『真実』ではありません。明け渡すべき存在は、あなたの外側には決して存在していないのです。

同様に「スピリチュアルの教え」も、また「ゆび」です。それが『真実』ではないのです。
様々な場所、様々な方向から『真実』を指さしている「ゆび」というだけで、絶対のモノはありません。どの教えも間違ってはいないけれど、どの教えも絶対に正しくもないんです。それを単に信じ込んでしまうのは、いわゆる「原理主義」ってヤツです。
「スピリチュアルの教え」もまた外側の「ゆび」です。、あなたの人生を明け渡す対象では、決してありません。

うん、そして、ここからがいちばん大事なこと。

あなたの人生の『いま』という瞬間は、もう本当に、かけがえのないものなんです。
そして、『いま』というのは、

『ありのまま』の「現実」です。

さらに言うなら、

一切のウソ偽りのない、目の前の「チョー現実」です


これを放棄したり、これから逃避してしまっては、本末転倒なのです。
この「チョー現実」を、「イヤ」とか「間違っている」とか「許せない」とか「つまらない」とか、言っている自分がいるだけなんです。その文句を言ったり、目を逸らしている自分に気付くのが「スピリチュアル」です。
「スピリチュアル」というのは、かけがえのない『いま』、神様から与えられた『いま』、貴重な貴重な『いま』、その『いま』を台無しにしていた自分に気付くだけなんです。

残念ながら、目の前の『いま』が面白くないから「スピリチュアル」を学んでいる人の、なんと多いことか……
その人たちは、かけがえのない『いま』を放棄して、「スピリチュアルっぽく味付けされた別の人生」を求めているにすぎません。
『いま』を放棄して、彼らはいったいどこに行ってしまうのでしょう?
結果として、『いま』ではない、「それっぽい『いま』らしきもの」を作るしかありません。そんなものを作れるのは無意識の「自我」、「ego」しかなく、そういうことをしてしまっては、歪んだ人生になってしまうのは、火を見るより明らかです。


『いま』は、言いようもなく素晴らしく、もう奇跡としかいいようがない。まさに、

かけがえのないもの

です。
そのことに気づいたとき、あなたの人生は美しく輝きます。

どこに行けばあるというものでもなく、探して見つかるというものでもありません。
だって、あなたの目の前に広がっている、

『いま』

が、そうなんですから(´∀`)

ごきげんよう。

瀬戸内の風景・児島ジーンズストリート
kojima.jpg
児島は国産デニムの聖地でござる@倉敷市児島地区

posted by 笑うウリエル at 22:44| Comment(32) | 旅のはじめのころ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月02日

「黙考」

ごきげんよーーー(゚∀゚ノノ゙パチパチパチパチ

このウリエルという、おっさんがいつも言っていることに、

「わからなければ『ハート』にしまっておいてください」

って、ヤツがありますよね。
そうです。わからないことは、「わからない」でいいんです。

私たちが受けた学校教育の中では、「わからない」は「悪」でした。先生の言うことや、教科書の内容が「わかる」ことが、もう学校生活のすべてと言っていいくらい。
みんな「わかる」のに、自分だけ「わからない」のは、とても恥ずかしいことでした。自分だけ「わからない」からこそ褒められた、なーんてこと、ゼッタイと言っていいくらいありません(笑)

その習慣が、もう骨の髄まで染み込んでしまっているのか、「わからない」ことがあると、いまだについつい不安になってしまいます。「これではイカン」と、条件反射的に思ってしまうのです。
おまけに、その「わからない」に対する「正解らしきもの」は、出版界やインターネットの発達もありまして、すぐに手に入るようになりました。
「わからない」は、なるべく早く消してしまわないといけない。だから、私たちは正解を求めて、膨大な情報の海の中に、大急ぎで飛び込んでいくようになっています。
でも、その結果、現代人は昔から大事にされている、『知性』または『智慧』を直観的に受け取る術を、すっかり忘れてしまっているのです。

歴史のドラマや映画を見ていると、戦国武将たちは、難しい局面に遭遇したとき、どうすればこの状況を打開できるかの答えを書物の中に探したりはません。ましてやスマホで検索しない。せいぜい家臣や信頼できる人に意見を聞くくらいで、たいていはひとりで、じっと黙って物思いにふけっています。
戦国武将だけでなく、偉大な経営者や学者、政治家なんかも、しばしば沈思黙考している姿が思い出せますよね。
マイケル・ゲルブという能力開発の権威といわれるオッサンも、
「注意深く見つめることは個人的な悩み仕事上の問題を解決するには有効な方法だ」
と、言っております。
そうです。彼らは知っているんです。

『英知』は外側にない。自分の内側にある。

と、いうことを。
『英知』、すなわち『知性』・『智慧』です。
彼らは、「ひらめき」というかたちで『知性』・『智慧』がもたらされるのを、じっと沈黙して待っているのです。

このとき、私たち凡人が、よくカンチガイしていることがあります。
それは、そういう人たちは、さぞかし頭が良いので、じっと黙ってはいるけど、実は頭の中でコンピューターがモーレツな速さで情報処理や計算をしているんだろうな、とか思ってしまっていることです。

そんなこたぁ、ねーよ!(゚∀゚)

織田信長も武田信玄も松下幸之助もエジソンも、たぶん、いや、ゼッタイ、そう言うと思いますよ。
彼らはただ「見つめている」だけです。『いま』を何の分析もせず、感情も持たず、ましてや思索にふけったり、あれこれ想像したりせず、

ただ、『いま』を抱いているだけなんです。

そうすることによって、「ひらめき」が彼方から与えられるのを知っているのです。
かの哲人、ピタゴラスもその昔、こう言いました。

「沈黙することを学びなさい。
静まった心に耳をすませ、
吸収させなさい」



スピリチュアルのことだけでなく、日常の中の問題や悩みについても、私たちは外側に「正解」を探し求めすぎていませんか?
あれこれ考えて考えて、考え抜くことが、最善の方法だと思っていませんか?
「沈黙」というのは、ただ口を閉じることではありません。頭の中でゴチャゴチャとし続けるおしゃべりもも、止めてしまわないと本当の「沈黙」ではありません。
「わからない」を『ハート』にしまうというのは、ただそれを抱いて静止するだけです。何の分析もしません。想像も思索もしません。ただ忍耐強く「わからない」から、何かが芽生えてくるのを待つだけです。それだけでいいんです。
「待つ」と決めたら、もう手放してもかまいません。そして、再び抱いてもかまいません。とにかく「ひらめき」を待ってみてください。必ず『ハート』の向こうから、木漏れ日が差すように、光が届きます。

そうなんですよ。スピリチュアルにしろ、日常の中でのいろんな解決すべき問題にしろ、「わからない」が見つかったということは、それは、

待てば必ず「わかる」になるということです。

ホントです。
ごきげんよう。

sakura.jpg
春よ来い@京都府亀岡市
posted by 笑うウリエル at 22:37| Comment(28) | 旅のはじめのころ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする