2016年03月19日

「思考」は下に

ごきげんよー。゚・(ノД`)人(´Д`)人(Д` )・゚。


いきなりですが、「直感」、「ひらめき」って、大事です。
私は「直感」、「ひらめき」は神から授けられた『智慧』、『英知』であり、『恩寵』だと確信しております。

100パーセント、間違えません。

ハイ。自信を持って、そう言っちゃいます。

では、その「直感」、「ひらめき」を得るためにはどうしたらよいのか?
これが残念なことに、その方法ってもんがありません(笑) 彼方から、まさに気まぐれのようにやって来ます。こちらからはアクセスできません。ガッカリしてください。


しかーーーし!!!(゚∀゚) 

その「直感」、「ひらめき」がやって来るためには、ある「条件」があることに、気づいていますか?
その「条件下」でないと、「直感」、「ひらめき」はやって来ないのです。だから、その「条件」を整えておくことは大切です。
で、その条件とは、

頭の中がカラッポ!!!(゚∀゚)

ということです。
いろんなものが頭の中に、ギュウギュウに詰まっていては、「直感」、「ひらめき」が出現するスペースがありません。だから、いらないものは頭から出しておく必要があります。スピリチュアル用語で言うところの「ノーマインド」ですね。
これは本当に大切です。いったい私たちは、生きるエネルギーを、どのくらい頭に注入してしまっているでしょう?
どのくらい「思考」にエネルギーを使ってしまっているでしょう? 考えたことあります?
え? 考えたことない? では、今、どのくらい「思考」以外のことを意識しています?
手、足、内臓、肌、みんなあなたの身体です。身体のどこが何に触れて、どんな感触を感じているかとか、身体のどこが緊張しているとか、意識していますか?
あはは、身体のことは完全と言っていいほど、放ったらかしではないですか?(´∀`)
それは「思考」にエネルギーを注いでいる証拠ですよ。


それはさておき、スピリチュアルの教えでは、「思考を止める」とか「ノーマインド」とか、あるいは「首から上がない状態になる」とか、いろいろ言い方がありますが、これらは早い話が、

「頭の中をカラッポにしろ」

と、言っているわけです。あまり難しく受け止めないでくださいね。ただそれだけのことなんです。
けれど、いざ頭の中をカラッポにしようとすると、存外、これが難しい。なかなかカラッポにはなりませんよね。
ここに、最初のつまずき、脱線があります。
カラッポにする方法を探してしまうんですよね。多くの人は瞑想に、それを求めます。
「思考」や「マインド」というのは、そう簡単に頭の中から消えてしまうほど、単純ではありません。瞑想でもそれなりの修練がいると、私は思います。
ハッキリ言いまして、いきなり、

そんなハイレベルのことなんか、できません!

そこで、この瞑想法はダメだとか、あの瞑想がいいんじゃないかとか、瞑想ならぬ「迷走」が始まるわけです。あっちの講演会、こっちのリトリート、この呼吸法、だんだんわけがわかんなくなってくる(笑)

頭の中をカラッポにするにはコツがいります。
でも、ある要点を押さえておけば、コツは比較的容易につかめると思います。
で、その要点とは、

頭に上っているエネルギーを下におろす

です。
あなたが今、いろいろ考えていることを身体のほうにおろしてください。
イメージでけっこうです。「思考」を下におろすんです。下に下に…… お腹でもいいし、『ハート』がわかる人なら『ハート』でもいい。
何か作業をしているなら手でもいい。というか、作業をしているなら手以外に持って行きようがないと思います。


エネルギーを下におろすのは、とても大事です。
『気づき』、『目覚め』の体験がある人でも、フワフワの地に足のつかない状態の人、よく見かけます。私も当初はそうでした。これはエネルギーが頭から上に抜けちゃってるんです。いわゆる「スペース・アウト」
この状態では現実世界を生きていくのに、おかしなことになってしまうんですよね。やたら「宇宙がー」とか「UFOがー」とか言ってしまうのは、エネルギーが上に抜けているからです(笑)
「思考を超越する」とかの言い回しが使われるので、なんとなく上へのイメージを持つ方がおられると思いますが、上はダメです。首から下の身体へおろしてみてください。

すると、今まであまり意識していなかった身体のこと、いろいろ感じることができると思います。
手ざわり、肌の感覚、心臓の鼓動、呼吸、痛いところ、緊張しているところ……
みんな神様から与えられた、大切なあなたの身体。今まで無視しすぎてませんでしたか?
じっくり、あなたの身体を感じてみてください。
あなたの大事な乗り物です。愛車を眺めるように、じっくり意識してみてください。

ほら、頭カラッポになったでしょ?

いきなり頭の中を何とかしようとすると、必ずおかしな方向に脱線しますよ。
まずは身体を意識することから。エネルギーを下に。
何か作業をするのもいいですね。掃除とか料理とか日曜大工とか、手を動かすのがいいです。
作業をしながら手に意識を持って行ってください。手を動かして。

今日は疲れたのでこのへんで。
ごきげんよう。

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あ、マツダのキャロルだ! @木曽福島駅前
 
posted by 笑うウリエル at 23:17| Comment(47) | 旅のはじめのころ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月17日

お目々をつむりなさい

ごきげん…(*´д`)アハァ…?

当たり前ですが、『目覚め』の体験をしても未来はわかりません。
私たちは一秒後、一寸先のことも、事前に知ることはできません。
未来は真っ白です。何も見えません。もし、見えて知ってしまったら、それは未来ではありません。過去です。

当たり前ですが、『目覚め』の体験をしても過去は変えることはできません。
過去をもし、変えることができるのなら、それは過去ではありません。未来です。

あはは、言葉のお遊びになってしまいました(笑)
でも、よくよく考えてみると、そうでしょ?(´∀`)

思考というのは未来のことを知りたがります。だから占いとか予言とか、廃れることがありません。
でも、知ってしまうと、それはもう過去です。変えることができません。
変えることのできないことを知ってしまうなんて、なんて恐ろしいんでしょう。そう思いません? 私はそう思います。

「わからない」でよかった。

私はいつもそう思います。


『戒壇めぐり』とか『胎内めぐり』とか、全国のお寺にありますよね。
真っ暗闇の中をただ歩くだけなんですが、あれ、一体、何を私たちに伝えようとしているんでしょう?
ただのキモだめし? いやいや、違いますよ。
まあ、受け止め方は人それぞれでしょうが、私、ウリエルは、

「見えないなら、目を閉じろ」


だと、受け止めました。
何せ真っ暗闇です。いくら目を広げて何か見ようとしても、本当に何も見えません。
見ようとして何も見えないとき、人は恐怖を感じます。すると、つまずいたり、前の人にぶつかってしまったりするんですよね。
「見えないんなら、目を閉じて歩いているのと同じだ。目を閉じてみよう」
それに気づいた人は目を閉じて、視覚以外の感覚に注意を向けます。足の裏の感触や手の感触、肌に触れる空気の感触を頼りに歩きます。すると安心感があってスムーズに歩けます。ホントですよ。

見えないものを見ようとすると、恐怖や不安が湧いてきて、つまずいちゃうんです。

未来は、その、まさに「見えないもの」です。

私たちが一日のうちで、どれだけ「思考」を使って、見えない未来を見ようとしているか、一度、観察してみてください。その多さに、けっこうビックリしますよー(笑)
「どんだけ『いま』におらんねん……!」
と、自分の「思考」に失笑してしまいます。
恐怖や不安に「襲われる」とかいう言い回しをしますが、あれはウソですね。

自分で恐怖や不安を引っ張り出しているんですね
(´∀`)



今宵は、まあこのへんで。なんとなく言いたいこと、わかってもらえでしょうか?
最後にリジューのテレーズの言葉で締めくくっておきます。

「お目々をつむりなさい。夜の妄想と戦ってはいけません」

だよね。子供のころ、目をつむっているうちに寝てしまってたよね(笑)
ごきげんよう♪

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氷と桜@新潟県魚沼市・鏡ヶ池
posted by 笑うウリエル at 23:34| Comment(29) | 旅のはじめのころ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月14日

楽しんでますか?

ゴキゲンヨヨヨ(((゚゚дд゚゚ )))ヨヨヨ!!

とある歌の一節が、とても心に響きました。
なんの歌かはわかりません(笑) たぶん、インドあたりで歌われている歌でしょう。でも、探究をする私たちが、すっかり忘れてしまっていること、常に見落としがちなことを、鋭く突いています。こんな詞です。

『神よ、私たちは救いを求めません。
 モークシャ(ジャイナ教の最高の到達点)、ニルヴァーナ(涅槃)を求めません。
 この世界は美しい、あなたのゲームは素晴らしい、ゲームをさせてください!
 その旅は途方もなく美しい。目的地など関係ありません。旅が目的です』

あはは(´∀`)
何が言いたいか、わかりますか?

「探究」を楽しんでいるか? ということです。

「探究」というのは、目的地があるかというと、あるようでないんです。到達点があるかというと、あるようでないんです(笑)
ただ、気づいていなかった、忘れていた、見落としていた『真実』を発見していく旅です。
でも、気が付くと目的地や到達点を目指して「探究」しちゃってますよね。そうじゃないんです。それは「救われたい」、「特別な人になりたい」というような「自我」、コイツがシャシャリ出ているように思えます。


みなさん、それぞれに旅行の思い出って、ありますよね?
家族旅行や修学旅行や一人旅、いろんな旅行を今までされてきたことと思います。
んで、お伺いしますが、それぞれの旅行の印象に強く残っている思い出って、「目的地」ですか?
意外といちばん強く印象に残っているものって、目的地またはメインといえる名所や名物じゃないと思うんですけど……(笑)
例えばー、道中で何気なく食べたアイスとかプリンとか、途中で出会ったおもろいオッサンとか、ものすごい美人とか、なんのヘンテツもないのに妙に記憶に残る風景とか、思わず笑ってしまった看板とか……
ハテマタ、迷子になって困り果てたこととか、雨でズブ濡れになったこととか、友達とケンカしたこととか……

そんなもんじゃないですか?(´∀`)

そう、そういうものに出会うために旅行ってするんですよね。そういうことをいっぱい体験するために旅行したんですよね。目的地なんて、言ってみりゃどこでもよかったんです。日常では体験できないこと体験して、見ることのできない風景を見て、出会うことのない人に出会うために旅行したんですよね。それが旅行の醍醐味でだと思うんです。「目的地に到着することこそが旅行の楽しさだ」なんていう人、たぶんいないと思うんですが。

「旅行」そのものが楽しいんですよね。


「探究」の旅も同じです。

「探究」そのものが楽しいんです。

目的地に到達することが楽しいのではありません。


「探究」が楽しければ、それだけでじゅうぶん『いま』にあります。目的地もいりません。
「探究」そのものを愛してください。そのとき勝手に『ハート』なんて開いてますから。



そして、「人生」の旅も同じです。

ごきげんよ♪
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東のはしっこ@根室市
posted by 笑うウリエル at 23:18| Comment(27) | 旅のはじめのころ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする