2020年03月06日

「縁起」(゚听)

ごきげんよう(((;゚ρ゚)))アワワワワ


『調和』とは『孤立』

前の記事の続きです。

『孤立』とは「ひとりあること」です。誰の賛同も得ず、だれとも協調しない。これをもう少し詳しく説明していきますね。
(´・ω・`)
『孤立』は孤独でいることではありません。この広い世界のたくさんの人々の中で、ポツンとひとりいることではありません。うーん、どう言いましょう?

すべての責任が自分にある

と、知ることです (`・ω・´)キリッ
かな。なんだか重々しいですね。いや、実はそうでもないんですよ。では、どういうことでしょう?

とても簡単なことです。例えば「ストレス」で見てみましょうか。
(´∀`)ノ
そもそも、ストレスとは?

「外部から刺激を受けたときに生じる緊張状態」

だそうです。まあ、一般的にはそうですね。私たちはストレスの原因を探す時、外側にそれを探します。

でも、外側にあるものはコントロールできません。対人関係にストレスを感じていても、その人を強制的に見えないところに遠ざけるなんてできないです。その人にだって自由があるのですから。あなたがその人から逃げるという方法もありますが、その人が追いかけてくるかもしれないし、逃げたその場所で同じような人に、また出会うかもしれません。根本的な解決にはなりませんね。
原因を、責任を、外側に見つけるということは、

すべての責任が自分にある

ということを回避するための、ただの口実にすぎないんですよ。

もう、みなさんならおわかりですね。
(´∀`)
それをストレスにしてしまう、自らの内にある「こだわり」こそが原因であることに気づかないと、ストレスはいつまでもストレスとしてあり続けます。ストレスの原因は自身に見つけないといけませんね。

自らの「こだわり」に気づき、それを落とすこと、それを許すこと。これはあなた以外の誰もコントロールできません。全権をあなたが握っています。あなたが全ての責任者、王です。「こだわり」をどうしようが、あなたの自由。完全に自由。他の誰もタッチできません。アンタッチャブルです。これが

『孤立』

です。

すべての責任が自分にある

です。

すると、どうでしょう? 
内にある「こだわり」に気づくために、ストレスを感じさせる人が顕われた。「すべての責任が自分にある」と気づくためにその人が顕われた。そんなふうにも思えませんか?
ストレスだけではありません。あらゆる人、あらゆる起こっていることが、まるで自らの内側を解放するためにあるように見えてきませんか? 
あなたを褒める人も非難する人も、あなたを愛する人も忌み嫌う人も、うれしい出来事も、悲しい出来事も……
すべて、あなたの内側が変革、変容するために、顕われた。
さらに言うと、内側の変革、変容のために「こだわり」さえ創ったようにさえ感じます。
(・ω・)

「此があれば彼があり、此がなければ彼がない。此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば彼が滅す」

縁起です。因縁生起の原理。すべてもものは原因から現れます。その原因が、自らの内側にこそあるのです。それを知るために結果が顕われているのです。このことに気づくと、変革と変容が起こるのです。なんということでしょう。自己の内側にすべての顕われの原因があるなら、他者などいないのです。他者と自分を分けることができません。まさに

『孤立』

です。「ひとりあること」です。すべての責任が自分にあります。それを感じ取ってください。体験できますか?
そして、そのとき『調和』が起こるのがわかりますか? 

あらゆる人、あらゆるもの、あらゆることが一丸となって、あなたが幸福になる状況を作ろうとしているのですよ。

感謝せずにはおれません。

ごきげんよう。



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ウメ
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うめ
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兵庫県立フラワーセンター@兵庫県加西市

posted by 笑うウリエル at 06:37| Comment(55) | このへんから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月01日

「調和」(・∀・)

ごきげんよう( ゚д゚)д゚)д゚)д゚)д゚)


「新型トイレットペーパー騒動」、すごかったなぁ…( ゚д゚)

いや、実はウリエルのたこ焼き屋は、ドラッグストアの一角を借りてやっているのです。
(・ω・)ノ


まあ、それは置いといて。さて、いきなりですが、

『調和』

です。「調和」(・∀・)

そう、この世界と調和するには、

『孤立』

しないとできません。誰の賛同も得ず、だれとも協調しない。これが『調和』なんだけど、考えてもわかりません。実際に体験したらわかってきます。

もちろん、友人や家族と縁を切ったり、人付き合いをやめるということではありませんよ。
(´∀`)
どういうことかと言うと、『真実』は、おのれの内側にしかなく、おのれにしかわからない。誰とも共有なんてできない。それを知ることです。同じ理解の人なんていません。いるはずがないのです。

『真実』は、自分以外の誰にもわからない

これが『真実』でもあるのです。


そもそも、外側にあるものはすべて幻想です。自分自身のこの肉体、そして、頭に思い浮かぶ思考までもが外側で幻想なのです。もちろん他者も幻想です。
実在は「空」であり「静寂」であり「無」なのです。このことを理解すると、「孤立」以外のしようがありません。

「サイの角」

でしか、ありようがない。
「サイの角」というのはブッダの言葉ですから、インドサイの角ということです。インドサイには一本しか角がありません。けっして一頭のサイに二本の角はないのです。同じ実在、同じ『真実』を持つ角はないのです。

だから、「サイの角ように歩め」というのは、

外側の意見に頼るな

ということでもあります。他者はもちろん、思考ですら外側なのです。思考と言うのは外側の意見や情報の寄せ集めですから。


『真実』は内側にしかない

このこと深く理解すると、自ずと世界との『調和』が起こり始めます。

理屈ではうまく説明できませんが、頭に思い浮かぶ思考は、すべて幻想なのだということを、よく感じてください。感じてくださいという表現も適切ではないような気がしますが、とにかく、あらゆる思考は『真実』ではないのです。

ある角が「トイレットペーパーがない」と言い、
ある角が「トイレットペーパーはある」と言う。
どちらの角も、あなたの『真実』ではありません。

どちらの意見も『真実』ではない。このことを理解して『調和』が起こり始めるのです。

『調和』とは『孤立』なのです

「サイの角」なのです。

うーん…… これ以上は、うまく説明できません。『調和』とは『孤立』を感じ取ってください。


というかですね、もちろん、あなたがここまで読んだこのブログも、

あなたの『真実』ではありません(´∀`)

ごきげんよう。


ひなまつり(・∀・)
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ビッグひなまつり@兵庫県小野市
posted by 笑うウリエル at 23:02| Comment(43) | このへんから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年02月26日

「本心」(・∀・)

ごきげんよう ((( ̄( ̄( ̄ー ̄) ̄) ̄)))フッ


前回の記事で、「問題」に直面したとき、ただ、この『いま』を体験しなさいということを書きました。
「問題」というほどでもない、「疑問」に出会ったときもそうです。同じです。

そもそも正解なんてない

のです。

思考は「これが正しい」、「これは間違っている」、「これは役に立つ」、「こんなのムダ」とか、常にジャッジしたがりますが、正解なんてないのです。正解なんてないというのが正解なんです。
(´∀`)


さて、今日はそのことについて、もう少し補足しておきましょう。

問題や疑問に出会い、ただ、そこで『いま』を体験して、そして、あなたはそこでの

「本心」(・∀・)

に、素直に従えばよいのです。素直で正直な『いま』の気持ちを、そのまま言葉や行動に表現すれば、それでよいのです。それが『真実』からの表現なのですから。

「本心」は強い衝動のときもあれば、かすかな心の奥底からの「ささやき」のときもあります。『いま』をしっかり体験しないとわかりませんよ。それをよく感じ取ってください。

そして「本心」は、あなたが今までに教わってきたこと、生きている中で身に付けたこと、常識とか良心とか道徳とか経験とか、そういったものは、

ガン無視します

完全無視。いっさいお構いなし(´∀`)ノ


イエスだって神殿でブチ切れて、暴れて店を壊したりしました。
道元は弟子をいつもぶん殴ってます。
親鸞は仏門にいながら妻をめとりました。

もし彼らが思考で判断し、常識や良心や道徳にとらわれていたら、こんな行動はできません。でも、彼らはそのときそのときの純粋な「本心」に従っただけなのです。それで結果的に、何も問題なく流れて行ったわけです。


どんなときも、

「本心」(・∀・)

を表現する。これはとても大事なことです。
自分で自分の「本心」がわからないときは、「わからない」でよいのです。それが「本心」なのですから。

だいたい、

「本心」(・∀・)

を見せない人と、あなたは付き合いたいですか? ですよね、あまり付き合いたくないですよね。正直で裏表がない人でないと信頼できませんよね。この世界との信頼関係も同じなんですよ。

「本心」(・∀・)

を表現する。素直に正直に。善悪や道徳や損得勘定なんて考える必要はありません。それによって「ひどいヤツ」とか「ダメなヤツ」という評価をされることもあるかもしれません。でも、最終的には、それでいい結果になるんです。

そんなに難しいことではありません。

だって考えなくていいんですから。

ごきげんよう。


曽爾高原
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この広い高原にひとりだけ。
貸し切りキタ━(゚∀゚)━!
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雪が舞ってきた。
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@奈良県曽爾村
posted by 笑うウリエル at 06:14| Comment(65) | このへんから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする