2020年10月14日

「苦しみ」という快楽 (´・ω・`)

ごきげんよう (・´ω`・)困ッタナァ…


この世の中の人間たちは、問題を作って苦しむのが大好きです。まるで、そうしないと生きていけないと思い込んでいるかのようです。いや、実際、そう思い込んでます。ハイ。
なんでそんなことをしてるんでしょう?

楽しいからです(`・ω・´)ビシッ

何が楽しいのかというと、どこかで、何かで、

「優越感」

を感じて満足している「私」 つまりはエゴがいるからです。

……(´-ω-`)


優越感を感じている「私」は人それぞれでいろんなタイプがあり、しかも巧妙に隠れていますので、よーく探してみないと見つけられません。だから、よくよく注意してみてくださいね。

嫉妬するとき、「私はアイツより偉大で素晴らしいのに!」という気持ちがないと、そもそも嫉妬が起こりません。まさに優越感。
周囲に不幸をアピールすることで、人々の注目を集めるという優越感もあったりしますね。「私は人々の注目に値する。存在価値があるのだ」と思って喜んでいる「私」がいる。
(´・ω・`)
愛する人を失った。悲しみと言うのは、感じ切ったら自然に消えます。でも「私はこんなにも愛していた。なんて立派なのだ」という優越感でいつまでも悲しめます。
「お金がない。明日が、将来が不安」と言いながら、やりくりや工夫をして日々をサバイバルしていることに優越感。「私ってがまん強くて賢い」と。
また社会の「形式美」に優越感なんかも感じてたりします。「円満な家庭」とか「定年まで勤めあげる」とかに。
「私はそこらのダメ人間ではない。立派な人だ!」
でも、そんな人は愛しているのは家族でも会社でもありません。世の中の「形式美」

てな感じに、いろいろありまする。どこにでも誰にでもありすぎて、人それぞれすぎて、とても例をあげきれません。

……(´-ω-`)


もし、あなたが今、不幸だと感じるなら、苦しいと思うなら、

「優越感」

を、感じて楽しんでいる「私」を見つけるとよいです。その優越感を捨てられないがために、あなたは苦しんでいるのですから。冷静に見ちゃうと、もう滑稽のコケコッコーで笑ってしまいます。

ブッダはこう言いました。

「人は『私はこういう人間だ』と自分で考えるその通りのものになります」

と。これは「金持ちだ」とか「幸福だ」と考えていたら、そうなると言っているのではありません。

手放せない優越感

の、通りになってるよ。と、言っているのですよ。
(´∀`)


でも、優越感を無理に手放す必要はありません。この優越感が「快楽」になっていることに気づいておけばいい。気づいていたら、次第に生き方、そして、この世界が変わって行きます。

そうやって人は次第に全体になって行くのです。

ごきげんにょー。


九州いろいろ(´∀`)
「米塚」@熊本県阿蘇市
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佐賀のエッフェル塔(笑)@佐賀県神埼市
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「志」だらけ!@鹿児島県志布志市
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posted by 笑うウリエル at 06:33| Comment(82) | このへんから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月05日

問題はありません(・∀・)

ごきげんよう ー=≡Σ( ε|) 0

「半霊半物質」(´∀`)ノ

に、なってしまったウリエルです。ハイ。
(´・ω・`)

この生きてるか死んでるか不明な「半霊半物質」状態から、以前のような「生きてる」って状態に戻るのは簡単です。テキトーに、

問題をつくればよい(´∀`)ノ

なんでもいいです。「お金が足りない」とか「老後が心配」とか。もっと小さなことでもいい。すると、たちまち「私」が現れて、その問題を解決すべく思考を動かし出します。問題が大きければ大きいほど「私」も大きくなり、フル回転で「生きてる」を味わいます。
テキトーにつくった、そもそも意味などない問題なので、その「生きてる」という感覚はニセモノでしかありません。でも「私」はそれにたいへん満足しちゃうようです。そして、こんなくだらないことをやめて、「半霊半物質」状態に戻るのも簡単です。

どこにも問題はない(´∀`)ノ

と、「私」に告げればよい。すると、「私」は急に行き場を失い消滅します。そして「静寂」になります。なるほどー、「私」というものに実体はないんですね。


でも、この実体のない「私」に夢中になりすぎていると、「私」が消滅することが怖くなります。生きていることに意味がなくなってしまうように感じるのです。それ、「ニセ生きてる感」なんですけどね。
だから問題をつくり続けます。というか、意味のない問題でも、ひとたび問題をつくってしまうと、解決してもどんどん次から次に問題が生まれてくるので、終わることなく努力できます。そして問題は肥大化します。まるでバタフライ効果です。小さな蝶の羽ばたきがどんどん大きくなって竜巻を起こします。「私」はこの世界で最もミジメでかわいそうな人間を演じることができ、また困難と闘うこともでき、大満足になります。
(´・ω・`)


テキトーにつくった問題で、「私」になりきって楽しむのも悪くはないです。それも「おもしろい」です。ハイ。
でも、もっともっと違うエネルギーの使い方があるので、それだけを楽しむことは、ウリエルはいたしません。このエネルギーを「私」だけに閉じ込めてしまうのは、なんか、

もったいない

ので。

この内側から溢れるエネルギーは、この世界にいろんな花を咲かせます。何百万もの歓びを咲かせます。それを「私」だけに閉じ込めて、ミジメさと闘いだけに使うのは残念ですから。ハイ。
というか、この世界はこのエネルギーで生きていて、どんどん動いていきます。それを中途半端に止めてしまうことが、何よりも残念。
だから「半霊半物質」状態でいるほうが楽しいですね。
(´∀`)


まわりの人たちにも、もう「問題ごっこ」をやめてもらって、何百万もの歓びをいっしょにわかちあおうと思って、

「それの何が問題なん?」

と、言うと、みなさん、たちまち怒り出すんですよ。よほど「私」と「ニセ生きてる感」遊びが好きみたいです。
(´・ω・`)
まあ、それも問題ないと言えば、それまでなんですけどね(笑)


でも、たまには自分自身で「私」に問うてほしいなあ。

「これのどこが問題なん?」

って。


問題はどこにもないって。

ごきげんよう。


開聞岳(´∀`)
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山麓にはこんな道が通ってます
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対岸の大隅半島から
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@鹿児島県指宿市
posted by 笑うウリエル at 06:12| Comment(81) | このへんから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月01日

「ぞーーーん」:(;゙゚'ω゚'):

ごきげんよう ε=ヘ( .∀・)ノ.∀・).∀・)ノ゙アヒャヒャヒャ


みなさんが生きている世界、ウリエルは「この世界」と言っています。この現実世界のことです。

この現実世界、「この世界」に、みなさんはいろんな体験をしにやってきたのです。「この世界」は、その体験を楽しむ、

「テーマパーク」(´∀`)

みたいなもんです。

どんな体験に価値があります。無駄なものはありません。どの体験も、「してみたくて」わざわざこの「テーマパーク」にやってきたのですから。
でも、ここが「テーマパーク」だってのを忘れてしまっているのです。いわば、乗りたくてジェットコースターに乗ったのに、そのことを忘れてしまって、ただ「怖い!」と叫び、なんでこんな目に合うのかと怒り、悲嘆しているのです。自分で乗ったのにね。
(´・ω・`)

「ああ、そうだった。ここテーマパークやん」

そう思い出すのが、気づきであり、目覚めと言われるものです。ハイ。


「この世界」は「テーマパーク」ですので、存在するものすべてがアトラクションであり大道具、小道具です。そして、起こることすべてが余興です。
あなたが世の中の役に立つ素晴らしい人になるのも余興だし、なんの取り柄もないただの人で一生を終えるのも、社会のお荷物になって蔑まれるのも余興です。そんな余興で、あなたは何らかの

「生きてる感」

を味わいたいのです。

でも、その「生きてる感」は余興なので、

「ニセ生きてる感」

です。この「生きてる感」がニセモノだと見破るのが、また気づきであり、目覚めと言われるものです。ハイ。


絶望のどん底をさまよっているとき、この絶望が「ニセ生きてる感」だっと気づくと人は救われます。これを

「どーーーん(゚∀゚)!」

と、当笑ウリ部では言いましょう。だって、全部が余興。ウソッパチのUSO800だったんですから。こんなに痛快なことはありません。
「どーーーん(゚∀゚)! 来たよ」
なんて言いましょう。

もちろん反対もあります。
がんばって、がんばって、自分が最も幸福になれると思っていたものを、やっと手に入れた。でも、それがただの余興でUSO800だと知ったら?
しかも、ニセモノとはいえ、幸福を目指しているときの「生きてる感」、モチベーションってやつです。それも同時に喪失します。だって、もう目標は達成されたわけですから、これ以上は必要ない。

あると思っていた幸福が実はない。それと同時に「生きてる感」も失う。これを

「ぞーーーん:(;゙゚'ω゚'):」

と、言います。

「ぞーーーん:(;゙゚'ω゚'):」は「生きてる感」の中で起こる絶望より、はるかに虚しく、恐ろしいものなんです。「生きてる感」を超えた絶望ですから。もうどうしていいかわかりません。喜怒哀楽もすべて失います。
ただ、この「ぞーーーん:(;゙゚'ω゚'):」を感じるまでに、何もかもを手に入れることができる人は、ごく少数なので、あまり知られておりません。体験する人もほとんどいないので、共感してくれる人もいない。なので、誰にも理解されず、奈落の底にひたすら落ちて行きます。



あのね、私たちは「テーマパーク」で「ニセ生きてる感」を楽しんでいるんです。スピリチュアルでそれを知ろうとすることさえ「ニセ生きてる感」にすぎません。「よりよく生きよう」とするすべてが、「ニセ生きてる感」です。

ああ、この「生きてる感」はニセモノだったんだ。

でも、この「ニセ生きてる感」が楽しいんだ。

「ニセ生きてる感」が楽しい。これが真の

「生きてる感」

なんです。

ここが「テーマパーク」と知ってそれを楽しむ。するとね、世界がまったく違ったものに見えるし、よくわからないけど、世界の方も変容してくるんですよ。

ごきげんよう。


鵜戸神宮(´∀`)
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岩の上がへこんでるでしょ?
そこに「運玉」という玉を投げ入れて運試し。
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けっこう離れてる(´・ω・`)
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@宮崎県日南市
posted by 笑うウリエル at 07:19| Comment(42) | このへんから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする