2015年11月05日

「お掃除」あれこれ

ご(゚д゚)き(。_。)げ(゚д゚)ん(。_。)よ

『ハート』を感じることをジャマしているものは何でしょうか?
ま、ひとことで言うと、

自我です。エゴです。

現実世界と『ハート』の間には自我しかないと、私、ウリエルは理解しております。
しかし、自我は消すことはできません。厳密に言うと、ジャマしているのは自我の歪みです。
自我を歪めている、価値観、意味付け、条件付け、信念です。
その自我の中にある、価値観、意味付け、条件付け、信念を「お掃除」すれば、おのずと『ハート』と通じます。

問題はその「お掃除」の仕方です。なんてったって、コレと言った方法がありません。
発見して簡単に手放すことができるものは、問題になりません。
問題になってくるのは、発見しても手放せないもの、手放したつもりだけで実は手放せないもの、発見すらできないもの、です。
とくに発見すらできないものは、やっかいです。あまりにもその価値観、意味付け、条件付け、信念が当たり前で、それが価値観、意味付け、条件付け、信念だということすら気づきません。自我の巧妙なトリックと言ってもいいです。
うん、例えば、日本人で日本で生まれ育って、今も日本に住んでいるなら、「私は日本人」というのは、もうほとんど無意識の価値観となっている方が多いでしょう。
でも、ある日突然、父母から、

「実はアンタは、マダガスカル人なの」

とか言われて、
「あっそうなの? 日本人でもマダガスカル人でも、おんなじ人間さ。何が問題なの?」
と、何のショックもなければ、「私は日本人」という価値観は持っていなかったということです。
が、なかなか、そうは行きませんよね(笑) 多少の衝撃は誰だってあると思います。
でも、日本人であろうがマダガスカル人であろうが、本来、同じのはずなのに、なぜ同じでないんでしょう?
「私は日本人」には、よく調べてみると、いろんな価値観、意味付け、条件付け、信念がくっついていますよ。ま、機会があったら洞察してみてくださいね。

そんなふうに、自我というのは無意識のところにたくさん価値観、意味付け、条件付け、信念を隠し持っているもんです。そういうもんです。
発見しにくいものを、必死で探し出せと言っても、まあ無理な話で、人生のそのときそのときで気づいて行くしかありません。
『いま』私たちにできることは、そういった発見できていない無意識の価値観、意味付け、条件付け、信念が、まだまだたくさんあるはずと、

自覚して受け入れることです。

ある程度の自我の浄化、すなわち「お掃除」が進んだとき、
少なくない人が「これでもう終わった」といった気持ちになってしまいます。
ましてや「一瞥」や「気づき」の体験があると、なおさら「私は悟った。もう大丈夫」という気持ちになってしまいます。でも……

それ「特別意識」という、ただの自我の「こだわり」ですから。

「私は気づいた」「私は悟った」というのは、優越感に他ならぬもので、他者と自分を分離する「特別意識」です。「こだわり」です。
たとえ大きな『気づき』、深い理解があったとしても、結局は無知の闇の中で苦しむ人たちと何ら変わりはないのだという理解があってこそ、はじめてのワンネスです。それが『悟り』ですから。


さて、その「お掃除」、すなわち浄化、
手放せ手放せと、あちこちで言っておりますが、かく言う私も言っておりました。
しかし、そうは言っても手放せないものもやっぱりあります。というか、簡単に手放せるんだったら、みんなすぐに覚者です。
いま述べた「特別意識」なんて、気づいても、そう簡単にポイとは手放せないのがフツーです。
そんなときは、ただ見つめるしかありません。
「あー、私はこれを手放せない」
ということを受け入れれて、見つめ続けるしかありません。あきらメロンです。
これまた「与えられたもの」として受け入れる。しかし、受け入れて見つめ続けると、やがて消えて行くんですよ。
消えなくても受け入れただけで、脇に寄せることができます。そして、道が広がって『ハート』と通じやすくなりますよ。
あとは、やがて『ハート』と導通したとき、溢れる『愛』が洗い流してくれるでしょう。


手放せない価値観、意味付け、条件付け、信念を発見したら、それらにこう語りかけてください。

「イヤだけど、寂しいけど、コイツもいつか消えちゃうんだろうな」

ごきげんよう。

道端のお地蔵様@兵庫県佐用町
hi.JPG
ここ、13歳の宮本武蔵が初決闘した場所。「金倉橋のたもと」
有馬ナンチャラというオッサンの頭を木刀でカチ割った現場です。
posted by 笑うウリエル at 23:27| Comment(38) | 『ハート』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月30日

『ハート』への祈り

(○`・ェ・)ノ【ご】【き】【げ】【ん】【よ】

『ハート』はエネルギーであり、感情体です。
エネルギーと言っても、それは強いものではありません。それは、とても微細な振動です。

あなたが、とってもやさしい気持ちになったとき、あなたは『ハート』と導通し、胸や背中にその振動を感じます。
「じーん……」という、身体の奥が「うずく」ようなエネルギー。とても微かで繊細な感じがします。
ためしに、ちょっと、とってもやさしい気持ちになってみてください。誰かを、何かを慈しむようなやさしい気持ちです。
どうです? 胸か背中に何か感じますか?

胸の中にゆっくり呼吸をしてください。
息を吸い込むとき、そして吐くとき、その振動は少し大きくなりますか?
ならなかったら、もう少し呼吸を続けてみましょう。
頭の中で『気づき』が理解できている方は、その『気づき』を下に降ろして行くような感覚で。
そして、そのエネルギー、振動と融合させてみてください。

さて、ある程度、エネルギーを感じることができたら、
うん、ここから、ちょっと大事です。
そのエネルギーに、これからのあなたの人生を「おまかせ」してみてください。エネルギーに無抵抗になってみてください。

「もう全て、あなたにおまかせします」

そう、『ハート』のエネルギーに語りかけてみてください。

おっと? なんかザワザワしました?
あれ? 身体がちょっと痛くなったりしました?

それは、あなたがまだ握りしめて放せない価値観があるからです。
ザワザワや痛み、抵抗、ちょっとした恐怖を感じたら、それらを感じながら『ハート』にこう尋ねてください。

「あなたは私に何を教えようとしてますか?」

それらのマイナスの感情を決して排除したりしないように。やさしくお客を迎えるように受け入れてください。

そして、沈黙してください。


『ハート』はすぐには返事をしてくれません。
しかし、その真意を思わぬときに、思わぬ形で教えてくれます。必ず。
そのとき、『愛』が『ハート』の向こうから、溢れてくることでしょう。

ごきげんよう。

sin.JPG
大阪・新世界
うん、記事と全然あってない(笑)
posted by 笑うウリエル at 23:12| Comment(21) | 『ハート』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月19日

ハートの目覚め

ごきげん……(`ハ´)σ

今日は、久しぶりに『ハート』のお話をします。

アジズのオッサンがまとめてくれた「3つのさとり」のおかげで、
私のモヤーーーッ…… としていた部分も徐々に整理整頓されてきたように思います。
そこで、『ハート』について、もう少し具体的にみなさんに理解してもらおうかなと考えました。

まず『ハート』は、意識の『気づき』とは、まったく別物です。

意識の『気づき』とは、3つのうちの「マインドのさとり」です。
「ワンネス意識」とか「胸の静寂」、「胸のスペース」とは別なものだということです。
実は、このブログのスタートから比較的最近まで、私自身もこの部分がごっちゃになっておりまして(汗)
この点は非常に申し訳なく思います。

さて、どういう風に別物かというと、意識の『気づき』は、文字通り「意識できる」わけです。マインドで理解できます。
しかし、

『ハート』はエネルギーなんです。

エネルギーとして身体で感じ取ります。その感じている身体を「意識する」だけです。だから「エクスタシー」なんて言われることもありますね。

そして、『ハート』はものすごく内側を向かないと開きません。
「ワンネス意識」だと、内側から外側を見るわけですが、そうやってエネルギーを外に向けてしまうと『ハート』は感じることができません。すべてのエネルギーを内側に向ける、というか、胸の奥にエネルギーをどんどん注入していくような感じです。生きるために使っているエネルギーを胸の奥に向けて行くような感覚。
生きるためのエネルギーを外に向けて使わないわけですから、大袈裟に言うとそこで

「生」の放棄が起こります。

そして、さらに入っていくと、

「死」の放棄も起こります。

私がいままで「お掃除」と言っていたのは、こういうことだったんですね。
(自分でもよくわかってなかったんですわ。ようやくクリアになってきましたー…笑)
そして「生」と「死」が放棄されると、同時に「死の受容」と「生の受容」が起こります。

これがサレンダーです。

そのとき、あなたは自我が生まれる以前の、本当のあなたに会います。
それは、まさに『無条件の愛』です。いままで愛と思っていたものが愛でなかったことに気づくと思います。それは「愛の投影」でしかなかったのです。

『無条件の愛』は純粋なエネルギーです。

実は、これは『ハート』にエネルギーをひたすら注ぎ込んでいくだけで勝手に起こると思います。瞑想どころか、探究すらする必要ナシ。
実際、私も自動サレンダーでした。「何もかも、もういいや」という気持ちがどんどん勝手に湧いてきました。
ただ、自我は猛烈に抵抗すると思います。人生が今にも終わるような感覚になりますから。だから苦しみで自我がボロボロになっているほど、中に行きやすいことは確かです。

そして、『ハート』にはワンネスのような全体の意識はありません。
「個」です。限りなく「個」です。
だから「私はいない」「すべて私」という感覚ではなく、

「私しかいない」

という感覚が強くなるように思います。


さて、3つのうちの「ハラのさとり」、『丹田』ですが、これも『ハート』とはやっぱり違います。
これは私もうまく説明できませんが、丹田からは強いエネルギーが湧いて来るような感覚がありますが、やはり『愛』がない。
ハラには「マインドのさとり」をしっかりと定着させるような力があるように思います。
「私は在る」としか言いようのない感覚です。
私はまだ、はっきりとはわかりませんが、このハラはエネルギーの源。そしてエネルギーを支配しているのは『ハート』、そんな感覚です。

で、この3つのさとりが、どのような道を織り成していくのか、私にはまだわかりません。
しかし、『無条件の愛』、これに触れずして『悟り』としてよいものか、私はそう強く思います。
というか、『悟り』なんか本当はどうでもよく、人間はこの『愛』を知れば十分なのではないかと。


『ハート』は毎日感じているだけで、どんどん深くなっていきますよ。だから、ただ毎日感じるだけです。
胸のセンターを感じてください。何度も言ってますが、ジーンとしたりキューッとしたりする所の、その感覚です。感動したときや、嬉しいとき悲しいときに振動する場所です。
あなたの感受性で感じとってください。とても柔らかくて繊細です。胸に手を当てて、胸の奥の振動を導きだすような感じで感じてください。
ものすごく細かい振動です。ジーンとかジワーです。何度もしているうちに、その振動は大きくなりますから。
『愛』はあなたに気づかれるのを待っています。遠慮せずに中に入って行ってくださいね。
ごきげんよう。

ta.JPG
白髭神社@琵琶湖

posted by 笑うウリエル at 23:45| Comment(76) | 『ハート』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする