「承認欲求」のお話の続きです。
人は誰でも何らかの劣等感を持っています。誰でもです。なぜなら「私」とは、そういうものだからです。
劣等感というのは、あくまで劣等「感」です。そんな感じがするということです。本当に劣っているかどうかわからないのに、なんか勝手にそう思い込んでいるということです。
でも、劣等感は持って悪いものではありません。Aクンは自転車に乗れるのに、自分はまだ乗れない。そのとき抱いた劣等感が、「よし! 練習して、僕も自転車に乗れるようになろう!」という意欲の源泉になります。劣等感自体は悪いものではないのです。
そして、練習を重ねて自転車に乗れるようになったとき、Aクンや他の人たちから、「よかったね!」、「すごいじゃないか!」と認められます。そのとき、とても気もちいい気分になります。これで、不快な劣等感は克服されて消えました。そして、このような体験を何度もしているうちに、
「人に認められたら劣等感が消える」
ということを学習したのです。しかしこれが、やがて承認欲求が大きくゆがんでいく出発点であったのです。
自転車に乗れる=優=他者に認められる=善
自転車に乗れない=劣=他者に認められない=悪
こんな構造の「私」が、形作られ固められて行くのです。やがて、優越性を求め優れた人になることが気持ちよいし善であり、劣等なままでいることは不快で恥ずかしく、悪になって行くのです。
さて、どんなに優越性を追求しても、どうしても優れた人になれないことが、生きていると多々あります。どうやっても克服できない劣等感。でも、
「人に認められたら劣等感が消える」
ということは知っていますので、なんでもいいから認められたいと思うようにまりました。とにかく他者に認められないと、不快な劣等感に、ずーっと浸っていないといけません。そんなのイヤでイヤで仕方ありません。その状態になることは、もう「恐怖」となりました。だからか、反対になんでもいいから認められると安心するようになりました。
とにかく認められるには「優」であればいいのです。「優」であれば褒められ認められるのです。これが、「私」の根幹になってしまったのです。
「私」はいたるところで「優」になろうとするようになりました。いたるところで「優」になるためには、いたるところで「優劣」の判断をしないといけません。そんなふうに、いたるところで「優劣」の判断をしているうちに、あらゆるものを「優劣」で見るようになってしまいました。それがもう当たり前になってしまい、無意識になっているほどです。
ほら、みんな好きですよね。「○○ランキング!」とか。
(´∀`)
自分自身がランキングの上位だと安心したりするのも、無意識に「優」になろうとしているからです。
自分の生まれた都道府県とか、自分の好きな芸能人とか、自分の生まれた星座とかが上位にランキングしてても、うれしくなったりします。これはもう重症ですね。そんなの自分自身とは、ほとんど関係ないのにね(笑)
世の中やものごとを「優劣」でジャッジする性質を持つようになったのは、劣等感が出発点です。劣っていると思うときの不快な感じです。この不快感を払拭する方法を、私たちはひとつしか学ばなかった。
「優」になる(`-ω-´)
だけ。
しかし、努力しても「優」になれなかったり、努力のしようがないものもたくさんあって、なんだかわけがわからなくなり、やみくもになんでもかんでも「優」になろうと混乱してしまっているのです。これが私たちです。
実は努力で「優」になれないとき、別の方法があるのを、私たちは見落としてしまっているのです。もうひとつの方法をちゃんと知っていれば、こんなに混乱することはなかった。
今からでも大丈夫です。遅くはありませんよ。やり直しましょう。
それは、まず、
劣っていると認めること
そして、そのとき湧き上る不快な感じを、
感じ切ること
です(´・ω・`)
最初に言ったように、劣等感は劣等「感」です。この「感」は何なのか? どうして湧いてくるのか? どうして劣っていると思ってしまうのか?
それを思いながら、感じて感じて感じ切ってみてください。もう何度も言ってきました。ネガティブな感情を感じ切ってくださいと。それは、こういうことだったのです。
本当は、あなたが勝手に劣っていると思い込んでいるだけなのです。この世界はそれに気づくまで、何度もあなたを「劣っている」方向に突き落とします。それが、この世界の仕組みです。あなたが「優」と勝手に思っているものと、「劣」と勝手に思っているものが、実はまったく「同じ」と気づくまで。
頭でいくら「同じ」だと思い込んでも、どうにもならないというのも『真実』です。体験で気づくまで、それは解消しないのです。
体験するためには、劣等「感」を感じ切るしかありません。時間はかかりますが、それしか方法はないんです。
体験は「恩寵」として、やってきます。
そもそも、
劣っているあなたでいいから、あなたは存在しているのです。
劣っているあなたでいけないのなら、最初からあなたはいません。
しょーゆーことのなのです。『ありのまま』でいいんですから。
ごきげんよう。
長崎ランタンフェスティバル(´∀`)ノ




お供えはリアル豚さんたちの首でした(・ω・)
@長崎県長崎市・長崎中華街
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常に新たなものにチャレンジし続けていますと、優劣つけている場合じゃなくなって来ます。
それどころじゃないんですよ。
やるっきゃないからね。
多くの人が、だいたいそうなんです。実は苦しんでいる「私」が「優」、苦しんでない人は「劣」
だからみんな同じとこまわり続けるんですよ。
(´・ω・`)
生き悩んでる次男の事をつい考えてしまいます。
全く小林幸子の歌のとおりです。「優しさと甲斐性のなさが 裏と表についている。」♪〜
子供であろうと、他者である以上、私が変わって彼の劣等感を感じ切る事はできません。
色んな方法や道筋があるとアドバイスはしていますが、どうするかは本人次第です。
義父は、働くことにはマメで、骨惜しみはしませんでした。けれど多重債務に女性問題にパチンコ漬け。子どもにも孫にも呆れられ見放されていました。
それを思うと、彼を追いつめたり、私が悩み苦しむのはちょっと違うような気がします。とは言いつつ、時は過ぎてゆく。
どうしたものでしょうね?
つまり、息子さんのことで思い悩む親が
「優」
と、なっているわけです。放置している親とか、悩んでない親より上と。子で悩んでない親なんて「劣」
その「こだわり」のエネルギーがある限り、悩み続けます。
>本当は、あなたが勝手に劣っていると思い込んでいるだけなのです。この世界はそれに気づくまで、何度もあなたを「劣っている」方向に突き落とします。
これ本当にそうだな、と思って笑ってしまいました。
まー突き落とされまくってます笑
私もあまのじゃくなので「突き落とすなら、いくらでも突き落とせ!私はここ(突き落とされた場所)から一歩も動かん!」とそこから動かないよう頑張るんですけど、しばらくしたら一人でいること(誰にも認めてもらえないこと)が恐ろしくなって、承認をゲットするべくつい動いてしまいます。
それでめでたく承認を貰えようが貰えなかろうが、感じるのは虚しさと自己嫌悪ばかり。
今まで生きてきた人生ってその繰り返しだったなーと。
はーー疲れた(*´・ω・)
自分の弱さ、ズルさ、怒り、悲しみ。
これらが解消されることは多分一生ないと思うけど、ただそのままに感じることを今は特に大事にしています。
一生消えない深い深い悲しみはあるけど、
私はその悲しみそのものではないと気づいたので混乱は薄れつつあります。
実は、せっかく一緒にいるのだから、楽しい時間を過ごしたいなと思ってしまいます。
彼は糖尿病なので、一緒にご飯は楽しめないけれど、糖質制限の食材を探して、安いスーパーを買い物して回ったり、鳥を見に行ったり。
なんでもない会話がけっこう楽しかったりして。
困ったことがあると、親身に助けてくれるので、本当にありがたいです。
(´・ω・`)
「子供が気になってしょうがない」
という点でね。
愛しすぎる親というのがちょっと富澤たけしですが、殺すほどの虐待と本質が一緒とは。俄かには理解できませぬ。
うふふ(^ω^) 一生の宿題ってわかっちゃいましたか。一生どころか永遠かな。
でも、永遠の宿題ってわかったということは、終わったのと同じですよね。
まもなく、次の次元に移行するでせう。
ゆかさん、
ウリエルにゃわかりませんが、なんつーか、
病気とか、その不安を抱えて生きて行く「私」が、ズバリ'「優」になってるかもしれないです。
(・ω・)
まあ、それもいいんですよ。
笑い飛ばせれば(・∀・)
分かると思います(´∀`)
>俄かには理解できませぬ。
どっちも、欲求を子供にぶつけて気持ちよくなろうとしてるだけだと思いません?
解消はされないけど、飽きますね(^ω^)
いいかげん、つまんなくなっちゃう。「もうええわー」って。
『いま』をちゃんと感じていれば、自ずとそうなりますね。
あ、それと、同じあまのじゃくでいるなら、
「劣ってるのもいいじゃん♪」
なんて視点でいるのも、おもしろいかも。
(´∀`)
たとえば、高校までは私立でも何とかするけど、大学は本当に勉強する気がないなら、奨学金借りて行けとか、学費と交通費と経費以外はバイトで何とかしろとか平気で言ってたので。
妹から、特に女の子はいじめの心配もあるから、周囲と浮かないように、持ち物にも気を使うもんだと言われました。娘も同じような事言ってました。なるほどと思えたことは歩み寄るよう努力はしましたが。
こんななので、どこまでが親の愛か、よくわからないのです。死なせず成人させただけです。
なんて 衝撃的な!てか 以前そんな私も居たと思います ハイ。
今は ちょっと違う気がしてるのですが。。
笑い飛ばすまでは 今は成れてないかなー
何を?がわからないので とりあえず 身体を感じてみます
少年時代に感じていた劣等感は強烈でした。
こんな暗い感情は、自分以外に誰も感じていないだろうと思っていたから尚更でした。
やがて人生で色んな体験を積み重ねて行く内に、劣等感は誰の中にもある感情であることが分かって来ます。
人によって、その種類が違うだけなんだなと。
その事を知るにつれて、劣等感は薄れて行きました。
今でも自分の中で、少年時代に抱いていた劣等感をかなり忠実に再現する事は出来ます。
しかし、どうしても100%とまでは行かないのです。
何故か?
遊びゴコロが参入して来るんですよ。
笑いのネタになっちゃうんですよね。
人生を後押しする原動力にもなってます。
だけど解消されずに居残る劣等感は、いろいろ混乱を作ります。その際たるものが、
「優越感」
です。(´・ω・`)
優越感は劣等感の裏返しにすぎません。劣等感がないと優越感も現れません。人は劣等感を感じたら、それをなくそうと優越感を探します。
ねねさん、
「愛が足りない」は劣等感ですね。
愛情がないと子に言われたらなぜいけないのでしょうか?
それを感じてください。
あたりマエダのクラッカーなことがあります。
親がしっかりしていると、子は頼りなくなります。反対に親が頼りないた、子は自力で問題解決をせざるを得ません。
ひきこもりの親御さんって、たいていしっかりした人ですよ。
ウリエルはなぜ、ひきこもりにも鬱にもならなかったのかと思うと、
「こんな家、早く逃げださないと、破滅に巻き込まれる」
と、思っていたからです。
愛情って、なんなん?
優越感もカッコ悪いのです(´∀`)
どっちも同じですから。
それに気づけば、あったいうまに劣等感も消えます。優越感がなくなるからです。
わかります?
(´・ω・`)
私も妹も家が裕福ではなかったので、専門学校の費用も親には出してもらっていません。私は親に不満を感じたりはしませんでしたが、妹は私と違う受け取り方をしたので、先の言葉が出たのでしょう。実際子供の気持ち優先でやってましたが、自立できない子がいます。ただ、親子仲はいいように見えます。
私的には、カタチに出る前の部分がひとりよがりで未熟であったし、今もそうかもしれないと思います。
こんにちわ。
いいサイト見つけましたー。
お医者様の矢作直樹さんという方が著書を出しています
(>_<)
素敵な未来を望んでいるので。
光にも闇にも
優劣はないと思います。
この世よりも高次元の方がマシだ。
当たり前ですね(*_*;
この世が周波数(いい周波数)発してくれないと
私には修行なのかなんなのかさっぱりです・・・
これも
お勧めです!
ねねさん。私はねねさんのお子さんに対する愛を感じています。
ーーーーーーーーーー
うちの子供(男二人)も「こんなとこ 早く出ていきたい!」と よーく言ってましたよ(笑)
ポールシフト・・・
悲しいことはゴメンです!
ちょっと思い返したんですが、当時、いろんな悩みの虜になって優先順位を間違えてしまったと思います。何よりも、心が弱すぎた。
子育てそのものは取り返しができませんが、会う事ができない長男も含めて、大切に思う気持ちを持ち続けようと思います。
本当に、ありがとうございました。<(_ _*)>
最近、また理不尽と思える事もたくさんありました
それを感じていたら、私が思う理不尽の最たるものについての番組をやっていました
私はその被害にあったことはないのですが、程遠いとは言え同種の軽い被害にはあいました
普段ならテレビを消すか違う番組を見るのですが、今日は見入ってしまいました
被害にあいながらも、助けてくれた医師の愛を広めたいと生きている女性の姿に涙が出ました
私の中の理不尽に飛び込んで見ようと思います
恵美さん、チョーシはいいかい?(´∀`)ノ
うん、光も闇もどっちも同じ。優劣はありません。
んで、低次元も高次元も同じですよん。
神様だって苦悩は尽きないです。
「おお、人間はなんで争い会うのだろう…?」
とか、頭かかえてますから。
どこ行っても苦悩(周波数の乱れ)は、あるんだにゃ
(・∀・)
ねねさん、
>ひとりよがりで、未熟であることを認めればいいのですね
まあ、そういうことですね。
>よくできた人をすばらしいなぁ、以上!
あ、ここなんかちがうなぁ…(・ω・`)
よくできた人を「アタシと変わらんわ」以上!
のほうがいいんじゃね(´∀`)
そもそも、人生に意味などないのです。それに意味がある、大事だと思って疑わない以上、バカであることに変わりありませんから。
世の中って理不尽です。ウリエル、
「世の中はどうしてこんなに理不尽なのだろう?」
と、思いを馳せてみた。
長ーい間、ずんずんどんどんえんえんつらつら、思いを馳せて行くうちにとうとう答えにブチあたったのだ!
「世の中、理不尽だーっ!」
って嘆くから、世の中は理不尽なのだ!
嘆きが次の理不尽を生み、それが延々と繰り返される。それが、この世の中。
なーんや、アホらし。
以上♪(・∀・)スンスンスーン
フェンスの向こうにパンが落ちてる。それを食べようとハトがフェンスに首突っ込んでる。でもクチバシがパンに届かない。フェンスの前をウロウロして悩むハト。
傍から見てると「アホか。おまえ鳥なんだから、フェンスを飛び越えろよ」と笑っちゃう。
だけど、コレ、笑えない。私たちもハトと同じことしてるから。
「シアワセになりたい」
「良い人生にしたい」
と、思う限りフェンスの前を右往左往だよ。人生という名のフェンス。ただのフェンスなんだよ人生なんて。ここから出られませんよっていう。
飛び越えりゃ済む話さ。
確かにそうかもしれんけど、なんか釈然とせんわ〜。
すばらしいと思うのは「私」の視点ということですね?
釈然としないと感じた。そこで、
なぜ釈然としないか?
を、徹底的に調べるんですよ。何日も。わかるまで。
思考はある程度ヒントを提供しますが、思考ではわからない。だから待つしかないのです。思考を使いまくってお手上げになるまでやって、初めてわかります。
それをしないと、フェンスの前を右に左に歩き回るだけなんです。永遠に。
薬飲まされて合っていなくて正直
キツイです。家にも。
現状から軽くなりたい・・・
いろんなスピリチュアルな方もウリエルさんみたいなお話をされているので驚きです!
よかったと思っています。
神酔いやエクスタシーなどの話も羨ましいです(´ω`)
皆仲間ですね。
その意識が広がっていく。と、
( ..)φメモメモ
集合意識であり責任は自分にある・・・
うーーーん(*_*)
https://www.youtube.com/watch?v=ASltUVyzepo
カードキャプターさくら
クリアーカード編も面白い。
https://www.youtube.com/watch?v=niFQ4r0Lg8Y
集合意識ですね。
恵美さん、カードキャプターさくらの声優の丹下さくらさんの実家、すぐご近所なんですよ。関係ないですね。ゴメンナサイ。
➾関係ないですね。ゴメンナサイ。
いいえ〜(*'ω'*)
今は私負の感情が大きいのでなんとかして昇華したいのです。
なので、こちらこそよろしくお願いいたします!
という覚悟?
フェスティバルに乗りたいなぁ。
https://www.youtube.com/watch?v=1itj1VxFlyA
>意味はないけど意味があるんじゃないんでしょうかねぇ
違います。これでは、まだ片側からしかみてません。
意味がないから、意味がある
意味がないことに、最大の意味があるという方向からも見て、初めて意味があって意味がないとも言えます。それに気づかないうちは、意味があるという幻想に苦しみます。
ま、思考を使ってできることをやり尽くさないと、幻想のままです。
(・ω・)
例えば、子に愛情がないと言われた。それがどうして「いけない」と感じるのか、真剣に考えてみたことがありますか?
そもそも、どうして?
子になんと言われようが、嫌われようが、そこに愛情があればそれでいいはずです。
それに何か納得してない「私」がいる。
その「私」が何に納得してないのかを見定めるまで、同じことの繰り返しになります。
でも、思考ではわからない。でも考える。そうして考え続けて思考にマイッタさせないと、思考の向こうには行けないんですよ。
言われたからもありますが、子供に愛情を持つのが自然にはできなかったのです。特に長女には、幼い頃から愛情を感じるのが難しくて。
いじめを受けて苦しんでいても、心に痛みを感じなかったんです。困ったなぁとは思いましたが。
もちろん、学校を休ませたり、先生と交渉したり、高校は無理して他県の私学に通わせたりしました。でもサイテーですよね。
人として大切な物が欠けているのかもしれません。
全てもみんなも、でした。
https://www.youtube.com/watch?v=F9XkZ8cbsLo
ウリエルさん
「劣っててもいいじゃん!」まさにそうですね(*´・ω・)
「上手くいかなかったらどうしよう」と不安になるたびに、「失敗したらしたで大丈夫!」と自分に声をかけられるようになりました。
「どっちでも一緒」が徐々に分かってきたのかも。
以前の自分だったらあり得ないことです( ・∀・)
感じないんだから(・∀・)
では、なぜ感じないとサイテーないのか?
さらに、サイテーではなぜいかんのか?
メダカにも痛みを感じてないのか?
メダカだったら感じるのに、なぜ人間には感じないのか?
いっぱい考えることありますよ。ウリエルはどれも答えられないので、自分で見つけるしかありません。
そもそも、人の痛みなんて誰もわからんと思います。
当たり前じゃないですか。自分は痛くないんだから(笑)
その「なぜ」はそもそも考える以前の事だと思ってましたわ。
そうか、考えないかん事やったんだ!
時々感じていたのですが、閾値に達してしまった。。
どんなねねさんでも、そのままでいいんじゃないでしょうか。。。
愛情は感じないのに、ちゃんと養育されてるだけでも、充分じゃあないですか(T_T)
愛情が分からなくってもいいじゃないですか、、。。
ねねさんの行動が愛だな〜ってかまくらには感じられてますよ!
愛情表現何て人それぞれだから、伝わる人もいるし、伝わらない人もいると思います。
自分と愛情表現が同じだったり、自分が望む愛情をくれたら、うまく行くし、違うと愛されてないって感じるんじゃないかなあ。
噛み合わないと、愛されてないと思ってしまう。。。
(T_T)
ですね。
愛ではないものの手助けが必要になって来る。
愛ではないもので愛を炙り出すのさ。
水戸黄門の素晴らしさを魅せる為には、悪代官の存在が必要だろ?
それと同じ事さ。
じゃ、又な🎵
自分に超甘なところもあるので大丈夫です。ご飯は美味しすぎるし、ぐっすり眠れていますよ。
コタロン三世さん、超かっこよすぎるんですが、かっこよすぎて私には意味がわかりません。
そのための経験と感動✨
ですね。
周波数上げてくれて感謝(*´ω`)
自分にとってしっくりくるものなど色々でした〜。
エゴからくる求めるものは辛いだけという経験が出来ました。
また渇きに渇いてしまうので。
永遠にそこに至ってしまう。
よくよく考えると当たり前でしたね(>_<)
自分の中で、愛ではないヤツらが奮闘している姿が見えるだろう?
彼らは愛をもり立てる為に、敢えて自分達から愛を完全に消し去っているのさ。
自分達の役割を完全に把握しているんだ。
なんて愛らしいヤツらなんだろう。
焼き肉焼いても家焼くな🎵
他人事とは思えません。
コメントが。
自分の道、明確に決めれたらいいな〜
どう進めばいいんだろう〜(>_<)
私が嘆くから理不尽(´・ω・`)
まだわからないから私も思いを馳せてみよう
様々な感情は、勝手に自動的に起こって来ます。
意図して感じている訳ではありません。
当たり前ですよね。
「さて、そろそろ優越感でも感じてみるか🎵」
な〜〜んて思って感じられるものではありません。
だから、どんな感情も感じるときはとことん素直に感じるしかありません。
問題は、感情に対する抵抗なんです。
抵抗は、無駄なエネルギーの浪費です。
射殺されます。
私も周りが幸せだったら嬉しい。
それは間違いない(`・ω・´)
人の痛みを感じる=共感かなと思ってまず色々調べてみました。同情、共感、共感的理解、共感力とか。
「共感力が低い人の困った心理的特徴7つ」というページを見つけて、読んだら、当時の私そのまんまじゃないですか!しかも家の両親やちょっと遠慮したかった親戚、おまけに義父も。片付けられないとか、逆に極端な潔癖や不合理なこだわりもあるので、先天的な部分もあるのかなぁ。
深くかかわると心が萎えます。私の子供たちも大変だったろうね。早く独立した上2人は、金銭感覚やウツで配偶者に苦労させています。
私はたぶん当時より少しはマシになってると思いたいけど、どうなんでしょうね?
やっぱり良くないですよ共感力に欠けるのは。特に子供や近い人の心折りまくりです。へたしたら次世代に引き継がれるし。うちの一族、あっちみてもこっちみても、自活できない子供や大人いますよ。
バイブレーションがそうだとか
まるで魔法みたいです*
https://www.youtube.com/watch?v=VTEfybOSgUM
今の環境からさよならしたいです。
だから学んでいます!
もっとよくないー(~o~)
ケ・セラ・セラ
賑やかですなぁ。
mioさん、
そうそう。私達は劣等感を打ち倒して克服することばーっかり教えられたので、頭も偏ってしまってるんですよね。克服に焦点が行って視野が狭くなってる。
(´・ω・`)
なんならもっと劣っている方向に進んでみたら、どーなるの?
って、発想できない(笑)
かまくらさんも、
劣ってていい、いやいや、もうこの際、
「最高に劣ってみよう!」
くらい思ってみましょう( ^∀^)
案外、悪くないはずですよ。
相反するものは実は同じです。どちらも『真実』の応用ですねー。
もっとも劣っていると、もっとも優れているは、お・な・じ♪
さて、ウリエル、
「お金とこの世界と自分」について、改めていろいろ思ってます。
お金って、なんか物心ついた頃から、神様みたいなツラして、このウリエル「私」の中に居座ってます。
ウリエル、このニセ神様に、
「カネゴン」
と、名付けて、いま洞察しております。
さてはて、どーなることやら。
以前のコメントで書いた友人のご両親のあり方が、今、ものすごく参考になっています。(こんな場合はどうだったの?と細かくリサーチしました。)
おかげで、娘が情緒不安定で、へろへろになるほど手伝った後で、ボロカスに言われた時も、苦しかったけれど、全部いったん受け入れる事ができました。そのうえで、自分の意見を言ったら、聞き分けてくれました。
本当にありがたいことでした。今でもしょっちゅう失敗しますが、指摘されたらすぐにあやまるようにしています。
痛みをわかることではなく、わかろうとする姿勢が大事なのかな。
何かあるかなー(@_@)
わたし、底辺です。。。
しかし、かまくら、何がコンプレックスかって、よー分からんけど、側から見ると幸せそうに見える事ですかね。。。あはは、から笑。
何だろ?この人。。。強がりなのかなあ。
スーパーとか行けるだけでも嬉しくて、行けた!ルン♪ってなるから、よく分からないけど、スーパーの鏡とか見ると、わたし幸せそうで、、。
でも、かまくら、ほぼ引きこもりだし、幸せじゃないのになーって、思ったり。。
よく分からない変な気持ち有ります。。から笑。
騙してる感がヤなのかな。。
まいっか。。
何か呟きたくなりました。。
劣等感感じてると、どうしても、優越感も出てきてしまいます。。。
1つ1つ焦らずにがんばろー。。。
これ頂戴( ^ω^ )♪
で世の中通りませんよね・・・(´-ω-`)
生きるために着込んだ君だけが見える鎧は
見栄と外聞に怯えた
という歌詞が目に浮かびます。
『マトリョーシカ』