こりゃまた、たいそうなタイトルにしてしまった...... プラトンもニーチェもビックリである。
(`-ω-´)
そのうえ、思い描いていることをうまく伝える自信もまったくない。うん、こりゃ、どうなるかわかりませんが、行き当たりばったりで、とりあえず書き始めてみます。
「人は何のために生きているのだろう?」
この問いに対する答えは、おそらく、まだこの世界の中にはありません。たぶん、この先も誰も答えをこの世界の中に見出すことはできないと思います。
なぜなら、その答えは、
「この世界のため」だからです(`-ω-´)
世界の中に答えがあるはずがありません。世界全体、世界そのもののために生きているのですから。
...... (´・ω・`)
...... おい、こんなんでいいのかよ...... けっこう不安になるウリエル(笑)
先の記事で、どちらも『真実』のお話をしました。
私たちはこの世界、この宇宙の中に生きています。これは、紛うことなき『真実』です。
ということは、ひっくり返しても『真実』です。
私たちの「生きている」の中に、この世界、この宇宙があります。これも『真実』なわけです。
つまり、私たちが生きていないと、この世界、この宇宙はないってことです。つーことで、「人は何のために生きているのだろう?」
「この世界のため」(`-ω-´)
です。
あなたが生きていないと、この世界を見れないし、感じれないのです。
「人は何のために生きているのだろう?」
いちいち考えなくても、もう「この世界のため」に生きているわけですから、それでじゅうぶん。人生に意味はない。だって「人生」がすでに意味だから。
だから「何のために生きるか?」など、もう問わなくてよろしい。これから「いかに生きるか?」だけを問えばいいのです。
そこでニーチェ大先生は、このようなことを言いました。「いかに生きるか?」
「自分で選べ」
つまり、
「テメエの好きなように生きたらええねん」
ってことです。
なんやねんこれ(笑)
やっぱりアカンわ(´・ω・`)
ごきげんよう。
福井県と言えば永平寺が有名です。

が! 永平寺は放っておいてこちらに。
神社の参道に、夜更けと言うのに明々と明かりが。

実は小さな洋食屋さんがあるのです。
そこで食べられるのがコレ↓

「ボルガライス」!
福井県は武生のご当地メニュー(´∀`)
オムライスにとんかつのってます@福井県越前市
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本当の「自分」は、自分で自分を見ることができません。そこで肉体を作って自分を見ることにしました。
本当の「自分」は、この世界と思ってくだされ。
しかし、肉体は生きていますので、「人生」も作らなくてはならなくなっちゃった。というわけで作りました。すると分離した個人という主人公がないと「人生」にならない。つーわけで、仕方なく「私」も作りました。「私」がいると他人も必要なわけで、作りました。他人にもそれぞれ人生がないといけないわけで…
いろいろ作りすぎて、ちょっとわけわかんなくなってきたぞ?
あれ? そもそも、何がしたかったんだっけ?
(´・ω・`)
というのが、今のあなたです。
コウタロ上等兵、
ちょっとウリエル、富澤たけしです。
ですから、死ぬときはコロッと死にますし、死なないときは殺しても死なないのであります。
それだけのことなのであります。
しかし、それだけのことをココロに理解させるのに骨が折れるのであります。
難儀だっせ、ホンマ。
そう。だいたいみなさん、忘れてます。
(・ω・)
「いかに生きるか?」も、もちろん大事なのですが、
この『いま』のために、いまこの瞬間のために生きている。これも大事なのです。等しく大事。
(^ω^)
どーも「人生」の物語の方を、みんな気にしすぎなんですよ。
いまこの瞬間の世界を見て感じる。このために生きている。この視点も併せて持たないと、偏ってしまいぐるぐる回るのです。
いまこの瞬間の世界を見るために肉体を作り、眼を作ったんですから、
好きなことを見て感じているはずなんですよ。
(・∀・)
宮古島在住の姪が泊まりにきておりました。
島の男性諸氏はたいへんな呑み助で、午前中の飲酒運転の検問をやめねばならなくなった事情とか、お酒の〆はステーキかヤギ汁などの面白い話をいっぱい聞かせてくれました。
野良犬野良猫が普通に地域の人に可愛がられて歩いているそうです。
いいとか悪いとかじゃなくて、文化の違いは面白いですねー。
こういう様々な違いを「自分」は楽しんで感じているのかな?
「いかに生きるか?」考えることが、どんどん減ってきています。何故でしょう?現状が難しくなり、人生が残り少なくなるほどに、肩の力が抜けてノーテンキになって行きます。
逃げ道がないからかな?逃げ道があるとつらいからね。
明日おかずを多めに作って玄関に置きに行きます。息子が送り迎えしてくれるそうです。きっとやりすごせるでしょう。
ほったらかしの人が何ともなかったりします、マジで。
ガチで無防備って最強?
だいたい大丈夫なんですが、3年前のゴールデンウィークにかかりました。病院休みだし季節外れだったので、そうとは気づかず、自力でなおしましたよ。ただ、両親に接触しないように気を付けました。念のために検査してもらったらインフルエンザでした。
なんでも今年は愛知県はワースト1位なんだそうです。
(´・ω・`)
ちなみにウリエル、ワクチン打ったことありません。だからインフルエンザらしき病にかかります。
なぜ「らしき」かと言うと、別にインフルエンザくらいで医者に行く必要がないと思っているので、定かではないからです。
夏風邪は医者に行きます。治らないから。でも冬場の風邪や高熱で医者に行ったことがありません。
とくに高熱は一晩寝たら、次の日にはだいたい良くなってしまいますので。薬もいりません。
ダラダラ長引く風邪のときだけ市販の風邪薬で済まします。
ふと、私のようなものが、インフルエンザのウイルスをばらまいているような気がしてきました。
じわりじわりと地味に人生で体験を積み重ねて行く内に、段々と確信が深まって来ました。
人は、自分が体験する必要がある事を体験しています。
体験する必要が無い事は体験しません。
だから、今体験していることは全てメチャメチャ貴重な体験なんです。
自分だけしか体験出来ない体験なんです。
無駄な体験なんて一切無いんです。
ビックリクリクリクリックリ🎵
コウタロ兄さんもそう思われますか?
私も、ただ受けて立つしかないと思います。貴重な体験とは未だ思えませぬが。猫やメダカと遊ぶための税金みたいなものかなと思っています。
どうせこうなるに決まってるみたいな。
ねねさんだけじゃないですけど。
大方の人がそうなのかもね。
決めつけてたらメダカさんに真剣に打ち込めませんもの。でも意識下でそうなのかなぁ?
今年は色柄物の体外光をのばすことと、楊貴妃の赤味を増す事と、オロチヒレ長化に取り組みたいです。
>それはないと思っていますが
ねねさん(´∀`)
ないと思っているということは、「ある」んですよ。もともとワンネスだったものを「ない」と「ある」に分けたので。
「ある」と思っていないと、「ない」と言えません。つまり「ある」のです。
(・∀・)
あるかないか「わからない」が、正直な見方になります。
世の中、あらゆるものが、そんな構図になってるんですよ。
無責任な人は、「お前は無責任だ」と人から非難される全責任を自分で負ってます。
「私は責任感が強い」と思っている人は、責任さえ取れば何やってもいい、そんな無責任さを内包してます。
おもしろいでしょ?(´∀`)
未だ知識としての2元の世界なので、忘れてしまいます。
虫けらに意味はない=虫の一挙一動にも意味がある でしたね。
>「お前は無責任だ」と人から非難される全責任を自分で負ってます。
これは厳しいですねぇ。私には務まりそうもありません。
今のままでいいって思いと 何とかならないかなって思いと。
今を幸せと思えば充分だし 相対する思いとね。。
振り子のようだわ。振り子の真ん中はどんな思いなんだろ?振り子も動いてナンボで止まったら意味がないのかな(笑)
私は両親亡くしましたし 娘も居ないので ねねさんの事 うらやましいな〜(*^^*)なんて思ったりして拝見しています。無いものねだりです♪
おかげさんでよぉ、濃厚な親子関係体験させてもらっとるけんどよぉ、まぁ、かにしてちょーと言いたなる時もあるでかんわー。
なぁんて今どきの愛知県民は言いませんよね。(´∀`)
ゆかさん、
「いちばん楽しいこと」
を、やれるように生きればいいのです。
でもね、今の人、ほとんどの人が、
「いちばん楽しいこと」
が、わからなくなってるんだよ。誰も突き詰めなようとしない。ただ漠然とお金や時間があって、美味しいもの食べて旅行とか行けば楽しいと思ってる。
いちどちゃんと探ってみないとね。
ウリエルのいちばん楽しいのは、
「景色が変わって行くのを見ること」
だった。だから仕事でも、近所のコンビニでも「行く」のが楽しい。歩いてでも、車でも、そこに行くために動いて、見えるものが変わって行くのが楽しい。思い起こせば、子供の頃から、学校より
通学路(・ω・)
が、大好きだった。学校に行きたくないときも、通学路が好きだから休まない、休めない(笑)
それに気づくと、おのずと生き方も見えてくるよ。
ウリエルは「行く」ことを続ける。そのための人生なのさ。お金がなかったら歩けばいいし、歩けなくなったら、車イスもある。
「行く」以外、あとはぜんぶオマケだ。
なぜメダカが好きなのか、突き詰めたことありますか?
(・∀・)
ぜひ突き詰めてくださいな。
何が楽しいのでしょう?
みなさんもぜひ。
これを忘れてしまっているから、生きるのが難しいのです。原点を忘れていたら、何がなんだかわかりません。
自分に起こってくる出来事、出会う人々……
それらは全て自分にとって必要だから起こり、必要だから出会うのです。
それらを好むと好まざるとに関わらずです。
何のために必要か?
自分が大好きな事を極める為に。
そして芸人の世界では、それらの出来事や人々の事を、芸の肥やしと呼びます。
ええ、もう、それは決まっています。メダカさんは生命の神秘、神様の奇跡の塊だからです。
長生きしても3年。そのわずかな間に誕生、生育、産卵、病気や老死すべてが詰まっています。
特にわずか1ミリの透き通った卵に眼ができ、クルクル動くようになり、針子が産まれたときの感動は、何度見ても褪せることはありません。まさに奇跡です。
更に最近は様々な色、柄、体型、ヒレの形、金属光沢やラメのある品種が現れ、それが遺伝の法則にのっとって伝わっていく。地味な川メダカにそれだけの力が秘められていたんです。自然界では生命維持にむしろ不利に働きます。人間を喜ばせるためとしか思えません。驚きと不思議の連続です。
けれど、もしも寿命が10年あったら、又は体長が10センチ以上あったら、購入や繁殖にもう少し慎重になったかもしれません。
「いちばん楽しいこと」
ねねさん、まだ奥というか、もっと原初の楽しいことがあるよ。
それがあるから、メダカ、生き物、そして生命の奇跡が楽しいってヤツ。
それはもっと原始的で、だけど物心ついたときから、一貫してブレずにやり続けてる。
それに気づいたら、もう悟らなくてもいい。
だって、それを見るためにこの世界を創造したんだから。
すべてが、それを中心に動いているのがわかって、すべて与えられていることもわかる。
それが、この世界の意味、「人生の意味」なんです。
(´∀`)
コウタロ兄さんは、芸のこやしのために芸をしているみたい(笑)
コウタロ兄さんは、きっと身体を動かして、そして大きな声を出すために、この世界を創ったんじゃないかと思ってます。
(^ω^)
「いちばん楽しいこと」をやれるように生きる。ですね。
ウリエルさんも、コウタロさんも、ねねさんも、まさに常々やっておられる!
私も、ちょうど昨日の夕方、やらなきゃなんないことが色々あったんだけど、
どーしてもバイオリンで「タイスの瞑想曲」という曲が弾きたくなって、
下手くそなバイオリンを久々に練習。
その後、娘に「ピアノの練習したー?」と言ってたら、
逆に自分の方がどーしてもピアノを弾きたくなって、
昔弾いてたけど今は指が回らない、ショパンのワルツを弾き…。
夕飯の支度も大幅に遅れたけどウキウキしましたー♪
あ、でもそうかと言って、全然上手くは弾けないんですよ。
というように私の場合は、「奏でる」とか「歌う」のが楽しいのかなと思います。
人前での演奏のためには、もちろん練習するし、よかったと言われると嬉しいけど、
歌ったり演奏して聞いてもらって喜んでもらいたいわけではなく、
ただ自分がメロディーを奏でたいのかなー。
昔は無邪気に歌ったり弾いたりしていたはずだけど、
他人との比較とか、上手な演奏をしなきゃとか、怒られないようにとか、認められたいとか、
色々なことが絡んできて、本当に好きなことを忘れて、楽しんで出来なくなっていったような。
でも思えば、演奏するのがイヤになった当時も、今も、自分の中では常に歌っているんですわー♪
また長くなってしまった、すみませんm(_ _)m
(・∀・)
「景色が変わる」
のを見るのが楽しいウリエル。だから歩くの好き。車や自転車やバイクや、あらゆる乗り物に乗るのが好き。
遠くに見えてたものが、近くになるのがおもしろい。近くになると、さっきまで見えなかった遠くがさらに見えて、また行かなきゃならない。次から次へ止まらない。
動いているのを見るのも好き。景色が変わるから。
さっきまでいなかった鳥が飛んできた。これおもしろい。景色が変わったから。電車が走ってきた。おもしろい。景色が変わったから。風で草木がゆれる。おもしろい。
でも、公園とかに保存されて動かなくなった機関車とか見ると悲しい。景色が変わらないから。鳥や動物の写真も興味がわかない。絵画も興味がわかない。景色が変わらないから(笑)
海の波とか川の流れとか、おもしろい。常に変わって行くから。
月とか星はイマイチつまんない。変わるのがゆっくりすぎて(笑)
植物もゆっくりすぎるなー。
景色が動いていないと苦痛。なので、じっとできない。だから通信簿には6年間、「落ち着きがない」と書かれた。
(´・ω・`)
家でじっとしてるとイライラする。動かない景色が耐えられない。だから自分が動きたくなる。風邪で寝込んで動けないときは、外に出て行くために治そうとする。
こんな感じ。
瞑想(・∀・)
風呂・温泉
勉強・読書など。
ぜんぶ、辻褄合ってるよ(・ω・`)
ちなみ読書は、電車の中とか海辺とか、景色が動くところなら集中して読めることに、大人になってから気づきました。
今でも、本を読むために電車に乗ります。
マグネっち。もっと歌え。
それが、あなたの瞑想だ!
(`・ω・´)
そして、それが「人生の意味」
音楽のため、というかメロディーとかリズムのために、この世界を創ったのかな。
しいていえば、刻々と移り変わっていくものを感じたいかなぁ。
季節が移り変わっていく様子を感じるの好きです。衣替えは大嫌いだけど。
泳ぐのは嫌いなのに、水がキラキラ光ったり、川が流れているのを見るのは好きです。
渡り鳥とか、小鳥の子育てを観察するのも好きです。
お部屋でじぃっとしてるのは大好きですが、たいてい興味のある本を読んだり、調べ物をしたり音楽に聞き入ったり。頭の中の景色が変わっていくのを楽しんでますねぇ。
ほぼ引きこもりですが、私もたぶん落ち着きはありません。(笑)
幼少の頃、何をやって、何を面白がっていたか思い出してください。
(・∀・)
それをずーっと一貫してやっているから、今もメダカが楽しいのです。
そんなことのために、思い出すため記憶まで創ったんですよ。
スゴイとしかいいようがないです。
(´∀`)
好きな事は 実は今もやっているのでしょうか?
忘れてしまって 思い出してないのでしょうか?
趣味的な事 飽きてやめてしまってるから 今までやってきた事は 私は違うんだろうな〜
それを見つけるの とりくんでみます(*^^*)
ウリエルさんが言ってる事はメッチャ単純明快で素朴です。
原始的大好きは、ボクの場合全くその通りです。
大声出してリズムに合わせて身体を動かすのが大好き。
それから、動物や鳥の鳴き真似が大好き。
ガキの頃からな〜んも変わってないです。
イヌやネコやサルやニワトリだった頃を思い出しているのでしょう🎵
おままごとで、空いた牛乳瓶に泥水入れてコーヒー牛乳作ったり、雑草きざんでご馳走作ったりは楽しかったですねぇ。
当時から動物大好きで、蝶々やセミおいかけたり、お蚕さんや青虫を飼って世話するのはとってもワクワクして楽しかったです。鈴虫や色々な川魚も世話してましたよ。
野菜刻んでおかず作ったり、コーヒーやお茶いれたり。
動物たちの世話したり。あらら。
椅子に座って、動かない景色の中にじっとしていることが苦手ということに、改めて気づく。
(`-ω-´)
ねねさん、そうそう。
そんな感じで掘り下げて行ってね。野菜を刻むのと、ネコやメダカの世話に共通して、何か感じているものがあるでしょう?
(´∀`)
すぐには気づかないもんです。あまりにも当たり前すぎて。
コウタロ兄さん、やっぱり♪
おもしろいですよね。タンプダンスをしたいから、アメリカとか黒人とか創って、この世界の中の国がそれだけじゃおかしいから他の国も創って、みんな踊れたら意味がないので、踊らない人も創って......
イヌやネコやサルやニワトリだけじゃおかしいから、何万と言う生き物も創って、ずっと踊ってたらつまんないので仕事とか創って、その仕事で出会う人も創って、関係ない通行人Aも創って、
創って創って、
ちょっとやりすぎちまった!
って、おかしくなってきちゃいます。
(´∀`)
のめり込んで歌っている時や演奏してる時はもちろんだけど、
心の中で秘かに盛り上がって歌ってる時にも、なんと無思考になってることに気づいた!
まさに瞑想状態です。
思考を止めるために瞑想しなくてもいいやんけー!
景色が変化して行くのが大好き。
メダカに生命の神秘を感じるのが大好き。
歌うのが大好き。
踊りが大好き。
これらの原始的大好きをさらに原子化させると、イノチの躍動感みたいなものに辿り着きますね。
この世界は一見複雑に見えますが、実はそれぞれがそれぞれの個性で無意識の内にイノチの躍動感を表現しているのですね。
休みの日には一日中パチンコ屋にいるオッサンも、パチンコの玉にイノチの躍動感を感じているのでしょう。
「結局三万円負けてもた」
とか言ってますが、本当は勝ち負けなんかどうでも良いのでしょう🎵
昨日、意識しつつすごしたのですが、ちょっとよくわかりません。みぞおちと鎖骨の間に、心地よい感覚はあります。嬉しい系かな。その感覚は下に向かって徐々に拡散していきます。
料理は、今や仕事になってしまったので、動物と同じ感覚はしないですねぇ。でも、家事のなかでは、一番取り組みやすいです。掃除とは全然違います。💦
最近仕事で限界を感じる事が多いです
ちょっとづつ仕事が増えてもう手に負えないわと(´・ω・`)
上記の内容には関係ないですがさっき感じた事…
このテーブルに触れられるって凄い事じゃない?
って思って何かワクワクのようなドキドキのようなそんな物を感じてました
おもしろーい(・∀・)
てな感じが(笑)
音って何で聞こえるのかしら
いや、科学的に説明つくだろうけど…
この世界って凄いわぁ(・∀・)
ほんとすごいわぁ
ん?こういうのを見たいから作ったんかしら?
その判断すごいね、君ぃ!
こうなって来ると、「私」がいやな事があって嫌な気分になっていても、ほうほう、そう判断するんだ、その判断能力すごいね、君!ってなってしまう(´・ω・`)
人間の世界は、ココロが暴走してますね。
ココロに主導権を与えてしまっているからロクな事をしない。
原始的大好きも、ココロには絶対に分からない。
でも、キャラダはちゃんと知ってる。
キャラダに聞いてみよう。
キャラダに主導権を返そう。
ココロはキャラダの後から黙って付いて行けば良い。
万事上手く行く。
煽り運転殺人も無くなるでしょう。
ねねさん、
意識してもわかりません(^ω^)
あるとき、「あ!」って、気づくもんですから。
コウタロ兄さんの言うように、キャラダ君の声に耳を傾けていた方がよいです。
Medjedちゃん、
>このテーブルに触れられるって凄い事じゃない
そう(・∀・)ノ
この感覚もステキだよね。
ウリエルは「かたい」がおもしろい。
幻想のくせに「かたい」んだぜ!(´∀`)
この「かたい」が大好きすぎたら、きっと石工とか鉄工所の親父になってたんだろうな。
好きな事をするときは、どんなに疲れていても、炎天下でも、激寒でも時間を忘れて、熱心に取り組めますよ。しかも楽しんで。自分は本当にこれが好きなんだなぁーと思います。
その好きなことを、もっと正直に突き詰めるんですよ。
(・ω・)ノ
生命の神秘の何が好きなのか?
何に喜びを感じているのか?
突き当たったたき、場合によっては、メダカを飼うことを終えてしまうかもしれない。
それでも突き進んでくださいな。
メダカを飼うのをやめるなんて・・・・いやん!
ん〜。あえて言うと、自分自身に深く深ーく潜入していく感じかな?メダカやなく。
(^ω^)
なぜ好きなのか?
これを深く突き詰めることによって、本当の自分が見えてくるんですよ。
まあ、偽りの「好き」も見えてくる場合もあります。
「誰かに認められたいから」とか「人より優位に立てるから」とか、「軽蔑されたくないから」とか「普通でいたいから」みたいなものが、かけらでもあると、苦しみだらけになるし、寂しい人生になりますね。あと「『いいね』が欲しいから」とか(笑)
ねねさんは、「色」が好きなんじゃないかなぁ?
>その判断すごいね、君ぃ!
あはは(^ω^)
もう「本当の自分」視点になってるじゃないですか。
「で、この肉体、誰?」視点
(´∀`)
なんでこの肉体を創って、この世界を見てるのか忘れてしまったんです。「私」に没頭しすぎて。
思い出したいね。
好きなことを突き詰めてみてください。
彼は誰かに認められたいとか、人に何か誇りたいとか、充実した人生にしたいとか、
一切ないよね(笑)
ただ純粋に、
「魚を見ていたい」
だけの男(・ω・)
それでどんどん人生うまく流れて、素晴らしい人生に勝手になってる。
ZOZOのシャチョさんは、服が好きそうでもないし、お金が好きそうでもないよね。商売が好きそうでもない。
コレ、お金山ほどあるげど、人生苦しみだらけだと思うよ。苦しみから抜けようとして、迷走してるんじゃないかなぁ。
色ですか。どうかなー。色とりどりの花を栽培する気にはならないし、美しい景色もわざわざ出かけてまで見に行きたくはないです。芸術作品も。お洋服も地味だし。
生きて動いているという要素は欠かせないですね。餌くれダンスとか楽しいです。あと、やはり卵からどんどん成長していく姿。そこに色や美しいヒレの形がプラスされると楽しさは倍増しますね。
じゃあ、きっと、
「動く生き物」
を、見るために、この世界を創造したのですよ。
(´∀`)
その視点で生きましょう♪
私がやりたい事ってなんだろなぁ
作る事、多肉植物(他はあまり興味なし)育てる事…
そろそろ刺繍がしたいかも
へったくそだけど
たまにほんとたまーに、動かない奴を感じる
歩いていたら壁が迫って来る
携帯を持っていると、上手く言えないけど、なんだろな、溶ける?ふぅっと緩んで…上手く言えない(´・ω・`)
意識するとダメだ
気のせいなような気もするけど…
カエルさんは最近ちょっと慣れてきました。見るだけなら、ベルツノガエルとか可愛いなぁと思います。
(^ω^)
ねねさんの苦手な生き物は、「にんげん」ではないかと思います(笑)