前回の記事で「自由」というのは、
「自己イメージ」が全然ない状態と述べました(´∀`)ノ
では、この「自己イメージ」ってなんでしょう? うーん、説明しにくいですね。まあ、ウリエル的に言うと、
脚色された自己意識
ってことになりますかね。これではイマイチわかんない?
そもそも「意識」って、まったく真っ白というか、透明というか、なにもないというか、ただ「意識」でしかなんですよね。いちおう辞書で調べてみましょう。
意識=「自分の今ある状態や、周囲の状況などを認識できている状態のこと」
だそうです (・ω・`)
そうなんですよ。意識そのものには、どんなイメージもありません。「意識」をイメージしてみてくださいと言ったところで、そんなもん出来ないんです。
だから「自己」がついた「自己意識」も無色透明なものなんです。ただ「私」だけなんですよね。
そこに何らかの脚色が入るわけです。「○○である私」という風に。これが「自己イメージ」です。「男、女である私」とか、「日本人である私」という感じ。
性別や国籍なら自己イメージとして持っていてもとくに問題ありません。逆にないと不便かもしれません。お風呂屋さんの前で「男湯と女湯、どっちだっけ?」と迷うとか、そういう事態になってしまいます。
無色透明だった自己意識に、ある程度の自己イメージがあるから、私たちはスムーズに暮らしていけます。
ただ、必要のない自己イメージ、または必要のなくなった自己イメージをいつまでも持ち続けていると、少々生きづらいです。
わかりやすい例を言いますと、「東大卒である私」という自己イメージを持っている人がいたとしましょう。でも、その人が子供でもわかるような問題をうっかり間違えてしまったら? そのうえ、
「こんなの子供でもわかるに間違えたの?」
とか、言われてしまったら……?
少なからずショックを感じるかもしれません。傷ついてしまうかもしれませんねー。
「こんなの子供でもわかるに間違えたの?」と言った人も、別にバカにするつもりもなく、ただ「うっかりしてただけだよねー」のつもりでそう言っているのに、「東大卒である私」という自己イメージが強すぎると、そんなふうには受け取れず、バカにされ、せせら笑われたと思ってしまい、
「おぼえていやがれ、この低学歴!」
とか、胸の内に憎悪の念をいだくかもしれません。さて、このふたりの関係を修復するのに、いったいどれほどの労力が必要となるかと思うと、いささか気が重くなります。ハイ……
(´・ω・`)
こんなふうに、必要のない自己イメージを持つと、いろんなところで軋轢が起きます。子供でも解ける問題を解くのに、わざわざ「東大卒」という自己イメージはいらないんです。
というわけで、まずは必要のない自己イメージを、自分がどれだけ持っているか探してみましょう。すると、面白いことに気づくと思います。いや、気づいてください。
自己イメージって、その大半は、
必要ありません(´∀`)
必要なものも、必要なときってごくわずかです。お風呂屋さんで男湯か女湯か選択するときぐらいです(笑)
「私はつらい経験をたくさんしてきた」
それ、今はもう必要ないですよ。
「私は人前で緊張する」
それって今までの話で、次はわかんないじゃないですか。
「私はここぞというとき、だいたい失敗する」
だから、次はわかんないって。
「私は貧乏」
わざわざイメージまでしなくてもいいじゃん。実際にお金がないんだから。
「私は身体が不自由」
だから、わざわざイメージしなくていいって。こっちだって見りゃわかるから。
「私はマジメ」
それは、こっちが決めることです……
そして、自己イメージは無意識の中にもたくさんありますよ。私たちは自己イメージの鎧で全身をおおっていると言っても過言ではありません。私たちの苦しみのほとんどは、結局、自己イメージがモトなんですよ。
そんなたくさんの鎧を見つけてください。そのために自分の行動を観察するクセをつけてください。無意識の鎧に気づくには、
「どうして私はこうするんだろう?」
「どうしてこれが好きになれないんだろう?」
「どうしてこれに腹が立つんだろう?」
と、子供のように自分に問うてみてください。そして見つけた自己イメージを勇気を持って手放すことです。
「人間である私」という自己イメージを手放すと、そこは静寂そのものです。「悟っている私」も、「悟ってない私」もありません。
すると、『誰だかわからない』さんが、人生をまとって遊んでいることに気づけますよ。
それは、いつか得るのもではありません。
すでに『いまここ』にあるのですから。
ごきげんよう。

満月寺「浮御堂」@滋賀県大津市
あはは、昨夜は記事を書きながら猛烈な睡魔に襲われまして。
(´∀`)
何が言いたいのかよくわからん記事になってる。
あのですね、「私は〇〇だ」という自己イメージが、この世界を面倒くさく生きづらいものにしているんですよ。この世界を歪めてるんです。
ぶっちゃけてい言うと、自己イメージがこの世界を「かきかえ」してるんです。無茶苦茶な言い方をあえてしますと、本当は一億円持ってるのに、自己イメージがそれを百円に「かきかえ」てます。本当はうざいくらいに友人に囲まれているのに、自己イメージが孤独に「かきかえ」てます。本当はめちゃくちゃ健康なのに、自己イメージが病気に「かきかえ」てます。
そんなことが起こってるんですよ。イヤ、マジで!
でも、そんな自己イメージを手放すことは「死」を意味します。「私」をささえる屋台骨ですからね。生きるためにに必要なものをすべて失うような気持ちになるでしょう。
もうハッキリと言っちゃいましょう。
この肉体はいつか死ぬんだ。
「私」が死んでないにの、肉体だけ死ぬのは寂しいぜ。
先に「私」が死んでおけばラクだ。
MAKIさんは「束縛されている」というような、自己イメージを持っているわけです。
「私は自由でない」そんな自己イメージ。
(・ω・)ノ
その自己イメージが束縛されている世界に「かきかえ」してるわけです。
でも、ホントに自由になったら困るんです。
今の私でなくなってしまうから。もっと言うと私が「私」でなくなるから。さらにもっと言うと、「私」が死んで消えるから。
それを全力で防ぐために、この世界まで「かきかえ」しちゃってます。この「かきかえ」の威力は凄まじく、大雪も不景気も戦争もMAKIさんのせいです(笑)
この自己イメージを消し去るのは、とても簡単なのです。
MAKIさんが自由と思っていることすべてと、「縁切り」するだけです。
ね、「私」、死んじゃうでしょ(´∀`)
私の場合は無理やり従わせられてきたという自己イメージでしょうか?家庭については今はかなり改善されてそういう場面はほとんどないし、笑ってNOを言えるようになったんですが。でも、虐殺とか弾圧とかのニュースを聞くと反応しますね。笑
何と縁切りすればいいんでしょう?
なんか今回の記事、やっぱり、どこかなんかおかしいなー(苦笑)
まあいいや。テキトーに読んで違和感を感じたら、もっとテキトーに読んでください。
(´・ω・`)
ねねさん、
ねねさんの自己イメージがどういったものなのか、実際のところお会いしたことがないので、私には正確なところはわかりません。
まあ、会ってもわかんないんですけど(笑)
パワハラとか、虐殺とか弾圧とか、もちろんニュースを見聞きして不快を感じます。大半の人がそうだと思います。
その中で何に反応しているのかを、よーく探してみてください。何かに恐怖を感じているとか、何かをコントロールしたがってるとか。その何か。
たぶんエネルギー的なもので、ハッキリとコレと言えないもんだと思います。自分を守ろうとしている「気持ち」みたいなもんです。
それをじっくり感じてみてください。
最終的に自己イメージって幻想なんですよ。そんなもんないんです。今日、この世界に生まれたとしたら、その自己イメージなんてないですよね。その状態が本当の自分であることに気づくんです。
それに気づいてしまえば、自己イメージがいくらあっても、もうかまわないわけです。とらわれているようで、離れている状態になりますから。
おはようございます
大雪も不景気も戦争も
私のせいですか笑(≧∇≦)
自由と思ってるものと縁切りしたら、私死んじゃいます(><)
おぉーなんかコワイ
自由がなくなったらコワイ(・・;)
自由って一体なんなんだろう
もしかして『自由』という名の、
ぶら下がった人参を追いかけてるだけなのかな(^^;)
窮屈で束縛されるだけの人生になると思ったら、それも無くなっちゃうのか❕❕
でも、根強いです。自由がなくなるって思うだけでかなり恐怖を感じちゃいます(>_<)
あ、なんかほぐれてきました。自分は何をやっても結局うまくできない、責められるしかないという劣等感や恐怖感ですね。その部分が虐殺のニュースで刺激されてるように思います。よってたかって責められたり馬鹿にされるという恐怖。
根本的に自分も人の優しさも信頼できてないんだわ。だから、駄目な自分はアリさんになってコツコツ働く以外に生きる道はないっていうか。
今現在はダメダメなりに、人に迷惑かけない程度にやれてると思います。やらねばならないことは怖くても割り切ってやるし。仮に責められるようなことになっても、すぐに立ち直れます。
なのに、なんでそういう自己イメージから逃れられないんでしょう?迷惑かける自分が受け入れられなくて小さい無理を重ねてるからかしら。
昨日はちょいと忙しかった。
MAKIさん、
そのとーりです。思考が考えてた自由がなくなったら、不自由もなくなります。それがホントの自由なんです。解放♪
(´∀`)
そのことにMAKIさんのマインドは気づいているわけです。ぴよんたさんの言う上丹田。そいつは気づいてる。
でも、「私」がそれを認めない。感情という接着剤で、ハートの中に「自由&不自由」という分離をがっちり固定してるわけです。この「自由&不自由」が自己イメージ、すなわちに私」を作ってますので。
しかし、マインドが気づいてしまった以上、やがて接着剤ははがれますよ。そうなるようになってますので。
だから、今はただその「怖い」という感情を感じながら見つめてください。そのうちなんかわかってきますので。
結果、勝手に接着剤がはがれるか、エゴでエゴを削るようにはがすようになるのかは、わかりませんが。
ま、あんまりいろいろ考えず、感じて見つめてみるってことっス。
(・ω・)ノ
ねねさん、急がないで
(´∀`)ノ
私たちが暮らす今の社会は、回答を見つるのけるのが「はやい」ほうが良いことのようにされがちですが、必ずしもそうじゃないんですよ。
それにこの社会では、その回答が「わからない」というのなんてありえないわけです。でも、それも必ずしもそうじゃない。「わからない」も立派な回答です。
さて♪(・ω・`)
「迷惑」というワードが何回か出てきましたね。おそらく、自己イメージの形成に関わってます。
「迷惑をかける」って、いったい何でしょうね?
迷惑をかけてないつもりでも、迷惑をかけているかもしれません。
そもそも、誰にも迷惑をかけずに生きるって可能でしょうか?
逆に迷惑さえかけなければ、それでよいのでしょうか?
「迷惑」って、一体ナニ?
いろいろ考えて「黙考」してみてください。
答えを出そうとせずに、ただ「迷惑ってナニ?」をハートに抱いてじっと静止してください。そして感じてください。
何らかの答えが一ヶ月後くらいにポロッと出てきます。
(´∀`)
黙考は強力な手法ですよ。
「答えはすべて内にある」
それを引き出すのが黙考です。
ファイト!
闘う君の唄を
闘わない奴らは笑うだろ
ファイト!
冷たい水の中を
震えながら登って行け
ファイト🎵
コウタロ兄さん、相変わらず前向きですね。すごいな!
ウリエルさん、ありがとうございます。急いでるわけではありませんよ。本当に一つだけ何かがはずれたみたいです。今まで知らなかった自分が出てきておもしろかったんです。
迷惑という言葉には弱いですね。安心して迷惑をかけあえる間柄にちょっとあこがれますね。
出産直後に親子で捨てられた猫ちゃんを拾ってしまってから、迷惑かけ通しなんですよ。壊すし汚すしイタズラするし。でも大切な存在です。
迷惑についてじっくりと黙考してみますね。
なんか知らんけど、めっちゃグッと来ました🎵
なるほど〜。ただひとり、思い定めて進もうとしている人への励ましの歌ですね。胸に沁みました。
たこ焼き、焼きまくった。肩ひじ腰が痛い。
昔はこんなことなかったのになぁ…
(´-ω-`)
コウタロ兄さんらしいなぁ(´∀`)
コウタロ兄さんは、チャレンジとファイト、これを表現したいんだ。
勝ち負けとか成功失敗なんて、どうでもいい。
闘う『いま』がすべて!
闘ってナンボ!
それを楽しめば、それでいいんだー!
突発的にアクセス数が飛び跳ねて増えるナゾ。
(・ω・)
まあ、雑談ですが、
政治とかのニュースが騒がしいですが、見ててふと気づいた。
「政府」ってその本質は、ただの文章とハンコだったんだー。
( ゚д゚)
なんだ、国って紙切れでできてたんだ。法律も憲法も、あらゆる宣言、契約、ぜーんぶ紙切れだもんね。
今まで生きてて、初めて気がついた(´∀`)
すっごい「まやかし」だよね(笑)
他にもまだまだたくさんあるんだろうな。こういうコト。
(・ω・)ノ