この身体や思考を自分と思っている限り、「自由」にはなれません。
「私」が「自由」になることはないのです
もちろん、「私」が何かがんばって、一瞬、「自由」を得ることはあります。でも、それは、本当に一時的なものでしかありません。すぐに「自由」でない場所に戻ってしまうのです。そういう仕組みになっております。
ですので、「私」が「自由」になることは、あきらめてください。
(´・ω・`)
では、「自由」って、いったい何なんでしょうか?
それは、
「私」から「自由」になることです
この身体の中に閉じ込められた「私」、そこから「自由」になることです。それが真の「自由」です。この身体、思考、そして感情、これらぜんぶが自分ではないと気づくことです。
身体も思考も感情も自分ではないとすれば、この名前や性別や職業や年齢も、自分ではありませんよね。
そして、過去の記憶も自分ではありません。
というか、自分は人間でもありません。そもそも生物でもない。もちろん、何か霊的なものでも、天使でも、神様でもありません。
さらに、心も自分ではありません。(´・ω・`)
また、神秘体験や至福、喜びを体験した人なら、その感覚が自分だと思いたくなるでしょうが、それもまた自分ではありません。
「これが自分だ」と言えるものなんて、何ひとつないのです。
「これが自分だ」と言えるものなんて、何ひとつないが
「本当の自分」です(゜∀。)
ちょっと、わけわかんないね……
でも、「これが自分だ」と言えるものなんて何ひとつないなんて、ものすごく「自由」な感じがしませんか?
これが真の「自由」なんですよ。
もちろん、「見ているヤツ」も「静寂」も、よーく観察してみると、自分じゃないことに気づきます。
というのも、それを認識している主体が、もうすでに自分じゃないんですから。何かを感じるその主体はすべて自分ではありません。
自分は何者でもない
そして、あらゆる感じることや、思うことは、すべて
自分とは関係ない
じゃ、「本当の自分」って何よ?
さぁーね(゜∀。)
ごきげんよう。
鎌倉の大仏でも貼っとくか。



@神奈川県鎌倉市