「本当の自分」は、マジで
「からっぽ」(´∀`)
です。ものすごーく「からっぽ」で、もう、
「からっぽ」に満たされてます。(´∀`)
言葉にするとわけわからん(笑) でも、あえて言葉にすると、そうなっちゃいました。
もし、あなたがすべての記憶を失ったら。名前も年齢も言葉も知識もすべて、なにもかも。それは生まれてすぐの赤ちゃんと同じ状態です。そうなったとしても「自分」という感覚だけはあります。
そして、生まれてすぐの赤ちゃんは、この肉体すら「自分」かどうか知らない。この手や足があるのかも知りません。そんな状態を想像してみてください。それでも「自分はいる」という感覚はありますよ。想像しなくても、その感覚はずっとありますので見つけるだけです。見つけてください。いまここで、そうなってみてください。
それが「本当の自分」ですよ。
(´∀`)
それは、そのまま「静寂」で「空」です。
(´∀`)
なーんもありません。とてもシンプルです。
ここにずっといるだけでOKなんです。それだけでいいんですよ。この「からっぽ」のままでいればいいだけなんです。が、なかなかそうはできないんですよね。なんかよくわかりませんが。
(´∀`)
どんくらい「からっぽ」かというと、有るも無いも「ない」んです。無いが「ない」ので、有るも「ない」
だから、ただ「ある」のかもしれない。その有るのか無いのか、もうなんかよくわからん感覚にじっと静止するだけです。これが、
『真実』を体現する
って、ことなんですけど。
そして、「からっぽ」に静止しているときだけ、「からっぽ」はいろんなヒミツを見せてくれます。静止しているのに、まったく静止していません。イキイキと「からっぽ」は「からっぽ」で満たされ続け動き続けます。
ただ、この「からっぽ」でいることに、ものすごく抵抗してしまうんですよ。なんか知らん間に、この「からっぽ」を、何か「からっぽ」でないもので満たそうとしているだけなんです。それを延々と続けているだけなんです。スピリチュアルですら「からっぽ」でない何かです。「悟り」も「からっぽ」でない何かです。『真実』も「からっぽ」でない何かです。もうハッキリ言って、「静寂」も「空」も「無」も、「からっぽ」でない何かです。
ホントになーんもないんです。
無いすら無いんです!
そこに誰もが招かれて行っているのに、抵抗しているだけなんですよ。ここは、こんなに面白くて豊かななのに。抵抗するのをやけるだけで、勝手に招かれて行くのに。
「無いすら無い」
んだから、「ある」しかないでしょ?
ったく、なんで、わかんねーかな?
ごきげんよう。
晩秋やね。



