2020年11月26日

「からっぽ」(´∀`)

ごきげんよう。(・∀・。) ピィーチュ


「本当の自分」は、マジで

「からっぽ」(´∀`)

です。ものすごーく「からっぽ」で、もう、

「からっぽ」に満たされてます。(´∀`)

言葉にするとわけわからん(笑) でも、あえて言葉にすると、そうなっちゃいました。



もし、あなたがすべての記憶を失ったら。名前も年齢も言葉も知識もすべて、なにもかも。それは生まれてすぐの赤ちゃんと同じ状態です。そうなったとしても「自分」という感覚だけはあります。
そして、生まれてすぐの赤ちゃんは、この肉体すら「自分」かどうか知らない。この手や足があるのかも知りません。そんな状態を想像してみてください。それでも「自分はいる」という感覚はありますよ。想像しなくても、その感覚はずっとありますので見つけるだけです。見つけてください。いまここで、そうなってみてください。

それが「本当の自分」ですよ。
(´∀`)

それは、そのまま「静寂」で「空」です。
(´∀`)

なーんもありません。とてもシンプルです。

ここにずっといるだけでOKなんです。それだけでいいんですよ。この「からっぽ」のままでいればいいだけなんです。が、なかなかそうはできないんですよね。なんかよくわかりませんが。
(´∀`)

どんくらい「からっぽ」かというと、有るも無いも「ない」んです。無いが「ない」ので、有るも「ない」
だから、ただ「ある」のかもしれない。その有るのか無いのか、もうなんかよくわからん感覚にじっと静止するだけです。これが、

『真実』を体現する

って、ことなんですけど。

そして、「からっぽ」に静止しているときだけ、「からっぽ」はいろんなヒミツを見せてくれます。静止しているのに、まったく静止していません。イキイキと「からっぽ」は「からっぽ」で満たされ続け動き続けます。


ただ、この「からっぽ」でいることに、ものすごく抵抗してしまうんですよ。なんか知らん間に、この「からっぽ」を、何か「からっぽ」でないもので満たそうとしているだけなんです。それを延々と続けているだけなんです。スピリチュアルですら「からっぽ」でない何かです。「悟り」も「からっぽ」でない何かです。『真実』も「からっぽ」でない何かです。もうハッキリ言って、「静寂」も「空」も「無」も、「からっぽ」でない何かです。

ホントになーんもないんです。

無いすら無いんです!

そこに誰もが招かれて行っているのに、抵抗しているだけなんですよ。ここは、こんなに面白くて豊かななのに。抵抗するのをやけるだけで、勝手に招かれて行くのに。



「無いすら無い」

んだから、「ある」しかないでしょ?

ったく、なんで、わかんねーかな?


ごきげんよう。


晩秋やね。
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posted by 笑うウリエル at 13:15| Comment(70) | 全体へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月20日

「ゼニカネ」2(`・ω・´)

ごきげんよう ヾ(・ω・)┌┛三三三

この日本では、ほとんどの人が

「お金が欲しい」

と思っています。それを隠さず表現する人と、隠している人がいるだけです。

「お金なんかいらない」と、強く主張する人もいますが、それも「お金が欲しい」の裏返しにすぎません。「お金が欲しい」と思うことは汚らわしいし恥ずかしい。それは、まず「お金が欲しい」と思っていないことには思えません。
つまり「お金なんかいらない」と自らをだましているだけで、根っこは「お金が欲しい」とまったく同じです。
(・ω・)

では、なぜ人は

「お金が欲しい」

と、思うのでしょうか?(・ω・)

考えたことあります? なぜ?(・ω・)


私ウリエルは、「お金が欲しい」と思うことが悪いことだとかは思いません。そう思っているのなら、それを正直に認めなさいということです。それが『ありのまま』です。ウリエルも欲しいですよ。
でも、「お金が欲しい」が、いったいどこからやってくるのかを知っておかないと、この人生は「お金が欲しい」だけで終わってしまいます。それはちょっと残念ですよね。
(´・ω・`)


あなたはなぜ「お金が欲しい」のですか?(・∀・)

それはね、あなたが

「空」で「無」

だからですよ。そして、あなたは真実、

「生きてもいないから」

なんですよ(・∀・)ノ


「生」はとても虚しいです。人生に意味はありません。そもそも「生」があるのかどうかも、ハッキリと証明できません。今、自分自身が間違いなく生きているのかもわからないんです。もしかしたら幽霊かもしれない。

仮に「生」があるとしても、やがて「死」が来ます。そのときはあらゆるものを置いてあの世に行かねばなりません。結局、人生になーんも意味なんてありません。すべて「無」に帰ります。ブッダも言いました。

「諸法無我」

「あらゆるものに実体は無いんだよ。この自分ですら無いんだよ」そう言ったのです。私たちはホントのホントに、

「からっぽ」

なんです。(´・ω・`)

みなさん、心のどこかで、この虚しさ、からっぽさに気づいていますよね?
どんなに立派なことをしても、どんなに人から称賛を受けても、ホントのホントはそれに意味がないことに。子供の頃から、うっすら気づいていますよね?

そう、うっすら気づいているからこそ、「からっぽ」を

「何かで満たしたい」

という気持ちが起こるわけです。虚しいのはイヤなのです。「からっぽ」はイヤなのです。その「何か」はいろいろあります。地位、賞賛、人間関係、恋人、知識、安心、人格、徳…… 何かで満たして、生きることに意味を持たせたい。そこでいちばん手っ取り早く、いろんなことができる力を持っている「お金」というもの。これで満たせば、豊かで充実した人生、仮に意味がなくても、楽しい人生を送れるような気になる。安心できる人生になる。それが、

「お金が欲しい」

の、やってくるところです。ハイ。


やってくるところがわかれば、大事なことに気づけます。「お金が欲しい」がやってくるということは、人生の虚しさ、自分の「からっぽ」さに無意識に気づいているからこそなんですよ。
(・∀・)

人生は虚しい

みなさん、心のどこかで気づいているはずです。だから、

人生に意味はない

これを真摯に受け止めてください。「諸法無我」です。全宇宙に実体もなけりゃ意味もない。「からっぽ」すぎるぐらい「からっぽ」です。「からっぽ」なので、一秒後すらどう変化するかわかりません。

人生には安心もない

虚しいです。(´・ω・`)


そう、生きていると、しばしば「虚しさ」を感じます。その「虚しさ」をたっぷり感じてください。逆なんです。「歓び」は「からっぽ」を満たすものではありません。また、何かで「虚しさ」を満たせば「歓び」がやってくるものでもない。「歓び」があるところは、

「虚しさ」をすべて受け入れた向こう側です

「虚しさ」イコール「歓び」なんですよ。


あなたの心にある「お金が欲しい」、または「お金なんかいらない」から、人生を何かで満たしたいという「こだわり」に気づきなさい。
人生を何かで満たしたいという「こだわり」があるということは、ホントのホントは「人生に意味がない」ということを知っているからです。それを引っ張り出して感じなさい。

人生を何かで満たすことなどできません。あきらめてください。

だって、これ以上、満たせないんですから。

これ以上満たせないのになお、『誰だかわからない』さんは次々にワクワクを与えます。これが、あなたの本当の

「この世界でやりたいこと」

です。

そのときはもう「お金が欲しい」も「お金なんかいらない」も消えます。ただ「やりたい」だけになります。ただ「欲求」です。内側から湧き上る欲求。このエネルギーは何かで満たしたいという「欲望」とは異質の何かです。純粋で透明なエネルギーです。

こんなエネルギーがあるのか!

あなたは感動と感謝でいっぱいになります。そして、驚くことに、そのエネルギーが、

お金も持ってくる

のです。必要な分どころか、余るくらい。

ごきげんよう。


秋らしい画像を(´∀`)ノ
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posted by 笑うウリエル at 00:44| Comment(61) | 全体へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年11月15日

「ゼニカネ」(`・ω・´)

ごきげんよう ヘ(゚д゚)ノ ナニコレ?

スピリチュアルの探究をしていて、とても奇妙で厄介に感じるものがあります。
それは、ズバリ、

「お金」 ヘ(゚д゚)ノ

です。

私たちは、ある程度ものごころがついたころから、お金はとても大事なものだと教え込まれすぎてしまっていますよね。今の世の中、何をするにもお金が必要で、お金がないと何もできない。まるで、お金は何でもできる神様のような扱いを受けています。

そう、この現代の日本という国に生きていると、まさに、

「お金は神様」ヘ(゚д゚)ノ

なのです。お金なんて人間が勝手に作り出した概念にすぎないのに、あたかも、お金はこの世界で最も価値があり信頼できるものと、みなが思っているのですから。神社や教会にいる神様は、生活を少しも楽にはしてくれませんが、お金は確実に生活を楽にしてくれます。実際、神様より信頼できますよね。この国に生きる人々は、みな、もう、

「お金教」

という宗教の信者です。これを「拝金主義」とも言います。私たち日本人は程度の差こそあれ、

全員が「拝金主義」

なのです。これをまず、自覚する必要があります。

世界中の人が「拝金主義」なのかというと、そうでもありません。例えばお隣の中国の人々はお金をあまり信用していません。政府が変わればそんなもん紙屑になる、消えてなくなるということをよく知っています。だから手にしたお金はなるべくモノに変えます。その結果、爆買いなんてします。でも、私たち日本人は一万円札が、ある日突然、福沢諭吉の肖像入りのただの紙になるなんて、あまり想像して生きていませんよね。大事にしまい込みます。そのぶん、中国人より「拝金主義」の度合いが強いと思います。
物価が上がるということは、福沢諭吉の肖像入りの紙の価値が下がったわけです。でも、そういうふうには思いません。一万円は一万円で絶対的に一万円の価値がある。そう固く信じ切っています。それくらい私たちは「拝金主義」なのですが、誰もそれをそれほど自覚していません。そもそも、あなたの財布の中にある一万円は、だれかが一万円を借金した、ただの借用書にすぎないのですが、そんなことも思うことすらありません。日本国中のあらゆる人々、企業、政府が借金を返済したら、あなたの一万円も消えてなくなるものなんですよ。経済は「信用創造」でなりたっていますから。
(´∀`)

さて、なんでこんなお話をするのかというと、この無意識の「拝金主義」が、スピリチュアルの内側深くに入ること、そして深い気づきに達することを、ものすごく妨害するからです。「目覚め」た言とわれている人たちでも、かなり妨害されて、おかしな方向に走っていることをよく目にしますね。お金に所有されちゃって、お金から自由になってない。「まずお金ありき」という視点に囚われの身となっていたりする。
(´・ω・`)

そもそも、「私」という幻想は、この世界の中の小っぽけな分離した個人であるというカンチガイは、

「所有」

という概念でできあがっています。私たちは何も持たずに生まれてきた。そして何も持たずに死んで去って行く。この肉体ですら置いて去って行きます。最初から何も「所有」していません。
だけど、何かを「私のもの」と思うことで、他人との区別ができます。そこに分離が起こります。そして「私のもの」を最も強く象徴的に感じさせてくれるのが、この国では「お金」なんです。全員が「拝金主義」ですから。
スコップなら誰かが貸してと言ってきたら、「いいよー自由に使って」と言えるのに、お金を貸してくれと言われたら、「いいよー自由に使って」と二つ返事できませんよね。
(´∀`)

「私」という分離は、何かを「所有」しているという誤解で出来上がっています。そして日本人はもっとも「所有」を強く思うのが「お金」です。「拝金主義」の国ですから。もう超ザックリと超乱暴に言うと、

「私」=「お金」ヘ(゚д゚)ノ

だよ。(´∀`)


「本当の自分」は、何も所有していません。この身体、思考ですら所有なんてしていません。なーんにも持ってません。お金も一円も持ってません。一円も持ってないけど、

使うことができるのです

この世界で様々な体験をするために、なーんにも持ってないけど、いろんなものを、あらゆるものを、

使うことができるのです

すごいでしょ?
これを信頼できないのなら、気づいても浅い気づき、気づかなかったほうがよかった程度の気づきにとどまってしまいます。


もし、今、あなたの手元にいくらかのお金があるなら、それを

「歓び」に使いなさい

楽しいことや、うれしいことに使いなさい。

この世界を体験するために必要なものは、常に与えられています。それを信頼しなさい。当たり前です。体験するためにこの世界を創ったのですから。この世界を体験するために「まずお金ありき」なんて、愚かな考えは今すぐ捨てなさい。この身体や思考ですら「私のもの」ではないんですよ。それをしっかり感じてみてください。どうして「私のお金」なんてものが存在しましょうか?

人生を「歓び」に使うのです

浪費せよと言っているのではないですよ。逆に言うと、『いま』ここで「歓び」に使う分しか、「お金」はやってきません。「歓び」以外に使っちゃわないようにね(笑)


「私」は「拝金主義」なのだと、まず自覚してみてくださいね。もし、そう自覚して、内側になんらかの抵抗があったら、それをじっと感じてみてください。
「お金」から自由にならないと、真の自由は見ることはできません。みなさんのお金に対する思いを聞きたいな。
(´ω`)

「お金」は一円も持ってないんです。たくさん持ってると思ってても、それ自体が夢にすぎないんです。持ってないと思ってても、それも夢です。
貯金も借金も、あらゆるものが消えてなくなります。現れては消えるがままにしておくしかありません。

ごきげんよう。


筑後川昇開橋
国鉄佐賀線の廃線跡です。でもシンボルとして残されています。
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船が通るとき橋が上がるの。
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係りのおっちゃん、ヒマだったみたいで上げてくれた(´∀`)
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@佐賀県佐賀市
posted by 笑うウリエル at 06:36| Comment(44) | 全体へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする