2020年10月30日

だまされたと思って(´∀`)

○| ̄|_===≡≡≡´ω`)ノごきげんよう


突然ですが、目を閉じてください (-_-)

何も見えなくなりますね。でも、本当は何も見えないのではないのです。

まず暗闇が見えます。そして、光のようなモヤっとしたものも見えるかもしれません。何か模様のようなものも見えるかもしれませんし、宇宙のようなものが見えるかもしれません。いずれにせよ、暗闇の中にわけのわからないもが「見える」のです。何も見えないわけではありません。つまり、

目を閉じた世界を見ている

わけです。

そして、それを見ているのは「目」でないことは確かです。目を閉じているんですから。では、何で見ているのでしょう? 「なにか」としか言いようがないですよね。その「なにか」が、このブログで言う所の

「見ているヤツ」

です。

「なにか」はどこにありますか? 目のずっと後ろの方でしょうか? その「なにか」を胸の方に下せますか? 『ハート』に「見ているヤツ」を下ろすことが出来たら、ぐーんと世界が深く広くなるような感覚になりますが、どうでしょう?
ならないのなら、ならないでよいですよ。
(´∀`)

では、目を開けましょう。目を開けても、閉じていた世界を見ていた場所から同じように見てください。「なにか」から、「見ているヤツ」から見ると言うことです。できますか?
「気づき」って、これだけのことなんですよ。
(´・ω・`)

「見ているヤツ」から世界を見ても、別に苦しみはなくなりません。幸福にもなりません。とてもつまらないですよ。ハイ。気づいたからといっても、キラキラと光り輝く世界になることもなければ、何もかも歓喜に包まれるわけではないんです。ハイ。

ただ、これを続けるんです。できないのなら、できないなりに続けるんです。できたなら、ただそれを何度も何度も続けるんです。いつでもどこでもできることですので。続けているうちに何かが起こる、何かが変容してくるんです。その変化も知らないうちに起こります。気がついたら、「あれ?」というふうに。


他にもありますよ。耳を澄ましてください。できれば音のない部屋で、ただ耳鳴りの音を聞いてください。
その耳鳴りを聞いているのが、

「聞いているヤツ」

です。「聞いているヤツ」がいる場所には音がないということがわかりますか? 静寂です。その静寂が「聞いているヤツ」です。まず静寂がないと音も存在できないのです。静寂の中に音があるのですが、その静寂の方がわかりますか?
そして、その静寂にとどまることができますか? とどまってください。とどまったからと言って、何も起きませんよ。何も起きないけど、それを続けてください。何日もやっているうちに、何かが変わってきますから。


「気づき」や「目覚め」って、ものすごい衝撃や神秘体験を伴うように思ってしまいがちですが、ハッキリ言って、そんなことは稀です。
ほとんどは、

変わったことすら気づかない

ぐらいのものです。また、そういったものすごい衝撃や神秘体験も、日ごろから「見ているヤツ」、「聞いているヤツ」にとどまることをしているうちに起こるものです。起こそうとして起こるものではありません。
(´・ω・`)

「こんなことして、いったい何になるのか?」
と、思いますよ。正直「たいくつ」です。でも、それがいいのです。「私」が悟りを得たいと考えているうちは、悟ることなどできませんから。
「本当にこれでいいの?」
と、疑念が湧き、方向性が曖昧になるくらいでちょうどいいのです。

もうひとつ。
「わからない」と思うとき、あなたはわかっていないということが、わかっているのです。
そのわかっているほうにいてください。「わからないということがわかっているほう」に。
いるだけでよいんです。そうすると、「わからない」と思っているヤツは、実在しないことに気づきませんか?
そいつ、ただの思考で、本当は「いない」ことに気づけませんか?

気づいたからと言って、涙も笑いも溢れませんよ。溢れる人も中にはいるかもしれませんが。まあ、大半の人は、別に何も起こりません。
(´∀`)

でも、「わからないということがわかっているほう」にとどまることを続けてみてください。

だまされたと思って(´∀`)

「見ているヤツ」や「聞いているヤツ」にも、とどまることを続けてくださいね。そこで静止してみてください。

だまされたと思って(´∀`)

ごきげんよう。

潜水艦がのさばる呉。海軍の町
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海軍と言えばカレー(・∀・)
「潜水艦カレー」甘くて辛い
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掃海母艦「ぶんご」のカレーは、
牛すじとひき肉のカレー(・∀・)
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@広島県呉市
posted by 笑うウリエル at 23:19| Comment(63) | 全体へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月25日

「たいくつ」(・∀・)

ごきげんよう (´-`).。oO(・・・・・・・)


このブログを読まれているみなさんは、分離した個人としての「私」、この広い世界の中の一人の人間としての「私」の状態から、自分の本質へと戻る過程の中におられます。「本当の自分」に戻って行く途中です。
(´ー`*)

だけど、「本当の自分」に気づいても、あるいは戻っても、完全に主導権を「本当の自分」に明け渡すには時間がかかります。人はその間を何度も行ったり来たりを繰り返します。私ウリエルもそうでした。

そういった過程の中で、誰もが必ず出会い、そして、通り抜けて行かなければならないものがあります。それは、

「たいくつ」(・∀・)

です。「退屈」(・∀・)


「私」は「たいくつ」がものすごく嫌いで、「たいくつ」になると落ち着きません。すぐに「たいくつ」から気を紛らわそうとします。「たいくつ」がずっと続くなんて、恐怖以外のなにものでもありません。だから、「たいくつ」を極力避けようとします。「たいくつ」から逃げます。世の中を見渡してみてください。みんな、自分自身も含めて、もう全員が「たいくつ」から必死に逃げていませんか?

けれど、「たいくつ」から逃げ切れることはありません。何をしても結局、いつか飽きてしまいます。
……(´・ω・`)

飽きて「たいくつ」になり、また新しいことを初めて、また飽きます。
......(´-ω-`)

あらゆることがそうです。期間の長い短いはあるけれども、どんなこともやがては

「たーいーくーつー」(・∀・)

になるのです。そう、人生って、そもそも、

「たーいーくーつー」(・∀・)

なのです。ハイ。


そもそも人生は「たいくつ」なのです。逃げられないものならば、受け入れるしかありません。昔々、そこに気づいた男がいました。ブッダです。
彼はなんでも手に入れることができる王子様でした。しかし、どんなものを手に入れても「たいくつ」からは逃げられないことに気づいたのです。そこで、ブッダは、

「徹底的に『たいくつ』になったら、どないなるねん?」

こう考えたのかどうかは知りませんが、とにかく、菩提樹の下にただ座りました。何日も何年も座りました。

おお…… これはもう、ちょっとやそっとの「たいくつ」ではありません。おっそろしいくらいの「たいくつ」です。そして、ついに彼は「たいくつ」を貫き通して、その向こう側に行ったのです。爆発が起こったのです。

!!━━━━(゚∀゚)━━━━!!


みなさんに、ブッダのように菩提樹の下に何年も座れと言っているのではありません。いや、余裕があるならしてもよいですが、やはり、ちょっとオススメはしませんね。

みなさんに、是非取り組んでもらいたいなと思うことは、何もすることがなく「たいくつ」なとき、

「たいくつ」から逃げない

を、意識してみてください。そのまま、ただ「たいくつ」でいてください。ということです。
(・∀・)

「たいくつ」なときって、実は「本当の自分」にとても接近しているのです。向かうべき方向がないというのが、本来の自分の姿なのですから。「何者にもなる必要がない」というのは、そういうことです。
でも「私」はとても落ち着きませんよね。なんかソワソワしてしまいます。そんなふうにソワソワするなら、ただソワソワするがままにしておいたらいいんですよ。

「たいくつ」(・∀・)

のままにしておくと、ソワソワするままにしておくと、どうなるのか?
それを確認してみてください。

この「たいくつ」を通り抜けてしまわないと、「全体」を体感することができません。「たいくつ」の向こうには、「本当の自分」のイキイキとした躍動があります。「私」には、すなわち思考には、ゼッタイに理解できない境地です。ただの「たいくつ」としか思えませんから。思考は「たいくつ」を避けることしか思いつけないのです。

日々の暮らしの中で、探究するのもよいですが、この「たいくつ」に向かい合うことも、忘れずにやってみてください。全身全霊で「たいくつ」の中にいてみてください。「たいくつ」の中を、『いま』を、いろいろ観察してみてください。少しずつで構いません。少しずつなんかわかったような気になってきますので。
やがては大きな爆発につながると思います。「全体」を知ることになると思います。


「たいくつ」を通り抜けると、もう「たいくつ」ではありません。そこには、

「歓び」(・∀・)

しかないのです。

ごきげんよう。


北海道いろいろ(・∀・)
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国鉄士幌線・幌加駅跡@上士幌町

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襟裳岬@えりも町

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@中札内村
posted by 笑うウリエル at 22:33| Comment(62) | 全体へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月21日

ウリエルのいま(・ω・)

ごきげんよう (=´∀`)人(´∀`=)


このブログを書き始めて、もう6年も経過しているわけですね。いやあ、月日の経つのは早いもんです。

初めての大きな気づきがあって、それからしばらくして、このブログをテキトーなノリで始めてしまいました。そして、書いてみなさんと交流することによって、私ウリエルはどんどん自らの内の深い所に向き合えたようです。ここに立ち寄ってくださったみなさんには感謝しかありません。結局、このブログはウリエルのためにあったのです。


そして、6年たった今の境地を、とても言葉にするのは難しいのですが、ちょっと書いてみましょうか。

まず、恐ろしいくらいに「平穏」です。「平安」というのは、こういうことだったのかと思います。
最初の気づきがあって、しばらくの間も「平安」という感覚はありました。でも、そんなものいま思い返してみても、現在の「平安」とは比べものになりません。いまは常に恐ろしいくらいの「静寂」の中にいます。

「沈黙」です(´ー`)

苦悩も至福もありません。

こう言ってしまうと、なんだかとてもつまらない世界にいるように思われるかもしれませんが、そんなことはまったくないんですよ。
(´∀`)
上手く言えませんが、何もかもが面白いんです。何がどういうふうに面白いのかなんて理由はありません。ただ、何もかもが面白い。

風に揺れる葉っぱ、汚れた服、自動車の音、怒っている人……

何もかもが面白い。ケラケラ笑う面白さではないんですが、なんというか「おもろいなぁ……」と、つぶやいてしまうような面白さですね。

何もかもが面白いので、他人に気を遣うということがなくなりました。その人が機嫌を損ねても面白いからです。失敗や成功にも関心がなくなりました。どっちも面白いからです。もちろん不安や心配事もありません。どうなっても面白いんですから。「死」ですら面白そうです。


そして、ウリエルの世界から「苦悩する人」がいなくなりました。

テレビやネットの中には「苦悩する人」はたくさんいます。が、ウリエルが直に接する人たちに、「苦悩」を抱えている人が一人もいないんです。いるのかもしれない、というか、いないってのもおかしいんですが、本当にいないんです。
(・ω・)
ウリエルを非難したり、嫌ったり、いじめたりする人もいません。いないってのもおかしいんですが、本当にいないんです。
(・ω・)
気分が悪くなるようなお客さんにも滅多に会えず、会えると逆にうれしいくらいです。もちろん、ウリエルが嫌いになるような人にも会えません。みんな好きです。ウチの親父みたいに殴ってやりたいヤツもいますが、それも好きです。愛そうなんていちいち思わなくても、最初から好きです。
(´∀`)


将来のことを考えると、本来なら不安しかないはずなのですが、なぜか不安はこれっぽっちもないです。そんなことより、将来どうなるかわからないので、いま出来ることは、いまのうちにやっておかないとと強く思います。
将来どうなっても、そのときも「面白い」ということはわかってます。裕福でも貧乏でも、健康でも病気でも「面白い」んです。
ただ、貧乏や病気になってしまうと、または年老いてしまうと、出来ないこともあるので、いま出来ることはいまやっておかないとと思うのです。それから、いましたいことも、明日はしたくなくなるかもしれません。だから、いましておこうと思います。


感謝はしません。いっさいしません。しなくても勝手に湧いて来るからです。いちいち意識しなくてもいい。
というか、まったく感謝しているという自覚がないのに、勝手に感謝していると受け取られたりします。ラクチンです。本人はただ、好きなことを言い、好きなことをやってるだけなんだけどね。身体が勝手に感謝を表現してくれているのかな?
(´・ω・`)


「善いこと」もしようと思いません。したいことをするだけです。

他人と比べることもしなくなりました。というか、比べたくても比べられないんです。比べられないのが当たり前としか思えない。どうやって比べるのかわかりません。

欲しいモノは買います。買えないものは欲しくならないです。だから、お金を貯めようと思いません。したいことをしたり、欲しいモノを得るお金は常にまわってきます。うまく言えませんが、そういうものだとわかってしまったのです。だから、お金の心配もありません。ついでに言うと貧乏になっても「面白い」のですから、心配になりようがないです。お金は使いたいことに使います。使わないと意味のないものですから。


そして、うすぼんやりですが、

これ以上、奥がない

という感覚があります(´・ω・`)

これ以上の「静寂」、「沈黙」がない。

もちろん、この世界はどんどん動いていき、そして、この世界への自分の表現は無限に続くと思います。万物流転。この世界も自分自身もどんどん変化して行くでしょう。
でも、もう自分から先を見て何かすることはないと思います。率直に言うと、ただ『いま』を生きるだけです。『いま』したいことをするだけです。「こうあるべき」なんていっさいありません。というか、「こうあるべき」と思いたくても、無理してももう思えないんです。なんで昔はそんな無理なことにエネルギーを費やしていたのかと、おかしくなります。
(・ω・)


いまはただ毎日が、今日一日が、「面白い」です。それだけでじゅうぶんで、それ以外には何もありません。

ただ「沈黙」と、その中の「面白い」しかなくなってしまいました。

「沈黙」=「歓び」

です。そんな感覚で、ずっといます。
(´ー`)


「あなたの道をまっすぐにせよ」

イエスはそう言いました。なかなか本当の意味がわかりませんでした。
だけど、いまはわかります。長々と書いた上のようなこと、これが

「まっすぐ」

なんだなと。

ごきげんよう。


ホカイドーいろいろ(゚∀゚)!
十勝牧場
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@北海道音更町

三国峠
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@北海道上士幌町

ばんえい競馬(´∀`)
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@北海道帯広市
posted by 笑うウリエル at 00:01| Comment(47) | 閑話休題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする