記事でも書こう……(´・ω・`)
え゛ーーー、
コントロールとは、
たった今している体験を変えようとすること
です。前回の記事で、そう書きました。
しかし、なんで、私たちはたった今している体験を変えようとするんでしょうか?
それは、とてもシンプルな理由です。私たちは、たった今している体験を、
「よくない」(´・ω・`)
と、決めつけているからです。これが「ジャッジ」です。
この決めつけ、ジャッジをやめたらどうなりますか?
例えば、仕事をしていなくても、お金がなくても、人間関係がうまくいっていなくても、健康状態が思わしくなくても、運に見放されていると感じても、それに対して、
「よくない」(´・ω・`)
と、言わなかったら?
何か問題がありますか?
この『いま』に、何か問題がありますか?
あるわけないですよね(笑) 当たり前です。「よくない」と言わなかったら、問題もあるはずがありません。
(´∀`)ノ
私たちは子どものころから、いろんなことを教えられたり、経験から学んだり、または社会の中で自然に刷り込まれたりして、この無限に広がる世界に「柵」をこさえてきたわけです。この「柵」の中で生きれば安心だと。そして、この「柵」から出てしまうと危険だと。んで、この「柵」からはみ出しそうになると、
「よくない」(´・ω・`)
と、決めつけ、ジャッジするわけですね。人生というものを、この「柵」の内に収めようとします。それが、
コントロール
というわけ。
ねえ、この世界は無限だよ。「柵」の外には確かに危険もあるかもしれないけど、とんでもなく素晴らしいものだってあるんだよ。それは想像もできないです。だって、経験したことのないものを想像しろなんて無理な話。未知のものは、それを見るまで想像することもできません。
そして、「柵」の外に出るのには、なーんにも準備はいらない。ただ、『いま』に
「よくない」(´・ω・`)
というのをやめるだけ。
別に「よいんだ!」と「よくない」を否定しようと力まなくてもいいですよ。ただ、「よくない」をやめて、何でも好きなことをしていればいいだけ。
「コントロールを手放す」なんて言葉にしてしまうと、なんだかとても難しいことのように感じるけれど、ただ、「よくない」という決めつけを、やめるだけのことなんです。たった今している体験に「よくない」と言わなければ、ほら、もう操縦桿から手を放しているでしょう? 操縦する必要がないのですから。
すると、何かしらの大きくて静かな流れを感じるかもしれません。川を流れる木の葉は、沈むことも、岩にぶつかって粉々になることもないんです。そんな感じの流れを。
(´∀`)
「コントロールを手放す」とは、
「よくない」(´・ω・`)
と、『いま』に向かって言わないだけ。
今すぐにでもできますよね。
ごきげんよう。
梅雨の中休み。



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