2020年07月08日

何のために生きるのか?(`・ω・´)

ごきげんよう ( ゚Д゚)ナニカ?


「よくない」

と、自分に言うのをやめてしまうと、思考はフォーカスを失います。注目するものがなくなり、行き場を失いますね。
( ・∀・)

無職に「よくない」というから職を探す。病気に「よくない」と言うから治療しようとする。まず何かにフォーカスし「よくない」とジャッジするから、人は何かに向かって活動できます。でも、その「よくない」がなくなってしまうと、どこに向かえばいいのか、もうわかんなくなっちゃいますよ。何かをコントロールしようにも、方向性がないことにはできません。まさに路頭に迷います。

行こうとする場所がなくなる。

でも、これが「瞑想」なんですけどね。
(´∀`)


あらゆるものに「よくない」と言うのをやめてしまうと、生きる方向性を失います。すると、いったい、

何のために生きるのか?(`・ω・´)

という疑問が湧いてきます。どうなっても「よくない」ことはないんですから、もうどうなってもいい。
じゃあ、何のために生きるのでしょう?

そんなの簡単です。

ただ、生きるために生きてます

よーするに、

何のためにも生きてません(´∀`)ノ



でしょ? だって、クマは何か生きる目的を持って生きていますか? トリは幸福になろうとしていますか?
お腹がすいたら食べて、眠くなったら寝るだけです。あとは遊んでます。なんで人間だけ、

何のために生きるのか?(`・ω・´)

などという、意味があるような、ないようなことを考えるのでしょう?

子どものときオオバコの茎で引っ張り合いしませんでした? ブチって相手の茎を切ったほうが勝ち。
「ああ、負けたー! もう一回やろう!」
あの勝負にどのくらいの意味があったでしょう? 何か目的がありました? でも、なんか楽しかったですよね。
大人になってからやってること、いわゆる社会的な生存競争のようなことも、実は、あのオオバコ相撲の延長線上なんですよ。勝っても負けてもそんなに意味はありません。だって最初から目的がないんですから。


何のためにも生きてない

ただ、生きるために生きている

このことに気づいた人だけ、「生きる歓び」を知るのです。なーんにもフォーカスせず、全体として生きることの歓び。成功するためでも、幸福になるためでも、悟るためでもない。それが「歓び」
これは誰も教えてくれないヒミツです。
(´∀`)

そんなヒミツを知った人の、ちょっとしたセリフを載せておきますね。


「なんて言うかな、ほらー、
 あー、生まれて来てよかったなって
 思うことが、なんべんかあるだろ?
 そのために人間生きてんじゃねえのか」

 車寅次郎

ごきげんよう


船の上。霧の中
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お、晴れてきた。
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日が暮れる。
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到着したのは、夜の小樽のまち。
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@新日本海フェリー・「あかしあ」

しつこく
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posted by 笑うウリエル at 07:43| Comment(81) | このへんから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年07月01日

「よくない」(´・ω・`)

ごきげんよう'`,、'`,、ヾ(´∀`*)ノ '`,、'`,、

記事でも書こう……(´・ω・`)

え゛ーーー、

コントロールとは、

たった今している体験を変えようとすること

です。前回の記事で、そう書きました。

しかし、なんで、私たちはたった今している体験を変えようとするんでしょうか?
それは、とてもシンプルな理由です。私たちは、たった今している体験を、

「よくない」(´・ω・`)

と、決めつけているからです。これが「ジャッジ」です。

この決めつけ、ジャッジをやめたらどうなりますか?
例えば、仕事をしていなくても、お金がなくても、人間関係がうまくいっていなくても、健康状態が思わしくなくても、運に見放されていると感じても、それに対して、

「よくない」(´・ω・`)

と、言わなかったら?

何か問題がありますか? 

この『いま』に、何か問題がありますか? 

あるわけないですよね(笑) 当たり前です。「よくない」と言わなかったら、問題もあるはずがありません。
(´∀`)ノ


私たちは子どものころから、いろんなことを教えられたり、経験から学んだり、または社会の中で自然に刷り込まれたりして、この無限に広がる世界に「柵」をこさえてきたわけです。この「柵」の中で生きれば安心だと。そして、この「柵」から出てしまうと危険だと。んで、この「柵」からはみ出しそうになると、

「よくない」(´・ω・`)

と、決めつけ、ジャッジするわけですね。人生というものを、この「柵」の内に収めようとします。それが、

コントロール

というわけ。


ねえ、この世界は無限だよ。「柵」の外には確かに危険もあるかもしれないけど、とんでもなく素晴らしいものだってあるんだよ。それは想像もできないです。だって、経験したことのないものを想像しろなんて無理な話。未知のものは、それを見るまで想像することもできません。

そして、「柵」の外に出るのには、なーんにも準備はいらない。ただ、『いま』に

「よくない」(´・ω・`)

というのをやめるだけ。

別に「よいんだ!」と「よくない」を否定しようと力まなくてもいいですよ。ただ、「よくない」をやめて、何でも好きなことをしていればいいだけ。
「コントロールを手放す」なんて言葉にしてしまうと、なんだかとても難しいことのように感じるけれど、ただ、「よくない」という決めつけを、やめるだけのことなんです。たった今している体験に「よくない」と言わなければ、ほら、もう操縦桿から手を放しているでしょう? 操縦する必要がないのですから。
すると、何かしらの大きくて静かな流れを感じるかもしれません。川を流れる木の葉は、沈むことも、岩にぶつかって粉々になることもないんです。そんな感じの流れを。
(´∀`)

「コントロールを手放す」とは、

「よくない」(´・ω・`)

と、『いま』に向かって言わないだけ。

今すぐにでもできますよね。

ごきげんよう。


梅雨の中休み。
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@兵庫県姫路市

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posted by 笑うウリエル at 08:17| Comment(63) | このへんから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする