2020年05月19日

「道徳」(゚听)

ごきげんよう(ο´ω`ο)ゝ


今、私たちが生活しているこの社会には、道徳とか倫理、モラルというものがあります。
人を悲しませたり、傷つけたり、不愉快を感じさせることは、道徳に反します。また真っ当とされる道からはずれると、道徳に反します。
道徳と言うのは、

「正しく生きる」

ための規範です。

私たちは、この道徳を子供の頃から、たくさん教えられてきました。
人を殺してはいけないという大きなものから、みなで決めたルールは守りましょうという細かいものまで、たくさんたくさん教えられてきました。道徳に反する生き方は「邪悪」と見なされます。そして、道徳的でない人は憎悪され、「罰を受けるべき」だと見なされます。

世の中を見渡してみると、この道徳は「正義」です。私たちはこの道徳を意識することもありますが、ほとんどの道徳は、いちど教えられると、もう意識しないところに刷り込まれます。そして無意識に「正邪」・「善悪」をジャッジするようになります。

子供のとき早くアイスクリームが食べたくて、お店のレジに走って行った。すると、並んでいる順番は守らないといけないのと叱られたわけです。ここで「順番は守るべき。横入りはしてはいけない」という道徳観を教えられ、それ以降、私たちはいちいち考えなくても、もう無意識にちゃんとそれを実行できるようになってます。だから、たまに割り込んでくる人に出くわすと、「邪悪!」と無意識にジャッジします。いちいち考えなくても、瞬間的に腹が立つというのは、道徳というものが無意識の域に刷り込まれているからこそなのです。


人がこの社会の中で、穏やかに円滑に生きていく上で、道徳というのはとても大事です。いちばん大事なものと言ってよいかもしれません。けれど、この道徳は、

絶対的なものではありません

なぜなら、変わって行くからです。
(´・ω・`)

ひと昔前は同性愛は「邪悪」でした。道徳に反しました。が、今はそんなことありません。
学校の先生が子供をたたくのは、ひと昔前は当たり前でしたが、今は「邪悪」です。
平時では人を殺すなんて「邪悪」の極みです。でも、ひとたび戦争になると、そんなこと吹っ飛びます。
最近、新しい道徳が生まれました。自粛とソーシャルディスタンスです。

このように「正しく生きる」規範であるはずの道徳って、変わって行くわけです。「正邪」のジャッジが変化して行く。つまり道徳って、

絶体的な真理でもない

わけです。

みなさんは、もうおわかりだと思います(´∀`)
道徳と言うのは、分離した意識から生まれてきたものですので、絶対的でないわけです。『真実』ではないんですね。
「世の中が乱れること」
に対する恐怖。それによって、自分に危害が及ぶという恐怖。その恐怖が土台になっている、ただの

「分離意識」

なのです。


さて、「本当の自分」は、道徳などいっさいおかまいなしです。『ありのまま』を表現しますので、「正しく生きる」なんて、

これっぽっちも考えません(´∀`)

だから分離した「私」、この広い世界の中の一個人と思っている「私」は、とても「本当の自分」を恐れます。
道徳ガン無視ですので、この広い世界から「邪悪!」とジャッジされるのではないかと、常におびえています。
おびえているので「本当の自分」が顔を出さないように、何重にも柵を作って封じ込めています。「本当の自分」は何が正しい生き方で、何が邪悪かすら知りませんので、こんなヤツ、とても放ったらかしにできません。でも、それが、そもそも最大の

「不幸のモト」

なんですけどね。


「本当の自分」は

 『調和』

 『平和』

 『感謝』

そして、

 『愛』

これらをとても大事にしています。というか、これらしか知りません。

道徳なんて超越してます(´∀`)

だから、あなたも胸の内から湧きおこる衝動やヒラメキのままに行動して、なーんの問題もないのです。ときには、それがこの社会の道徳に合わなくで「邪悪!」とされるかもしれませんが、それすら「本当の自分」は、おかまいなし。それも体験したみたい『歓び』でしかないのです。

では、今日はこのへんで。

ごきげんよう。

どこにも行けないので、
お散歩中のお花シリーズ続くよん(´∀`)
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ねぎぼうず(´∀`)
posted by 笑うウリエル at 06:33| Comment(57) | このへんから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする