2020年05月31日

ひとつになること (゚∀゚)

ごきげんよう (・囚・)リラックマ


前回の記事で、自分自身の中で葛藤が起こったとき、

「葛藤が自分」

なのだと書きました。

私たちは常に「本当の自分」で、「本当の自分」でなかったことなどありません。「本当の自分」は、常に幸福で、自由で、歓びに満ちています。
ただ、そのことを忘れて、『いま』この瞬間、

何かのフリをしているだけです

(´・ω・`)


「葛藤」になったら、葛藤はよくないし不快だ。優柔不断だ。決断しなければならない。そう思って『いま』この瞬間の葛藤をやめて、「決断する人」のフリをします。
「落胆」になったら、いつまでも落ち込んではいけない、元気出さなきゃ。そう思って「元気な人」のフリをします。
「軽蔑」になったら、軽蔑はよくない。高慢だ。そう思って「愛する人」のフリをします。
「嫉妬」になったら、嫉妬はよくない、ミジメだ。そう思ってまた「愛する人」のフリをします。

そうやって、私たちはもう四六時中、ほとんど無意識に『いま』を否定して、何かのフリをしてしまう。ちっとも「本当の自分」でいてません。
(´・ω・`)

でも、いくら何かのフリをしていても、「本当の自分」は常に存在しています。つまり、何かのフリをしていると、「本当の自分」から「分離」していというわけです。「分離」とはそういうことです。

「本当の自分」を知るには、この分離をやめればよいだけです。何かのフリをただやめるだけ。「本当の自分」に「なろう」とするなんて、ものすごくトンチンカンなんですよ。もうすでにそうなんですから、なれません。
(´∀`)

「嫉妬」を感じたら、正直に「私はいま『嫉妬』だ!」と宣言すればよいのです。そのとき「本当の自分」は「嫉妬」なのですから。
次の瞬間には「罪悪感」になるかもしれません。そしたら「私はいま『罪悪感』だ!」と宣言すればよいのです。

「不安」
「恐怖」
「悲しみ」
「嫌悪感」
「葛藤」
「迷い」
「守銭奴」
「興奮」
「怒り」
「執着」
「渇望」
「性欲」

瞬間から瞬間へ、「本当の自分」は様々なものに変化していきます。その瞬間の『いま』の「本当の自分」に正直に、とことん正直になればよいのです。「私はいま『○○』だ!」と宣言すること。それが、

ひとつになること (゚∀゚)

これが、真の幸福、自由、歓びへの第一歩。

「本当の自分」とひとつになると、そこに「ヒミツの扉」があるのです。長い間、フリばかりしていたのいで、開けられることのなかった扉。その「ヒミツの扉」の向こうには、体験すべき素晴らしい世界があるのに、あなたが閉ざしてしまったので、まだその世界をあなたは見てません。扉はもう錆びているかもしれません。でも、必ず開きます。扉を開ける鍵は、『いま』この瞬間の「本当の自分」と、

ひとつになること (゚∀゚)

とってもシンプルで、簡単です(´∀`)


イエスは言いました。

「真理はあなたたちを自由にする」

『いま』この瞬間の真理はなんですか?

「本当の自分」は何ですか?

ごきげんよう。


大阪には渡船があります。
橋がデカすぎて歩行者や自転車が渡るのがたいへんだから。かといって小さな橋を架けると、今度は船が通れません。
落合上渡船(´∀`)
IMG_9461.jpg

向こう岸まで2分足らずの船旅
IMG_9463.jpg

こちらは落合下渡船
IMG_9472.jpg
ちなみに無料です。
@大阪市大正区←→西成区

あ、この動画、貼っとかなきゃ(´∀`)
https://www.youtube.com/watch?v=fBr3OoCwSVA
posted by 笑うウリエル at 06:18| Comment(129) | このへんから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月24日

「葛藤」(゚听)

ごきげんよう (ノω<).。oOO


「私」の中にはいろんな「私」が何人もいて、そのゴロゴロいる「私」同士が四六時中、争いあっています。
ひとりの「私」が何かしようとしたら、もうひとりの「私」が出て来て、やめろと言う。

「葛藤」(゚听)

が始まります。

とんでもなく美味しそうなケーキがある。食べたい「私」がいる。しかし、太りたくない「私」も現れて、食べるな我慢しろと言う。葛藤が始まりますね。
(´∀`)

何かをしたい「私」と、そんなことはやめろという「私」
何かをやらなければいけない「私」と、したくない「私」

そいつらがいつも「私」の中でケンカします。もう常時です。そして、そんな葛藤している「私」を、葛藤はよくない、葛藤はなくしたいという「私」がいて、「私」の中の事態は、ますます混乱していきます。モヤモヤのモヤモヤ。
(´・ω・`)

この「私」の中のもうひとりの「私」、いったいどっちが本当の「私」なのか?
どっちも「私」には変わりないならば、よりよい「私」の方でいたい。またはいろんな「私」があるのなら、新しい「私」に変えたい。そして葛藤のない人生を歩みたい。

それで人は自己啓発や心理学、性格を変えるノウハウを学んだりするわけですが、そんなものに時間とお金を投資しても、ほとんどの人はそれほど「私」を変えることはできません。実際は。ハイ。
(´・ω・`)
だって、どの「私」も、

「本当の自分」

ではないのですから。


「葛藤」しているとき、「本当の自分」はどっちの「私」なのだろう? と、思うことほど、馬鹿げたことはありません。
「葛藤」しているときの「本当の自分」は、

「葛藤」(゚听)

です。

「私は葛藤している」のではありません。「私が葛藤」なのです。「私はモヤモヤしている」じゃないんですよ。

「モヤモヤ」こそが自分

なのです。ハイ(´∀`)


すると、どうでしょう? 

「私はいま、モヤモヤだ!」

と、言ってみましょう。すると、あら不思議。

どこにも葛藤はありませんよね(´∀`)



人生は葛藤の連続です。モヤモヤ悩み続けます。だから人は生きにくいと常に感じています。

ちがいますよ。

葛藤を愛する術を知らない

から、生きにくさが生まれているだけですよ。

ごきげんよう。


やはりこの時期はバラを貼りましょう(´∀`)
IMG_9402.jpg

IMG_9394.jpg

IMG_9414.jpg

IMG_9393.jpg
posted by 笑うウリエル at 06:47| Comment(79) | このへんから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年05月19日

「道徳」(゚听)

ごきげんよう(ο´ω`ο)ゝ


今、私たちが生活しているこの社会には、道徳とか倫理、モラルというものがあります。
人を悲しませたり、傷つけたり、不愉快を感じさせることは、道徳に反します。また真っ当とされる道からはずれると、道徳に反します。
道徳と言うのは、

「正しく生きる」

ための規範です。

私たちは、この道徳を子供の頃から、たくさん教えられてきました。
人を殺してはいけないという大きなものから、みなで決めたルールは守りましょうという細かいものまで、たくさんたくさん教えられてきました。道徳に反する生き方は「邪悪」と見なされます。そして、道徳的でない人は憎悪され、「罰を受けるべき」だと見なされます。

世の中を見渡してみると、この道徳は「正義」です。私たちはこの道徳を意識することもありますが、ほとんどの道徳は、いちど教えられると、もう意識しないところに刷り込まれます。そして無意識に「正邪」・「善悪」をジャッジするようになります。

子供のとき早くアイスクリームが食べたくて、お店のレジに走って行った。すると、並んでいる順番は守らないといけないのと叱られたわけです。ここで「順番は守るべき。横入りはしてはいけない」という道徳観を教えられ、それ以降、私たちはいちいち考えなくても、もう無意識にちゃんとそれを実行できるようになってます。だから、たまに割り込んでくる人に出くわすと、「邪悪!」と無意識にジャッジします。いちいち考えなくても、瞬間的に腹が立つというのは、道徳というものが無意識の域に刷り込まれているからこそなのです。


人がこの社会の中で、穏やかに円滑に生きていく上で、道徳というのはとても大事です。いちばん大事なものと言ってよいかもしれません。けれど、この道徳は、

絶対的なものではありません

なぜなら、変わって行くからです。
(´・ω・`)

ひと昔前は同性愛は「邪悪」でした。道徳に反しました。が、今はそんなことありません。
学校の先生が子供をたたくのは、ひと昔前は当たり前でしたが、今は「邪悪」です。
平時では人を殺すなんて「邪悪」の極みです。でも、ひとたび戦争になると、そんなこと吹っ飛びます。
最近、新しい道徳が生まれました。自粛とソーシャルディスタンスです。

このように「正しく生きる」規範であるはずの道徳って、変わって行くわけです。「正邪」のジャッジが変化して行く。つまり道徳って、

絶体的な真理でもない

わけです。

みなさんは、もうおわかりだと思います(´∀`)
道徳と言うのは、分離した意識から生まれてきたものですので、絶対的でないわけです。『真実』ではないんですね。
「世の中が乱れること」
に対する恐怖。それによって、自分に危害が及ぶという恐怖。その恐怖が土台になっている、ただの

「分離意識」

なのです。


さて、「本当の自分」は、道徳などいっさいおかまいなしです。『ありのまま』を表現しますので、「正しく生きる」なんて、

これっぽっちも考えません(´∀`)

だから分離した「私」、この広い世界の中の一個人と思っている「私」は、とても「本当の自分」を恐れます。
道徳ガン無視ですので、この広い世界から「邪悪!」とジャッジされるのではないかと、常におびえています。
おびえているので「本当の自分」が顔を出さないように、何重にも柵を作って封じ込めています。「本当の自分」は何が正しい生き方で、何が邪悪かすら知りませんので、こんなヤツ、とても放ったらかしにできません。でも、それが、そもそも最大の

「不幸のモト」

なんですけどね。


「本当の自分」は

 『調和』

 『平和』

 『感謝』

そして、

 『愛』

これらをとても大事にしています。というか、これらしか知りません。

道徳なんて超越してます(´∀`)

だから、あなたも胸の内から湧きおこる衝動やヒラメキのままに行動して、なーんの問題もないのです。ときには、それがこの社会の道徳に合わなくで「邪悪!」とされるかもしれませんが、それすら「本当の自分」は、おかまいなし。それも体験したみたい『歓び』でしかないのです。

では、今日はこのへんで。

ごきげんよう。

どこにも行けないので、
お散歩中のお花シリーズ続くよん(´∀`)
IMG_9235.jpg

IMG_9259.jpg

IMG_9280.jpg

IMG_9272.jpg
ねぎぼうず(´∀`)
posted by 笑うウリエル at 06:33| Comment(57) | このへんから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする