2020年03月22日

実践(2)

ごきげんよう (σ・∀・)σゲッツ


「実践」の2回目、

「私」くずしの2回目です。
( ̄ー ̄)

今回はずばり、

「愛せない人」( ̄ー ̄)

です。


誰にだって、好きになれない人はいます。イヤな人、軽蔑する人、嫌いな人……
また、おおむね好意を感じているんだけど、部分的に好きになれない部分がある人、なんてのもいますねー。
しかし、そういう愛せない他者も「本当の自分」は、

愛している

わけです。
愛していない人は、存在しません。なぜなら、すべてひとつで、すべて自分なのですから。目に映る他者は、すべて「私」の投影です。隠された「私」、自分自身の姿が映し出されているのです。

と、ここまでは、スピリチュアル界隈を渡り歩いておられる方なら、知識として知っていると思います。
しかし、それを真摯に受け入れて、体現しようとしている人になかなか会うことができません。
(´・ω・`)


「愛せない人」はいません( ̄ー ̄)

でも、現実には「愛せない人」がいる。なぜだろう?

それは「愛せない人」に、「私」の認めたくない部分が映っているからです。投影です。「私」の内に、その「愛せない人」とまったく同じものがあることを見出し認めれば、おそらく絶対に認めたくない。でも認めれば、「愛せない人」は一瞬で「愛すべき人」になってしまいます。そのとき「私」の中で何かが崩れます。と、同時に世界がパッと広がります。明るく、軽くなります。まるで縮こまっていた手足を大きく伸ばすような爽快な心地になるでしょう。
(´∀`)

しかし、言うは易しなんですな、コレが。
(´∀`;)

会社のセクハラおやじとか、近所の文句タレばばあとか、おっそろしく金に汚い親戚とか、
テレビつけたら、凶悪な犯罪者とか、わけわからん言い訳してる政治家とか、

これのどこが「私」やねん!? 

と、叫びたくなるヤツばかり登場しますよね、実際(笑)

いや、しかしこのクズども、もとい、この方々も「私」なんです。
この不愉快さを全開で振りまく人たちに、「私」の内にある何が映っているのか? ようするに、この人たちと「私」はどこが「同じ」なのか?
本当に真剣になって探さないといけないんですよ。自らの内側を。

マジでわかりませんよ、最初は。ホントにわかりません。
( ̄ー ̄)
絶対こんなの「私」じゃない。例外だってきっとあるよ。なーんて、ついうっかり考えてしまったりしますが、

ゼッタイに「私」です( ̄ー ̄)

もう120% ぴったり寸分の狂いもなく「私」が映っておりますので。

はっきり言いまして、この「愛せない人たち」が「私」とまったく「同じ」だというのに気づくのには、時間がかかります。あまりにも認めるのがイヤすぎて、まったく見当違いの部分を「同じ」だということにして、お茶を濁したりもしますね。自分の対する偽りですね。本当に難渋極める作業です。
しかし、辛抱強く洞察してください。やがて、猛烈に抵抗している「私」を見つけることができます。見つけて、それを認めた瞬間は、ドキッという冷や汗とも油汗ともつかない変な汗がでるような、全身から血の気が引くような、イヤーな感覚が全身を襲うと思いますが、そうなったらOK。そうならないときは、まだ何か隠れています。


よいですか?

「愛せない人」( ̄ー ̄)

は、いないんです。

「愛せない人」が「愛すべき人」にならないと、内側に隠れている醜い「私」を見つけられてはいません。手を緩めることなく、内側を見続けてください。



「愛せない人」( ̄ー ̄)

が、身近にいたら、よろこんでください。

彼、彼女は、隠れた醜い「私」を解放するために、顕われてくれているのですから。

ごきげんよう。


さくら♪(´∀`)
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平野神社です(´∀`)
上の桜は「さきがけ桜」 この桜が咲き出すと都のお花見が始まります
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@京都市北区
posted by 笑うウリエル at 22:26| Comment(43) | このへんから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする