2020年03月16日

実践(1)

ごきげんイョ━━━━(=゚ω゚=)━━━━!!


さて、今回からしばらくは、私ウリエルが「日ごろどうやって探究しているか」を書いてみようかな、という気になりまして。まあ、参考にでもしていただけたら幸いです。
(´∀`)ノ

著名な覚者の書物などには、

「深刻にならずリラックスする」
「瞑想して思考を観察する」
「『私は誰か?』と問い続ける」
「すべてをあるがままに」

などなど、書いてありますが、コレ、イマイチどういうふうに実践すりゃいいのかわかんないですよね(笑)
そりゃアンタみたいに、世間のゴタゴタからどこか外れた生活してたらできるかもしんないけど、こちとら、そうも言ってられんのじゃ!
って、なりますよね。
(´・ω・`)

と、いうわけで、このウリエルがたこ焼きを作りながら何をしているのか? を、具体的に語ってみようと思います。ハイ。

基本的にこのウリエルがやっていることは、

「私」くずし

です。(・ω・)

「私」を壊して行きます。「私」というもの、「私」と思っているものは、いろんな信念や価値観がグチャグチャに入り組み合って出来上がっております。ガラクタの寄せ集めで、実体はありません。実体はないのに、あるように見せているハリボテです。このガラクタのハリボテの解体作業が、「私」くずしです。
んで、今日はその解体作業のひとつ、

反対の「私」さがし

を、説明しまーす。(・ω・)

誰だって自分のイメージ、「自己イメージ」というものを、意識的にも無意識的にも持ってます。あまり欲がないほうだとか、どちらかといえば辛抱強いとか。なんとなくありますよね。ポジティブなイメージ、ネガティブなイメージ、両方あると思います。
そんなイメージの中で、これは他人よりも優れているんじゃないかと思えるものもありますよね。または、自信を持って人に言える自己イメージ。「私はこうなの」と。概ね、ポジティブな自己イメージと言えると思います。長所として自覚しているところ、とも言えますかね。

そんなポジティブな自己イメージと正反対の姿をした人って、だいたい、あまり好きになれない人だと思います。
例えば、あまり欲がないという自己イメージを抱いている人は、欲深い人を見ると嫌悪感を抱いたりします。私はケチではない、フツーだという自己イメージを持っている人は、ドケチな人を見ると不快になります。人の悪口は言わないがモットーの人は、悪口ばかり言う人が嫌いになります。

そういう自分のイメージと正反対の、いわゆるイヤなタイプの人、「ああはなりたくない人」
それが、

「私」の本当の姿です!

(;゚Д゚)エエー

「本当の自分」は「無」であり、ワンネスなんですよ。
欲があってもなくてもいいし、ドケチであってもなくてもいいし、悪口を言っても言わなくてもいいんです。もっというと、欲の概念も、ケチの概念も、悪口の概念もないんです。つまり「本当の自分」は、何が欲なのか、何がケチなのか、何が悪口なのかも知らないんです。

欲がないと言うのは、「私」に欲があるから思えるんです。
ケチでないと言うのは、「私」がケチだから思えるんです。
悪口を言わないでおこうと思うのは、「私」が悪口をいいたいから思えるんです。
もっと言うと、
お金が要らないと言うのは、「私」がお金が欲しくてたまらないからこそ言える。
辛抱強いと言えるのは、「私」が短気で怒りっぽいからこそ言える。
ウソがつけないと言うのは、「私」がウソばかりついてるからこそ言える。

ぜーんぶ、正反対の醜く弱いと感じる「私」がいるからこそ。
だって「本当の自分」は、いかなるものにも中立。ポジティブもネガティブも、長所も短所もないんです。それなのにあるってことに、まず疑問を抱いてください。表があれば必ず裏がある。上があれば必ず下がある。そう思う、そう感じるということは、反対もないといけないんです。それが二元の世界の顕われ方ですから。
(´∀`)

正反対の「私」を認めれば、そういう「私」も存在することを許せば、プラスとマイナスでゼロになるように、自ずと「私」は崩れて消えていきます。そのときの爽快感って言ったら言葉で表せません。

病みつきになっちゃうよ〜♪

ごきげんよう。


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ウメ
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うめ
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オオイヌノフグリ
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梅の里公園@岡山県津山市
posted by 笑うウリエル at 23:05| Comment(67) | このへんから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする