2020年03月28日

雑談でもしようぜ(・∀・)

ごきげんよう`;:゙;`;・(゚ε゚ )ブーッ!!


最初に、今日は記事を書きません(・∀・)

新型コロナの影響が、ものすごく速いスピードで展開していくので、のんびりスピリチュアルしている気分でない方も多いのではないかと思いまして。でも、のんびり雑談です。
(´∀`)

まったく先が見えないので、不安や恐怖を感じている方もおられるかもしれません。
それはそれで、いいと思いますよ。これから先どうなるのか、誰にもわからないんですから。
(・∀・)
不安を感じているのなら不安を、恐怖を感じているのなら恐怖を、そのまま、ありのままに感じてください。追い払おうとしないことです。「私は恐怖を感じている」などと思わず、もう「恐怖が私なのだ!」という感覚でいたほうがよいです。


そして、こんなときこそ、

「直観」

に、従ってくださいね。

「直観」は突拍子もなく、合理性も正当性もありません。なぜなら、それが『智慧』ですから。周囲の人が何と言おうと、自分自身ですら理解できなくても、それに従ってください。

間違いですら、間違ってないのです。

そこに「歓び」を発見することができたら幸いです。いえ、発見できるはずです。


ではでは、みなさんがいろいろ感じていること、体験したこと、わからないこと、なんでもコメント欄で話してくださいな。普段はここで語らない、とんでもスピリチュアルとか、オカルトチックなことなんかでもいいな。
こういう世間が重苦しいときこそ自粛せず、なーんでも言いたいこと、どんどん言った方がいいと思いますよ。
質問でもいいです。なんでもおじゃれ。
(´∀`)ノ


あ、伝説の占い師のおみなさま。
今後、世界がどうなるか占ってください。
(・ω・)

ごきげんよう。


なんと、神々しぃ━(゚∀゚)━!
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長福寺@岡山県美作市
posted by 笑うウリエル at 22:05| Comment(87) | 閑話休題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月22日

実践(2)

ごきげんよう (σ・∀・)σゲッツ


「実践」の2回目、

「私」くずしの2回目です。
( ̄ー ̄)

今回はずばり、

「愛せない人」( ̄ー ̄)

です。


誰にだって、好きになれない人はいます。イヤな人、軽蔑する人、嫌いな人……
また、おおむね好意を感じているんだけど、部分的に好きになれない部分がある人、なんてのもいますねー。
しかし、そういう愛せない他者も「本当の自分」は、

愛している

わけです。
愛していない人は、存在しません。なぜなら、すべてひとつで、すべて自分なのですから。目に映る他者は、すべて「私」の投影です。隠された「私」、自分自身の姿が映し出されているのです。

と、ここまでは、スピリチュアル界隈を渡り歩いておられる方なら、知識として知っていると思います。
しかし、それを真摯に受け入れて、体現しようとしている人になかなか会うことができません。
(´・ω・`)


「愛せない人」はいません( ̄ー ̄)

でも、現実には「愛せない人」がいる。なぜだろう?

それは「愛せない人」に、「私」の認めたくない部分が映っているからです。投影です。「私」の内に、その「愛せない人」とまったく同じものがあることを見出し認めれば、おそらく絶対に認めたくない。でも認めれば、「愛せない人」は一瞬で「愛すべき人」になってしまいます。そのとき「私」の中で何かが崩れます。と、同時に世界がパッと広がります。明るく、軽くなります。まるで縮こまっていた手足を大きく伸ばすような爽快な心地になるでしょう。
(´∀`)

しかし、言うは易しなんですな、コレが。
(´∀`;)

会社のセクハラおやじとか、近所の文句タレばばあとか、おっそろしく金に汚い親戚とか、
テレビつけたら、凶悪な犯罪者とか、わけわからん言い訳してる政治家とか、

これのどこが「私」やねん!? 

と、叫びたくなるヤツばかり登場しますよね、実際(笑)

いや、しかしこのクズども、もとい、この方々も「私」なんです。
この不愉快さを全開で振りまく人たちに、「私」の内にある何が映っているのか? ようするに、この人たちと「私」はどこが「同じ」なのか?
本当に真剣になって探さないといけないんですよ。自らの内側を。

マジでわかりませんよ、最初は。ホントにわかりません。
( ̄ー ̄)
絶対こんなの「私」じゃない。例外だってきっとあるよ。なーんて、ついうっかり考えてしまったりしますが、

ゼッタイに「私」です( ̄ー ̄)

もう120% ぴったり寸分の狂いもなく「私」が映っておりますので。

はっきり言いまして、この「愛せない人たち」が「私」とまったく「同じ」だというのに気づくのには、時間がかかります。あまりにも認めるのがイヤすぎて、まったく見当違いの部分を「同じ」だということにして、お茶を濁したりもしますね。自分の対する偽りですね。本当に難渋極める作業です。
しかし、辛抱強く洞察してください。やがて、猛烈に抵抗している「私」を見つけることができます。見つけて、それを認めた瞬間は、ドキッという冷や汗とも油汗ともつかない変な汗がでるような、全身から血の気が引くような、イヤーな感覚が全身を襲うと思いますが、そうなったらOK。そうならないときは、まだ何か隠れています。


よいですか?

「愛せない人」( ̄ー ̄)

は、いないんです。

「愛せない人」が「愛すべき人」にならないと、内側に隠れている醜い「私」を見つけられてはいません。手を緩めることなく、内側を見続けてください。



「愛せない人」( ̄ー ̄)

が、身近にいたら、よろこんでください。

彼、彼女は、隠れた醜い「私」を解放するために、顕われてくれているのですから。

ごきげんよう。


さくら♪(´∀`)
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平野神社です(´∀`)
上の桜は「さきがけ桜」 この桜が咲き出すと都のお花見が始まります
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@京都市北区
posted by 笑うウリエル at 22:26| Comment(43) | このへんから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年03月16日

実践(1)

ごきげんイョ━━━━(=゚ω゚=)━━━━!!


さて、今回からしばらくは、私ウリエルが「日ごろどうやって探究しているか」を書いてみようかな、という気になりまして。まあ、参考にでもしていただけたら幸いです。
(´∀`)ノ

著名な覚者の書物などには、

「深刻にならずリラックスする」
「瞑想して思考を観察する」
「『私は誰か?』と問い続ける」
「すべてをあるがままに」

などなど、書いてありますが、コレ、イマイチどういうふうに実践すりゃいいのかわかんないですよね(笑)
そりゃアンタみたいに、世間のゴタゴタからどこか外れた生活してたらできるかもしんないけど、こちとら、そうも言ってられんのじゃ!
って、なりますよね。
(´・ω・`)

と、いうわけで、このウリエルがたこ焼きを作りながら何をしているのか? を、具体的に語ってみようと思います。ハイ。

基本的にこのウリエルがやっていることは、

「私」くずし

です。(・ω・)

「私」を壊して行きます。「私」というもの、「私」と思っているものは、いろんな信念や価値観がグチャグチャに入り組み合って出来上がっております。ガラクタの寄せ集めで、実体はありません。実体はないのに、あるように見せているハリボテです。このガラクタのハリボテの解体作業が、「私」くずしです。
んで、今日はその解体作業のひとつ、

反対の「私」さがし

を、説明しまーす。(・ω・)

誰だって自分のイメージ、「自己イメージ」というものを、意識的にも無意識的にも持ってます。あまり欲がないほうだとか、どちらかといえば辛抱強いとか。なんとなくありますよね。ポジティブなイメージ、ネガティブなイメージ、両方あると思います。
そんなイメージの中で、これは他人よりも優れているんじゃないかと思えるものもありますよね。または、自信を持って人に言える自己イメージ。「私はこうなの」と。概ね、ポジティブな自己イメージと言えると思います。長所として自覚しているところ、とも言えますかね。

そんなポジティブな自己イメージと正反対の姿をした人って、だいたい、あまり好きになれない人だと思います。
例えば、あまり欲がないという自己イメージを抱いている人は、欲深い人を見ると嫌悪感を抱いたりします。私はケチではない、フツーだという自己イメージを持っている人は、ドケチな人を見ると不快になります。人の悪口は言わないがモットーの人は、悪口ばかり言う人が嫌いになります。

そういう自分のイメージと正反対の、いわゆるイヤなタイプの人、「ああはなりたくない人」
それが、

「私」の本当の姿です!

(;゚Д゚)エエー

「本当の自分」は「無」であり、ワンネスなんですよ。
欲があってもなくてもいいし、ドケチであってもなくてもいいし、悪口を言っても言わなくてもいいんです。もっというと、欲の概念も、ケチの概念も、悪口の概念もないんです。つまり「本当の自分」は、何が欲なのか、何がケチなのか、何が悪口なのかも知らないんです。

欲がないと言うのは、「私」に欲があるから思えるんです。
ケチでないと言うのは、「私」がケチだから思えるんです。
悪口を言わないでおこうと思うのは、「私」が悪口をいいたいから思えるんです。
もっと言うと、
お金が要らないと言うのは、「私」がお金が欲しくてたまらないからこそ言える。
辛抱強いと言えるのは、「私」が短気で怒りっぽいからこそ言える。
ウソがつけないと言うのは、「私」がウソばかりついてるからこそ言える。

ぜーんぶ、正反対の醜く弱いと感じる「私」がいるからこそ。
だって「本当の自分」は、いかなるものにも中立。ポジティブもネガティブも、長所も短所もないんです。それなのにあるってことに、まず疑問を抱いてください。表があれば必ず裏がある。上があれば必ず下がある。そう思う、そう感じるということは、反対もないといけないんです。それが二元の世界の顕われ方ですから。
(´∀`)

正反対の「私」を認めれば、そういう「私」も存在することを許せば、プラスとマイナスでゼロになるように、自ずと「私」は崩れて消えていきます。そのときの爽快感って言ったら言葉で表せません。

病みつきになっちゃうよ〜♪

ごきげんよう。


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ウメ
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うめ
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オオイヌノフグリ
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梅の里公園@岡山県津山市
posted by 笑うウリエル at 23:05| Comment(67) | このへんから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする