前回の記事で、「問題」に直面したとき、ただ、この『いま』を体験しなさいということを書きました。
「問題」というほどでもない、「疑問」に出会ったときもそうです。同じです。
そもそも正解なんてない
のです。
思考は「これが正しい」、「これは間違っている」、「これは役に立つ」、「こんなのムダ」とか、常にジャッジしたがりますが、正解なんてないのです。正解なんてないというのが正解なんです。
(´∀`)
さて、今日はそのことについて、もう少し補足しておきましょう。
問題や疑問に出会い、ただ、そこで『いま』を体験して、そして、あなたはそこでの
「本心」(・∀・)
に、素直に従えばよいのです。素直で正直な『いま』の気持ちを、そのまま言葉や行動に表現すれば、それでよいのです。それが『真実』からの表現なのですから。
「本心」は強い衝動のときもあれば、かすかな心の奥底からの「ささやき」のときもあります。『いま』をしっかり体験しないとわかりませんよ。それをよく感じ取ってください。
そして「本心」は、あなたが今までに教わってきたこと、生きている中で身に付けたこと、常識とか良心とか道徳とか経験とか、そういったものは、
ガン無視します
完全無視。いっさいお構いなし(´∀`)ノ
イエスだって神殿でブチ切れて、暴れて店を壊したりしました。
道元は弟子をいつもぶん殴ってます。
親鸞は仏門にいながら妻をめとりました。
もし彼らが思考で判断し、常識や良心や道徳にとらわれていたら、こんな行動はできません。でも、彼らはそのときそのときの純粋な「本心」に従っただけなのです。それで結果的に、何も問題なく流れて行ったわけです。
どんなときも、
「本心」(・∀・)
を表現する。これはとても大事なことです。
自分で自分の「本心」がわからないときは、「わからない」でよいのです。それが「本心」なのですから。
だいたい、
「本心」(・∀・)
を見せない人と、あなたは付き合いたいですか? ですよね、あまり付き合いたくないですよね。正直で裏表がない人でないと信頼できませんよね。この世界との信頼関係も同じなんですよ。
「本心」(・∀・)
を表現する。素直に正直に。善悪や道徳や損得勘定なんて考える必要はありません。それによって「ひどいヤツ」とか「ダメなヤツ」という評価をされることもあるかもしれません。でも、最終的には、それでいい結果になるんです。
そんなに難しいことではありません。
だって考えなくていいんですから。
ごきげんよう。
曽爾高原

この広い高原にひとりだけ。
貸し切りキタ━(゚∀゚)━!

雪が舞ってきた。

@奈良県曽爾村