2019年12月16日

こだわり1「批判」

ごきげんよう (゜∀。)ワヒャヒャヒャヒャヒャヒャ


いったい、なんのためにスピリチュアルな探究をするのか?
それは、「本当の自分」が、いったいどんなものだったを思い出し、本来の自分の状態に戻すためです。そして、その本来の自分の状態で、この世界を体験するためです。
(・∀・)ニヤニヤ

そのために「ブッダのほう」や「イエスのほう」を使って、「本当の自分」に寄せて行くわけですが、その歩みが大きい時もあれば、じわじわとゆっくりのときもあります。残念ながら、一気に本来の自分に戻る方法は、私ウリエルは知りません。

「ブッダのほう」も「イエスのほう」も、どちらも「私」が握りしめている「こだわり」を解くものです。そうです。本来の自分の姿に戻るには、人生の中で意識的にも無意識にも作り上げてしまった、条件付け、意味づけ、価値観、信念という「こだわり」を解きほどく必要があるのです。
そこで、この「私」の内に「こだわり」がないか、日ごろからよく注意しておきましょう。
(´∀`)ノ

事実、この「私」ってヤツは、巧妙にこの「こだわり」を隠します。解きほどいたと思っていても、知らない間に作り直したりするし、新たにも作ったりもします。なので、注意することをサボってはいけません。


さて、そこで隠れている「こだわり」をどうやって発見していくのか、おさらいをしておきましょう。まず今日は、

「批判」

です(´・ω・`)

「批判」というのは、正しい間違い、善悪、または優劣という分離した価値観を持っていないと出てきません。当笑ウリ部にずっとおられる奇特な方々はすぐわかりますよね。
(´∀`)
つまり、批判してしまうとき、そのような欲求が起きるとき、何らかの分離した「こだわり」を持っているということです。他者を「批判」するときはもちろんですが、「自己批判」もそうです。

巧妙な「私」は、間違っているのは自分だと思ったりして、「批判」を胸の中に収めてしまったりしますが、それでは余計に「こだわり」を強めます。自分が間違っていると思うのも、正しいと間違いに分離しているからです。本当はどちらも正しいとも間違いとも言えない。これが『真実』です。一万人が間違いだと言っても、それが本当に間違っているのかは、

「わからない」

これが『真実』です。

本来の自分は、どちらが正しいのか間違っているのかわからない。どちらが善で、どちらが悪なのかわからない。どちらが優れていて、どちらが劣っているのかわからない。だから、

批判のしようがないんです

(・∀・)ニヤニヤ

ハイ。というわけで、批判してまったとき、そんな気持ちが起こったとき、

「あー、まだまだ『こだわり』を持ってるんだな」

と、見抜いてください。そして、その批判したくなる感情、欲求のエネルギーを感じてください。
見抜いて、ただそれを感じるだけです。解きほどこうとか消そうとか、焦って考えたり、どうこうする必要はありません。それが今の『ありのまま』なのですから。ただ、これが今の自分だと受け入れて、許してくださいね。

でも、感じながら洞察はしてみてくださいね。
「なんでそんなこと思うんだろう?」とか「いつからそんなこと思うようになったんだろう?」とか。
ぐぐーっと深く入ることができれば、なお良いので。
(´∀`)

本来の自分は、だれも批判などしません。批判が何かすら知らないんです。

出会う人、起こること、あらゆることをぜーんぶ無邪気に受け入れます。歓びとして迎え入れます。

そんな自分に戻るため、コツコツと「批判したい根性」を内側に見つけて行きましょう。見つけてそれを感じているうちに、やがて解きほどけていくんですよ。恩寵として。

まあ、今回はこのへんで。

ごきげんよ♪


鬼ノ城(きのじょう)古代の山城です。
IMG_7643.jpg

ここに大昔、「うら」という怪物みたいな男が住んでいて、
IMG_7657.jpg
前の記事の吉備津神社の祭神、
「きびつひこのみこと」
が退治しました。そのとき家来の、
「いぬかいたけるのみこと」、他2名を連れて行きました。

IMG_7652.jpg
もう、おわかりですね。
あとの2名は、サルキジですよね(´∀`)
ここは「きびだんご」のクニ@岡山県総社市


posted by 笑うウリエル at 22:23| Comment(71) | このへんから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする