2019年11月23日

「みじめ」2 (´;ω;`)

ごきげんよう Σ( ゚∀)ゲッ!!


肉体と思考を「私」と思っている状態では、すなわち、分離した状態では、どんな『いま』も、

「みじめ」(´;ω;`)

に、感じます。そのことを前回の記事でお話しました。
なぜそうなるかというと、分離していない状態と対極になるからです。
分離したと言うことは「二元」です。「二元」では相反するふたつの極があるから「二元」なわけです。

ということで、分離していない状態が、絶対的な幸福、無限のエネルギー、『愛』ならば、
分離した「私」は、それと必ず対極になります。相対的な幸福しかわからず、何もかもが有限で、『愛』もわかりません。ま、ひとことで言ってしまうと、みみっちくて、

「みじめ」(´;ω;`)

なヤツなんです。


この、みみっちい「私」は、絶対的な幸福、無限のエネルギー、そして『愛』とつながっていれば、まだよかったのですが、それも何かの原因で不通になってしまっております。だから混乱し、さまよってしまっているのです。
そして、さまよいながら、なんとか「みじめ」から脱しようと、常に相対的な幸福を追いかけております。しかし、相対的な幸福、つまりは頭で考えて思いつくような幸福では、ちっとも「みじめ」は消えないんです。

なんとか絶対的な幸福、無限のエネルギー、『愛』に、再びつながることはできないでしょうか?
……(´・ω・`)
……(´-ω-`)

いや、できるんですよ。ちゃんと。
……(・∀・)!

ただ、こうすればよいと頭でわかるものではありません。
まず頭、思考を使えるところだけ使いましょうか。

思考は物事を「二元」でしかとらえることができません。だから、

「みじめ」(´;ω;`)

と、感じるということは、その対極が必ずあります。「みじめ」と反対の「みじめ」でないものです。

「至福」(´∀`)

です。
んで、「二元」でない世界からみると、つまり「非二元」からみると、この相反するふたつの極は「同じ」なんでしたよね。というわけで、

「みじめ」と「至福」は同じ

なのです。ならないとおかしいというわけです。こんなもん、頭でいくら考えたところで、まず理解できません。


さて、それを理解するにはどうすればよいか?
それは。まず、『いま』

「みじめ」を感じていることを認める

です。
認めてください。ハイ。
あなたは「みじめ」を隠しています。押し込んでいるのです。なんだかんだ言って、まことに正直なところ、お金はいくらでも欲しいし、孤独はイヤだし、病気にもなりたくないし、たくさんの人に愛されたいし、他者はどうであれ自分だけは快適で不安のない生活がしたいのです。そうならないと不安で仕方ないのです。そんな欲望と恐怖でキュウキュウとしている「みじめ」なヤツなんです。その「みじめ」を、

しっかりと見つめて、感じてください

「見ているヤツ」や「感じているヤツ」がわかる方は、その視点に立ってください。わからない方も、自分自身を客観的に見てください。「みじめ」なヤツだと。

嬉しいことや楽しいことは、私たちは放っておいてもしっかり感じます。感じ切ります。
でも、不安や恐怖、醜いことが心の中に湧くと、それからすぐに気を逸らしてしまうんですよね。本を読んだり、テレビを見たり、楽しいと感じることをしたり、誰かに相談したり……
ちゃんと「みじめ」な「私」を直視して感じてないのです。「二元」の世界ではふたつの極がバランスがとれてないと、苦しみになるんです。だから、

「みじめ」(´;ω;`)

のほうも感じてください。受け入れて「祝福」してください。


すぐに何かがわかるものでもありません。でも、わかるときはすべてが一秒でわかります。それまで根気よく感じてください、とだけしか言えません。そして、「みじめ」と「至福」が同じは、言葉で説明できるものではありません。

「あ!?」

と、彼方からの「智慧」でわかります。「ちえぞう」から来ます。あるとき不意にわかります。「同じだわ」って。
そして「みじめ」と「至福」はひとつになります。

ひとつになると、あら不思議。

「至福」(´∀`)

だけになっちゃうんです。


ごきげんよう。


紅葉いろいろ
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posted by 笑うウリエル at 22:07| Comment(74) | このへんから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする