2019年11月02日

「愛されたい」(´・ω・`)

ごきげんよう ( ;∀;) ウヒャ…


えー、今回のお題は「愛されたい」です。ハイ。
(´・ω・`)
「イエスのほう」でハートを感じていると、必ず突き当たるテーマです。ハイ。


まず、なぜ人は「愛されたい」と思うのか? そして、誰からも愛されないと「惨め」だと感じるのか?
なんで……?(´・ω・`)
ハイ、その答えは、とても簡単です。

赤ちゃんのときに愛されたから

です。もちろん、親にです。親は最初の他者です。
簡単だったでしょ?

まだとても幼い時、あなたは自分ひとりでは何もできませんでした。食べるものも、着るものも、ぜーんぶ親に面倒を見てもらわないといけませんでした。寒いと思っても、毛布一枚、自分で出してかけることができません。

「親に愛されること」

これは、まさに死活問題だったのです。見捨てられては、もう生きていくことができません。だから、少しでも愛されてないのではないか? という疑念が生じたら、不安で仕方なかった。あなたは何が何でも愛されなくてはいけないと思った。そのときに、

「愛されるべき」

という、条件づけがなされたわけです。「こだわり」です。ただ、それだけのことなんですよ。
(・∀・)


さて、大人になった今のあなたは、別に誰からも愛されなくても死にはしません。何らかの介助が必要な方でも、生活していくのに、母親が赤ちゃんを愛するほどに愛される必要はないですよね。そんな赤ちゃんの頃の古い「こだわり」なんて、そろそろ捨てても一向にかまわないわけです。逆に捨てないと混乱が生じます。というか、捨ててないがゆえに、この世界はすでに大混乱に陥っているわけです。

「愛されたい」がために「愛する」

が、横行どころか、もうフツーになっちゃってますよね。
(´・ω・`)
「私はあなたを愛している」は、「あなたを愛してあげるから、あなたも私を愛してね」という、取引になってしまってます。愛なんて本来、取引できないのに…… 


「愛されたい」は、自分は「惨め」だと言っているのと同じです。「惨め」だと感じているから「愛されたい」わけで、満たされていたら「愛されたい」とも思いませんから。
そんな「愛されたい」どうしが出会うわけです。「惨め」どうしが。そして起こることは、惨めなふたりの愛の奪い合い。なんつー不毛な。そしてオロカです。
(´・ω・`)
そんな不毛でオロカな愛の奪い合いから抜け出して、本当の『愛』を思い出さなくては、いつまでたっても「惨め」なままですよ。


では、どうしたらよいでしょう? その方法はひとつしかありません。

「惨め」を感じ切る

だけです。ハイ。

「愛されたい」は「惨め」なんです。「惨め」だと感じているからこそ「愛されたい」と思います。
だから愛が欲しいと思うときの、「惨めさ」をとことん感じてください。

ひとりになって、悲しみや辛さにどっぷり浸ってください。

何日か「惨め」とともに暮らしてください。

ありとあらゆる「惨め」な考えが現れてくるのを許してください。

それが嵐のようになっても許してください。

「惨め」の中に沈んでください。深く深く、沈んでください。

私たちは「惨め」と感じたときに、反射的にそこから目を背けることばかりしてきたので、「惨め」が通り過ぎて、そのあと何が現れるか、実は一度も見たことがないんですよ。ずっと「惨め」はよくないとジャッジして、出てこないように抑圧してきました。ずっとですよ。かなり古漬けになってます。

でも「惨め」は通り過ぎます。そのあと何がもたらされるのか、「私」はまだ知らないのです。
それは「私」によってもたらせるのではありません。『智慧』として、恩寵としてもたらされます。


何がもたらされるか? 

もちろん、本当の『愛』です

ごきげんよう。


城崎温泉、はっておこう。
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夕暮れ時の温泉街っていいねー。
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@兵庫県豊岡市
posted by 笑うウリエル at 22:24| Comment(61) | このへんから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする