2019年11月06日

思考の使い方「なんで」(・ω・`)

ごきげんよう |д゚)チラッ


私たちって、いつも何かしら考えてますよね。「思考のおしゃべり」なんて表現したりします。

この、「いつも何か考えていること」にとらわれているから、私たちは大事なものを見失って混乱しているわけです。「いつも何か考えていること」が自分だとカンチガイしているんですよね。
だから、「思考を止めろ」なんていいますが、そんなの

できるわけねーだろ(゚Д゚)!

ってのが、正直なところじゃないかと思います。ハイ。


思考っていうヤツは、たいへん優れた道具です。コンピューターです。「もっと頭を使え!」なんて言われましたよね。道具だからこそ「使え」なんて言えるわけです。そう、使うものなんですよ。ただ、あまりにも使える道具なので、ちょっとこれに頼りすぎています。これさえあれば何でもできるという風に思い込みすぎて、考えるのを止められなくなって依存症になっちゃってるんです。
(´・ω・`)
しかもこの思考が凝り固まっているんですよね。凝り固まった思考の依存症。

というわけで、この依存症の症状を軽減したいわけです。んが、さて、どーしましょう?
止めろって言われて、ハイ止めましたと簡単にできるなら、どんな依存症もイッパツで治ります。そうはいかん。
まあ、せっかく使える道具ですし、この思考という道具以外に他の道具もないので、依存症の治療にもやっぱり思考を使ってみましょうか。使い慣れてる道具でもありますので。


いきなりですが、「因果」という言葉をご存知ですか?
「原因」と「結果」のことです。「因果関係」なんて言いますよね。
「因果応報」なんていう仏教用語もあります。

善いことをすれば、善い結果になる
悪いことをすれば、悪い結果になる

という意味ですね。
「あー、なるほど、じゃあ善いことをしよう!」
と、とらえてしまうから、おかしなことになっているんですよ、実は。
(´∀`)
たぶんブッダもそんな意味で言ってない。この結果重視の視点が混乱のモトです。そうじゃなくて、原因の方を重視してみましょう。
「今こういう結果なのは、原因があるのだ」
こっちね。例えば、
「今、お金がないのは、昨日たくさん使ったからだ」
「体重が増えたのは、ここ最近食べ過ぎたからだ」
こんなかんじ。するとこうなりますね。

いま善い結果なのは、善いことをしたからだ
いま悪い結果なのは、悪いことをしたからだ

ここまではよいでしょうか? さて、ここでまた問題がたびたび発生します。「いま善い結果」のときはあまり考えませんが、「いま悪い結果」のとき、私たちはよくトンデモ理論を持ち出します。「バチが当たった」的なヤツです。
「今、お金がないのは、昨日たくさん使ったからだ」
なら、なんの問題もないのですが、
「今、転んでケガをした」
のときは、ちょっと「悪いことをした」という原因が見つかりません。そこで、
「うーん…… そうだ! 昨日お母さんにひどいことを言ったからだ!」
とか、テキトーに、超テキトーに結び付けたりします。
原因を探しても見つからない。でも何か因果があるはず。というわけで、そんなトンデモ理論で強引に納得させようとする。思考はコンピューターですので理論があると落ち着く。めっちゃくちゃトンデモでも、いちおう理論は理論ですので、なんとか納得できちゃう。でも、こんなことしたら、もっと混乱しますよね。でしょ? だって因果ないもん。

ちゃいまんねん(´・ω・`)

そもそも、「因果」って、そういう意味とちゃいまんねん。もっと『いま』に目を向けてください。

いま善い結果なのは、善いことをしたからだ
いま悪い結果なのは、悪いことをしたからだ

を、

いま善い結果なのは、

いま善いとジャッジしたからだ


いま悪い結果なのは、

いま悪いとジャッジしたからだ


に、変えてください。仏教では「前世の因縁」カルマで、今そういうことが起こっているとか言いますが、ブッダはそんなこと言ってない!

原因は「悪いこと」とジャッジしたこと

その結果「悪い」になった

これだけです。これだけのことです。カルマがあるとしたら、そのジャッジがカルマです。転んでケガをしたことが前世の因縁ではない!

んで! 思考の出番です。ここで使いましょう。この優秀なコンピューターを。

「なんで?」(・ω・`)

「なんで」このいま起こったことを「悪い」とジャッジしたのか? してしまうのか?

「なんで?」(・ω・`)

もしかしたら「善いこと」かもしれない。転んでケガをしたおかげで、何か善いことがあるかもしれない。転んでケガをしてなかったら、もっと悪いことが起こっていたかもしれない。だのに、なんで即座に「悪い」とジャッジしたのか?

「なんで?」(・ω・`)

だって痛いじゃないか! では、痛いのはなんで「悪い」のか?

「なんで?」(・ω・`)

そうやって、「なんで」「なんで」「なんで」で、どんどん掘り下げて行ってみてくださいな。


「な・ん・で???」(・ω・`)


ごきげんよう。


ん? あれはなんだ?
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なんで?
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@兵庫県淡路市
posted by 笑うウリエル at 06:40| Comment(75) | このへんから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月02日

「愛されたい」(´・ω・`)

ごきげんよう ( ;∀;) ウヒャ…


えー、今回のお題は「愛されたい」です。ハイ。
(´・ω・`)
「イエスのほう」でハートを感じていると、必ず突き当たるテーマです。ハイ。


まず、なぜ人は「愛されたい」と思うのか? そして、誰からも愛されないと「惨め」だと感じるのか?
なんで……?(´・ω・`)
ハイ、その答えは、とても簡単です。

赤ちゃんのときに愛されたから

です。もちろん、親にです。親は最初の他者です。
簡単だったでしょ?

まだとても幼い時、あなたは自分ひとりでは何もできませんでした。食べるものも、着るものも、ぜーんぶ親に面倒を見てもらわないといけませんでした。寒いと思っても、毛布一枚、自分で出してかけることができません。

「親に愛されること」

これは、まさに死活問題だったのです。見捨てられては、もう生きていくことができません。だから、少しでも愛されてないのではないか? という疑念が生じたら、不安で仕方なかった。あなたは何が何でも愛されなくてはいけないと思った。そのときに、

「愛されるべき」

という、条件づけがなされたわけです。「こだわり」です。ただ、それだけのことなんですよ。
(・∀・)


さて、大人になった今のあなたは、別に誰からも愛されなくても死にはしません。何らかの介助が必要な方でも、生活していくのに、母親が赤ちゃんを愛するほどに愛される必要はないですよね。そんな赤ちゃんの頃の古い「こだわり」なんて、そろそろ捨てても一向にかまわないわけです。逆に捨てないと混乱が生じます。というか、捨ててないがゆえに、この世界はすでに大混乱に陥っているわけです。

「愛されたい」がために「愛する」

が、横行どころか、もうフツーになっちゃってますよね。
(´・ω・`)
「私はあなたを愛している」は、「あなたを愛してあげるから、あなたも私を愛してね」という、取引になってしまってます。愛なんて本来、取引できないのに…… 


「愛されたい」は、自分は「惨め」だと言っているのと同じです。「惨め」だと感じているから「愛されたい」わけで、満たされていたら「愛されたい」とも思いませんから。
そんな「愛されたい」どうしが出会うわけです。「惨め」どうしが。そして起こることは、惨めなふたりの愛の奪い合い。なんつー不毛な。そしてオロカです。
(´・ω・`)
そんな不毛でオロカな愛の奪い合いから抜け出して、本当の『愛』を思い出さなくては、いつまでたっても「惨め」なままですよ。


では、どうしたらよいでしょう? その方法はひとつしかありません。

「惨め」を感じ切る

だけです。ハイ。

「愛されたい」は「惨め」なんです。「惨め」だと感じているからこそ「愛されたい」と思います。
だから愛が欲しいと思うときの、「惨めさ」をとことん感じてください。

ひとりになって、悲しみや辛さにどっぷり浸ってください。

何日か「惨め」とともに暮らしてください。

ありとあらゆる「惨め」な考えが現れてくるのを許してください。

それが嵐のようになっても許してください。

「惨め」の中に沈んでください。深く深く、沈んでください。

私たちは「惨め」と感じたときに、反射的にそこから目を背けることばかりしてきたので、「惨め」が通り過ぎて、そのあと何が現れるか、実は一度も見たことがないんですよ。ずっと「惨め」はよくないとジャッジして、出てこないように抑圧してきました。ずっとですよ。かなり古漬けになってます。

でも「惨め」は通り過ぎます。そのあと何がもたらされるのか、「私」はまだ知らないのです。
それは「私」によってもたらせるのではありません。『智慧』として、恩寵としてもたらされます。


何がもたらされるか? 

もちろん、本当の『愛』です

ごきげんよう。


城崎温泉、はっておこう。
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夕暮れ時の温泉街っていいねー。
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@兵庫県豊岡市
posted by 笑うウリエル at 22:24| Comment(61) | このへんから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする