2019年11月17日

思考の使い方「二元」(・ω・`)

ごきげんよう ((´∀`))ケラケラ


今日はちょっとした遊び感覚? で、出来る探究のお話です。
(´∀`)ノ

私たちの頭は、物事を「二元」でしかとらえることができません。このことは重要です。つまり「一元」、すなわち「ワンネス」は、

思考では理解できないのです(´∀`)

理解できないんですよー。だのに、けっこうみなさん「理解できない」って言いますよね(笑)
理解できなくていいんです。できないんですから。

じゃあ、わかったっていうヤツは、なんでわかったんだと言いたくなりますが、「二元じゃない」がハッキリわかるだけで、そっから先は、
「あー、なんかわかんないけど、わかる!」
みたいな感覚しかないんですよ。だから「一元」でなく「非二元」と言います。それでいいんです。ハイ。


んで、私たちは日常、「二元」で物事をとらえている。「長い」は「短い」がないと存在できません。「表」は「裏」がないと存在できません。逆もしかり。あらゆるものが二極一対になってます。
そして、この対になっているふたつの極は、

まったく「同じ」

でないと、おかしいわけです。もともと「一元」だったものを「二元」でとらえているだけですから。だから対になっているものが「同じ」でないとつり合わないと、大雑把に考えてください。つまり、いっけん正反対なのですが、実は、

その本質は「同じ」

というわけです。ハイ。


例えば、こういうことです。
「好き」と「嫌い」 いっけん正反対です。好きな人、嫌いな人、とても同じとは思えません。でも、どちらもソイツのことが
「気になって仕方ない」
わけですよね。好きは好きで気になるし、嫌いは嫌いで放っておけばよいのにソイツを気にしてしまう。ほら、本質は「同じ」ですよね。
(´∀`)

「期待」と「不安」 これなんかわかりやすいですよね。どっちもドキドキです。
「喜び」と「悲しみ」 どっちも感情のうねり、たかぶりです。
「金持ち」と「貧乏」、どっちもお金についての悩みがつきまといます(笑)

こんな感じに、対になっているふたつのものは、必ず本質は「同じ」なのです。「同じ」なのに片方だけを見ようとするから、または片方になろうとするから「苦しみ」になるんです。どっちも「同じ」だから、本当はどっちでもいいのに。
それは、「同じ」なのに、それらを「優劣」「善悪」「正誤」という、これまた「二元」で、さらにジャッジしてしまっているのが原因です。ジャッジは「二元」でないとできません。
(´・ω・`)
というわけで、どっちも「同じ」だ。本当にどっちも何も変わらない。それに気づいてしまうと「苦しみ」から解放されるというわけです。

日常の中で、いろんな出来事に出会いますよね。そして、ついついジャッジしてしまいます。そんなとき、いちど正反対のものも「同じ」なんだと思ってみてください。それから、どう「同じ」か、本質は何かを、ちょっと探ってみてください。本質が「同じ」ということに気づくと、もうジャッジできませんので、「苦しみ」になることはありません。
(・∀・)


では、少し練習してみましょうか?

「昼」と「夜」

「有頂天」と「落胆」

どうですか?(´∀`)


んでね、本質が「同じ」に気づくということは、つまり「本質が見えた」ということです。そして、その本質を知ることが、そのまま大きな気づき、目覚めにつながることがよくあります。

本質がもう悟り

みたいなやつ。

というわけで、それらの対になった奴らを並べておきますので、お暇なときに、「うーん」とうなりながら思いを馳せてみてくださいな。

「裕福」と「困窮」

「同じ」と「違う」

「幸福」と「不幸」

「楽しみ」と「苦しみ」

「生」と「死」

「ある」と「ない」

「未知」と「既知」

こんな感じかな。

「あー、なんかわかんないけど、わかる!」

で、いいんですよ。(´∀`)

ごきげんよう。

神戸ポートタワーと、
IMG_7351.jpg

夜の神戸港だす。
IMG_7364.jpg

IMG_7359.jpg
神戸メリケンパーク@神戸市中央区
posted by 笑うウリエル at 22:57| Comment(89) | このへんから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月14日

「開花」 (´∀`*)

ゴキゲンヨ.*:.。.:*・゚(n‘∀‘)η゚・*:.。.:*☆


人はなんのためにスピリチュアルな探究を続けるのか?

それは、本来の創造的な行動をする「私」に戻すためです。本来の「私」は、自由でイキイキとして、創造的な知性にあふれているのです。本来の「私」は悪者ではありません。

『誰だかわからない』さんと、このブログで呼んでいる得体のしれない本来の自分は、あらゆる観念を超えた創造的な知性と、どんな形にも当てはまらない自由な流動性そのもので、もう「私」の頭では何が何だかわからない存在です。存在なのか、非存在なのかもわからないくらいです。
そんな得体のしれない『誰だかわからない』さんの豊かすぎる創造性を、この世界で表現するのがこの「私」の役目だったはずなのです。


でも…… 忘れちゃったのです。
(´・ω・`)

人生というものを、何かどこかで間違って認識してしまって、それがどんどんおかしな方向へ進んでしまい、「決めつけ」や「こだわり」が積み重なって、この「私」を窮屈な牢獄に閉じ込めてしまいました。
そして、これらの「決めつけ」や「こだわり」は思った以上に根深く「私」の奥底に巣食ってしまい、なかなか本当の創造性を表現できなくなってしまっているのです。挙句の果てにこの「決めつけ」や「こだわり」が本来の「私」だと思い込んでしまうようになったのです。


ちがいますよ。

みなさんは、そんな「私」じゃありません

というか、

これが「私」だというものなんてありません


『誰だかわからない』さんの表現は「こういうもの」というのがなく、常に変化して行き、どんな概念でもつかみ取ることができません。あまりにも自由です。自由すぎて困るくらい。
そして、この変化には終わりがありません。私が「こういうものかな?」と、何か形をつかもうとした次の瞬間から、もう新たな創造性が生まれて変革していきます。とてもつかみとれないんです。

そして、この『誰だかわからない』さんの表現には、身体が健康だとか病気だとかは関係なく、裕福だとか貧乏だとかも関係なく、こんな性格だとかこんな経歴があるとか、こんな家族や人間関係があるとかも、いっさいおかまいなし。現在のあなたがどんな状況に置かれていても、次々に休むことなく表現なされるはずなんです。ホントに

止まることがありません


そんなビックリとワクワクドキドキが止まらない、本来の状態に戻すためにスピリチュアルはあるんです。

あなたの無限とも言える創造性を、

「開花」(゚∀゚)!

させるために、スピリチュアルはあります。
「覚者」になって満足するためにあるのではありません。

たとえ大きな気づきや目覚めがあっても、そこで止まっては創造性は死んでしまいます。休むことなく表現と、その変革は続いて行くのですから。
既知のことや、過去のこと、正しいと思っていること、安心だと思っていること、これらをその都度ぜーんぶ捨てて、
何が何だかわからない領域に、何の根拠もなく受け入れながら、無防備にたったひとりで歩いていくために、スピリチュアルはあるんですよ。というか、それができるなら、もう「覚者」になんてならんでいい。
(´∀`)


そしてね、

そんな、現在の「私」からはエゲツナいくらい不安定と思える状態こそが、

本当の「平安」

なのです。


だからウリエルも、休むことなく探究を続けて行ってます。

ごきげんよーん。


名古屋大仏というらしい。
IMG_7402.jpg

しかし…… なんで、こんなピッコロみたいな色に?
IMG_7393.jpg

なんで?(´・ω・`)
IMG_7394.jpg
桃巌寺@名古屋市千種区
posted by 笑うウリエル at 07:02| Comment(46) | このへんから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年11月09日

「イキイキ」 (゚∀゚)

ごきげんよう(`・ω・´)ゞビシッ!!

今回は軽い話題でいきましょうヽ(´ー`)ノ


誰だって、「充実した人生」を生きたいと思っているわけです。
仲の良い家族、やりがいのある仕事、よい人間関係、ワクワクしたり夢中になること。こういったものがそろっていると、きっと「充実した人生」なんでしょうね。今まさにその状態の方は、なーんも言うことありません。そのまま今の「充実した人生」を生きて行ってください。

でも、そんな「充実した人生」を送るには、

いったいどうしたらよいのだろう? 何をすればよいのだろう?

と、思い悩んでいる方も、きっと多いのではないかな。

もっとイキイキと生きたい。でも、そうは言っても、いったいどうすりゃいいのかわからない。とりあえず、充実するんじゃないかなと、いろいろやってはみるものの、なーんかどれも充実とは程遠い……
(´・ω・`)

いったいどうすりゃいいんでしょうね?

ハイ。こうしてください。

イキイキと生きようとするのをやめてください

ウリエルが言ったから表面的にやめてみるのではなく、もう、

心の底から、やめてください

ハイ。きっぱり、ばっさり(`-ω-´)


自分がこの世界に表現しようとしていることは、ハートの奥深くから「ひらめき」としてもたらされるのです。いわゆる直感、インスピレーションですね。

よく「カンが当たる」なんて言いますけど、そうじゃないんです。ハートの内に起こる直感がこの世界を創るので、当たって当たり前なんです(笑) 当たるとかそういう問題じゃない。直感、インスピレーションがそのままこの世界と言っていい。だから、「ひらめき」をそのまま表現するだけなのです。

この「ひらめき」は思考の中にあるものではありません。肉体の脳の中にもありません。つまり「私」が取りに行けるところにはないのです。
ハートの奥深くの恩寵の領域にございます。そこには思考では推し量れない、ものすごい『智慧』がたくさんあります。ものすごく!
だからウリエルはそこを『智慧蔵』、『ちえぞう』と名付けました。
(´∀`)


「充実した人生」を見つけようと、頭で考えていろいろやってみても、おそらく、永遠に見つからず行き詰りになるでしょうね。それは外側を探し回っているだけだからです。エネルギーを外側に放出するばかりになります。
まず『ちえぞう』にアクセスしないと。エネルギーが『ちえぞう』からハートを通って外側に表現されるのが、正常な流れです。だから、外側ばかりを向いているなら、思考ばかり使っているなら、まずエネルギーを『ちえぞう』に戻さないといけませんね。


では、エネルギーを『ちえぞう』に戻すにはどうするか?

簡単です。まず、何もしないでください。「充実した人生」などにしようとしなくていいんです。何もせずただ「ひらめき」を待ってください。待ちながらハートに耳をすましてください。
これだけ(´∀`)

何も「ひらめき」がないのなら、今はそのときでないということです。それがハートからのメッセージです。
「行き詰っていなさい」と。
そうしたら、「わかった。行き詰っているよ」と、そのメッセージに同調すればよいのです。

「いろいろやっているがこれでよいのか?」
と、感じたときも、ハートに耳をすませばよいのです。何らかの「ひらめき」があればそうすればよいし、何も「ひらめき」がないのなら、そのままいろいろやっていろということです。それに同調すればよいのです。

まっすぐに、正直に

耳をすましてくださいね。外側の世界なんて放っておいていいのです。


「ひらめき」は思考を超えていますので、それは、今まで思いも寄らなかったことだったり、理屈も通っていないことが多いです。何の根拠もないので、思考で理解しようとしないでください。「これか」と、ただ「わかる」だけがあります。
そして、それはかすかな、ホントにかすかな「ワクワク」として出現したりしますので見逃さないように。そのためにも外側なんかにかまっていられませんよ。


この世界はハートから顕現してるんですよ。ハートからこの世界が創られているんです。
思考ではとても計るこのできない、ものすごい『智慧』で創られているんです。
この『智慧』に従って生きるしかイキイキと生きることはできないんですよ。

エネルギーを内側に、『ちえぞう』に戻しましょう。

だって内側が外側なんです。なんせワンネスですから。
内側から外側に向かって、これが自然な流れ。「充実した人生」を送るための種は内側にあります。

ごきげんよう。


おー、列車が来た。
IMG_7264.jpg

ガタン、ゴトン♪
IMG_7268.jpg

IMG_7269.jpg
北近畿タンゴ鉄道・由良川橋梁@京都府宮津市
posted by 笑うウリエル at 22:29| Comment(51) | このへんから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする