2019年08月28日

「無知」 (´・ω・`)

(( ̄( ̄( ̄( ̄ー ̄) ̄) ̄) ̄)))フッごきげんよう


私たちが、あまりにも無意識に、しかも、あまりにも当たり前に行っている「無知」

「無知」というのは、前回お話した『知性』を忘れてしまっている状態、『真実』から引き離されてしまっている状態のことです。

んで、その当たり前になってしまっている「無知」とはズバリ、

「よくなろう」

です。(´・ω・`)


私たちは子どものときから、昨日より今日、今日より明日と、徹底的に教えられてきましたので、あまりにもそれが当たり前と思い込んでいますよね。それが「進歩」だと。人は「進歩」しないといけないと。

でも、「よくなろう」は、このかけがえのない『いま』の否定に他なりません。乱暴な言い方をすると、「よくなろう」は、暴力や狂気の世界と、なんら変わりがないのです。同じなのです。
そもそも、スピリチュアルですら、「よくなろう」と思ってしていたるするわけで、それでは気づきや目覚めも、「気づきや目覚めという夢」を見ているにすぎないのです。


この『いま』は、ダイナミックに変化して行きます。何も「よくなろう」としなくてもいいのです。あなたはその変化を招き入れるだけでよいのです。

「ああ、また、よくなろうとしているわ」

と、気づいたとき、その「よくなろう」をちょっと横に置いて、ただ、この『いま』を見てください。
『いま』顕われているものを肉体の眼を通して見て、『いま』ある様々な音を静寂の中に聞いてください。そして、内側に湧く感情のエネルギーを感じてください。その『いま』から動こうとしないで。それだけで、あなたは恩寵に帰って行くのですよ。
(´∀`)


「よくなろう」と、いちいち思わなくても、この世界はどんどんよくなるんです。

それをご自身で体現してください。世界を救ってください。

ごきげんよう。


「白い貝殻の道」
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海の向こうに見えるのは利尻富士です(´∀`)ノ

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@北海道稚内市


posted by 笑うウリエル at 05:00| Comment(86) | 『ありのまま』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月21日

「既知のもの」との決別(・ω・)

ごきげんようヽ(* `O´ *)ノファーーァ!


夏のピークは過ぎたようですね。あっというまに今年の夏も過ぎ去って行きます。
屋外で火を使って商売している者としては助かるのですが、あらゆる生命力がみなぎる夏が去って行くというのは、どこか寂しさがあります。
(・ω・)

さて……

私たちには、生まれ持った『知性』というものが備わっています。『智慧』と言ってもよいです。『叡智』と表現されたりもします。当笑ウリ部では、もっぱら『智慧』という表現を使っております。

この『知性』、『智慧』、『叡智』は人間だけにあるものではありません。あらゆる生き物に備わっています。例えばクマやキツネは、その日どこに行けば食べ物にありつけるか、理屈抜きで知っています。サル、シカ、イノシシは、毒キノコや毒のある実を、理屈抜きで知っているので食べません。ツバメは、どちらの方向にいつ飛べばいいか理屈抜きで知っているので、同じ場所に毎年戻ってきます。
人間はこれは「本能」という言葉で片づけてしまっています。思考にはこの「リクツヌキ」が理解できないので、しかたなく「本能」という言葉でお茶を濁していますが、真実、「本能」なんてありません。

『知性』( ・∀・)ノ

です。人間は脳が発達しすぎたがゆえに、この『知性』がわからなくなってしまった、あわれな存在です。サルだったら絶対に食べない毒キノコを、わからずに食べてしまうのですから。「万物の霊長」なんて聞いてあきれます(笑)


スピリチュアルの真の目指すところ、つまり「悟り」とは、このあるにもかかわらず見失ってしまった、

『知性』( ・∀・)ノ

を、再びこの世界に表現することです。『知性』を表現して、人生のあらゆるのものに『歓び』を見つけることです。『知性』を表現すればするほど、この世界はどんどん変わって行くのです。それに終わりはありません。驚きと感動、想像をはるかに超えた体験が、永久に続いていくことを知るのです。可能性が思考の範囲をはるかに超えていることを知るのです。


しかし、その、

『知性』( ・∀・)ノ

を表現するには、少々、困難がともないます。私たちはあまりにも知識や経験にたよりすぎて、『知性』がなんなのか忘れてしまって久しいからです。忘れているので、知識や経験、つまり「既知のもの」しかたよりにできないと思い込んでいるです。

「既知のもの」、「過去のこと」、そして、

そこから発生した「こだわり」や「決めつけ」

これらだけを人生の道しるべにしているので、グルグルと同じところをまわり、ちっとも新鮮な驚き、神聖な世界に気づけませんし、世界も変化していきません。


『知性』( ・∀・)ノ

を表現するためには、「既知のもの」、「過去のこと」、そして「こだわり」や「決めつけ」に背を向けて、未知の領域に踏み込んでいかなくてはなりません。思考、それによって作られている「私」からはなれて、偏りのない世界に、ひとり立って進んでいくのです。
思考はいろんなものを幸不幸、優劣、善悪、高低の、どちらかに偏らせて世界を見てしまっています。何かを正常とし、それ以外は異常と決めつけて、世界を見ています。そんな「こだわり」すべてに、当たり前、常識、すべてに、

背を向けてください

無防備になって、なにもかも受け入れて行くのです。なにもかも肯定し、許していくのです。すべて、

「これでいいのだ」

と、受容するだけのことなのです。
あおり運転して人を殴った男だって、「何かに恐れおののいて、あんなことしてしまったんだろうな。本当はいいヤツなんだろうな」と、思って許すだけでいいのです。


私たちの可能性は無限です。思考なんていう、ちっぽけなものでは推し量れません。ほんの一瞬先に何が起こるかすら思考にはわからないのですから。
この無限の可能性に人生を開花させるのです。『知性』がそれを受け持ってくれるのです。


あなたが今まで生きてきて得た知識、経験、それらをすべて失っても、あなたはなんの不自由もなく豊かに人生を歩めるのですよ。だって、

『知性』( ・∀・)ノ

が、備わっていますから。

ごきげんよう。


なつーーー! 夏がおわるぞーーー!
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十和田湖@秋田県小坂町

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@福島県喜多方市

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@北海道石狩市
posted by 笑うウリエル at 08:51| Comment(34) | 『ありのまま』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年08月15日

「帰依」( ´ー`)

ごきげんよう (。=`ω´=)ぇ?


旅から帰り、ウリエルの夏休みも終わりです。
(´∀`)
ということで、久しぶりに記事を書きます。


私たちは常に、「外側」に気をとられるようになっています。「外側」というのは、「私」と「私以外」に分けたときの、「私以外」のほうのことです。ふたつに分けていますので、分離しています。つまり「外側」に気を取られるとは、分離している状態のことです。

「外側」に気を取られているかぎり、『真実』は見えてきません。気づきや悟りであっても、それが「外側」にあるものと感じていては、その本質が見えてくることはありません。気づきも悟りも、すでに自分の「内側」にあるのです。それを「外側」に見つけることはできないのです。もちろん「絶対の幸福」も、最初から自分の「内側」にあるのです。

「外側」に気を取られているかぎり『真実』が見えないのであれば、『真実』に気づくには、その反対をすればよいのです。

「内側」に興味をもてばよいのです

とっても簡単。シンプルでしょ?
(´∀`)


何かを食べて「美味しい」と思ったなら、その「美味しい」ってどういう感覚なのかを、しっかりと見てください。
その食べたものが美味しいと、ついつい思ってしまいますが、よーく感じてみると、ハートの奥からシアワセな感じがするのを「美味しい」と言っているわけです。ひょっとしたら、食べ物が美味しいのではないのかもしれませんね。

「ああ、『美味しい』って、こういうことか!」
それを改めて確認してください。そして、その内側にある「美味しい」に感謝すればいいのです。
( ・∀・)
そうするとね、あなたは自然に感謝を「外側」に表現するんですよ。いちいち思考を使って、食べ物やそれを作ってくれた人に感謝を表す必要がないんです。勝手に表現してしまうのです。
そもそも感謝って、自然に湧きおこるものです。「感謝しなければ」と思ってするものではないはずですよね(笑)


誰かを好きになったら、その「好き」という気持ち、「内側」に湧くエネルギーを愛してください。目の前の人を愛する前に、まず「内側」を愛するのです。

寂しいと感じるときは、その「寂しい」を愛してください。誰かを探し求める前に、まず「これが『寂しい』か」と、確認してください。

不安を感じるときは、その「不安な気持ち」をよーく感じてください。
なんだろう、このソワソワするような落ち着かない感じは? 胸が詰まるような。ああ、これが「不安」かぁ… 
そんなふうに自分の「内側」の何を「不安」と呼んでいるのか、素直にちゃんと感じてみてください。



自身の「内側」に常に目を向け、感じることを続けていれば、世界はそれに呼応するように変化していきます。どう変化するかは、思考にはわかりません。ウリエルはこれが

「帰依」

だと思っています。神様も仏様も、「私以外」のものと思って「帰依」していては、なにもわからないし、何も変わらない。

「内側」に「帰依」してください

とても簡単なことです。「私」は「外側」に向かって何もする必要がないのですから。すべては勝手に進んでいくのです。「私」がすることは「ああ、これが『好き』か」、「ああ、これが『怖い』か」と、確認するだけです。
自分自身に「帰依」するのです。


自分自身に興味がない人は、なにをやっても上手く行きません。行くはずがないですよね。自分自身に関心がないんですから。関心も興味もないものを、素晴らしいものにしてやろうと思うなんて、無茶苦茶だと思いませんか?


この世界はワンネスです。本当は「内側」も「外側」もありません。それを知るには「外側」だけに目を向けず、「内側」もしっかり見ないと。双方からの視点がないと、ワンネスなんてわかりようがないじゃありませんか。

「外側」はもうじゅうぶん見たはず。だから、これからは「内側」をちゃんと見てね。
(=゚ω゚)ノ

ごきげんよう。


どーんとホッカイドー!
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日が暮れてきた。
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エヌサカ線@北海道猿払村
posted by 笑うウリエル at 16:55| Comment(28) | 『ありのまま』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする