2019年06月08日

なんでもあり!(゚∀゚) PART2

ゴ━━(# ゚Д゚)━━ッ!きげんよう


私たちは、この『いま』に何が起こるのか、予め知ることなどできません。まったく予測不能です。
例えそれが、この肉体や思考がすることであっても、予測できないのです。「私」は肉体や思考をコントロールしているように思っていますが、そんなのまったくの思い込みにすぎません。

街中を歩いていて、コーヒーの香ばしい良い匂いがどこからともなく流れてきた。そのとき、
「コーヒーが飲みたいな!」(゚∀゚)
と、思った。そんなの予測していましたか? してませんよね。
(´∀`)
コントロールできていると思っている思考ですら、「私」の思惑とは無関係に、勝手にどんどん活動して行っているのです。

そう、この『いま』に起こることは、すべて、

『真実』が表現する「起こること」

なのです。あなたの肉体や思考の動きですら、そうなのです。

『誰だかわからない』さんの意志

と言ってもいいかな(´∀`)


すべての「起こることが」、『誰だかわからない』さんの意志による「起こるべきこと」ならば、あなたはもう何も心配する必要がありません。ただ、この『いま』を体験すればよいのです。『誰だかわからない』さんの創る物語、世界は完璧です。あなたはただ、素直に正直に『いま』の本心を表現すればよいのです。

前の記事でも書いたように、『誰だかわからない』さんの表現は、

なんでもあり!(゚∀゚)

です。「こうあるべき」とか「こうあるべきではない」なんて、一切おかまいなしです。
例えそれが、優しくなくても、穏やかでなくても、表現したいのです。体験したいのです。この『いま』に、それを起こしたいのです。

だから、どんなときも、いついかなる『いま』も、あなたは、

ただ本心を表現すればよいのです

そして、それを

体験すればよいのです


そんなことをすれば人間関係が壊れるとか、信頼を失うとか、「私」はとにかく心配しますが、

心配いりません!(゚∀゚)

人間関係が壊れるのなら、人間関係が壊れることに価値があるのです。信頼を失うのならば、信頼を失うことに意味があるのです。
そういう「私」が考えつくようなことを、はるかに超えた素晴らしいことが起こってくるのですよ。『誰だかわからない』さんのストーリーは、なーんも間違ってません。完璧ですので。

本心が怒っているなら、怒ればよいのです。怒りを表現してください。

本心が迷っているなら、迷えばよいのです。「迷っている」を体験してください。

本心が困っているなら、困ればよいのです。何かが見つかるまで困ればよいのです。

何も取り繕う必要はありません。怒っているのに怒ってないと思うのは、自分を偽るということです。
迷ったり困ったりしているのに強がるから、余計に混迷するのです。
本心を表現しないから、偽りの自分ばかりを伝えているから、あなたのまわりには、本心を語ってくれない人ばかりが集まるのです。


ただ本心を表現すればよいのです

そこには「こうあるべき」とか「こうあるべきではない」とか、ありません。

あなたはしたいと感じたことをすればいいし、言いたいと思ったことを言えばいいし、会いたいと思った人に会いに行けばいいのです。

失敗するとか、嫌われるとか、断られるとかは問題ではないのです。そうなったときは、そうなることに価値があり、意味があるのです。


「こうあるべき」とか「こうあるべきではない」とかが、取り外された、純粋な本心からの表現に従うと、この『いま』ってヤツは本当に、

何が起きるかわかりません!(゚∀゚)

これこそが、まさに「無限の可能性」なのです。

そして、私たちはこの「無限の可能性」に、身を投げ出すことができます。

これこそが、まさに「ゆだねる」なのです。

まさに『ありのまま』なのです。


ごきげんよう。


初夏の花木いろいろ(´∀`)
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posted by 笑うウリエル at 22:26| Comment(55) | 『ありのまま』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年06月02日

なんでもあり!(゚∀゚)

(`・v´・ )ノ=☆・゜:*:ごきげんよっ!!


人間社会は「こうあるべき」だらけです。ルール、常識、法律、そして道徳や倫理、さらには社会通念。
そして「私」も、おおむねこれにそって、「こうあるべき」だらけです。

一方、『誰だかわからない』さんは、そんなものおかまいなし!(゚∀゚)

なんでもあり!(゚∀゚)

です。この身体を通して表現したいことを表現し、体験したいことを体験しようとします。「私」はこれをたいへん恐れています。

「そんなことをしたら、人生がメチャクチャになっちゃうよ!」

って。だから、いろんなものを「抑圧」しております。これが以前、記事に書いた「抑圧」です。


実のところ『誰だかわからない』さんは、そんなメチャクチャな大混乱を体験するつもりは、これっぽっちもないのですが、それは思考には理解できません。理解できないので、その『誰だかわからない』さんが表現する可能性がある恐ろしいことを、

「悪」
「非道徳的」
「醜い」
「惨め」

と、勝手に決めつけて「抑圧」して、ナキモノにしています。そんなもの「私」の中にはありませんよーって。
もし、そんなものがあると、とてもたいへんなことが起こってしまうかもしれない。だからないことにしよう。そう判断したのです。本当はあるのに覆いをかぶせて、隠してしまったのです。

「ナイナイ、そんなものナイよー」

と。

でも、「ある」から「ない」と言えるんですよね。最初から存在しないものは、「ない」と言うこともできないんですよ。
わかりますか?(´∀`)
例えば、お皿の上におまんじゅうがあった。しばらくするとお皿だけになっていた。このとき、
「まんじゅうがない!」
と、言えるわけです。最初からおまんじゅうがなくてお皿だけだったら、「まんじゅうがない!」って言いますか?
「ある」と認識しているから、「ない」と言えるわけです。


さて、ということはです。だいたい、ウリエルが言いたいこと、わかってきましたよね。
(´∀`)

「お金なんか欲しくない」と思っているとき、「お金が欲しい」んです。「お金が欲しい」と思っているから、「欲しくない」と思えるんです。

「あの人が許せない」と思うとき、本当は「許してもいい」という気持ちがあるから、「許したくない」と思えるんです。

「ひとりの方が気楽だ」と思うのは、「ひとりは惨めだ」と思ってるからこそなんです。

「怒っていない」と思うとき、「怒っている」んです(笑)


こんな感じで、日常で表面的に思っていること、感じていることの正反対の「思い」が、必ずあるのです。正反対の「思い」があるからこそ、今あなたはそう思うし感じるのです。

その正反対の「思い」を認めてください

ただ認めてください。潔く。これが、

「自分を愛する」

でもあります。


自分では簡単には認められないものもありますよ。でも、どんなに抵抗しても認めざるを得ないんです。必ずそうなんですから。
『誰だかわからない』さんは、その「思い」の感覚も体験したいのです。それを知ることによって、何かに気づくことがたくさんあるのです。それを「抑圧」してナキモノにしては、いつまでたっても気づくことができません。迂回はできないのです。


その「思い」を『誰だかわからない』さんは、本当に身体を通じて実行に移すかもしれません。

なんでもあり!(゚∀゚)

ですから。

でも、何も恐れる必要はありません。


誰よりもあなたは愛されていますから。


ごきげんよう。


薔薇の季節だ。
情熱の真っ赤な薔薇を♪
胸に咲かせよう♪
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posted by 笑うウリエル at 23:23| Comment(32) | 『ありのまま』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする