2019年05月20日

「愛される」

<(_ _*)> ゴキゲンヨウ


目覚めていない状態、つまり、分離した「私」にどっぷりと浸かっている状態。
この状態では、人はものすごく「分離」に価値を置きます。善悪とか、勝ち敗けとか、成功失敗、高低、美醜、幸不幸、などなど。

アイツよりオレの方が収入が上だー
あの人より私の方が美しいわー
彼よりいくらかは人間性が高いー
この仕事より、あっちの仕事の方が良いー

こんな感じね(´∀`)
ふたつに分けたもの、すなわち分離したものの片方に価値を置くのが大好きです。


それと、もうひとつ。

私と他者 (*´・ω・)(・ω・`*)

という「分離」が大好きです。「私」と「他者」が別々だということに、ものすごく価値を置いています。


このブログに長く出入りしていただいて、コメントとかも書いていただいてくださる方におかれましては、この「私」と「他者」という分離が、なーんとなく曖昧になっておられるように、ウリエルは感じます。それでなーんも間違ってませんよ。他者が私のときもあり、それでいて、私と言う個人もいる。なーんだか曖昧でよくわからない。それでよいのです。
(´∀`)

そして、曖昧になってくると、他者がどう見るかよりも「自分がどうするか」に重きを置くようにならざるを得ません。勝手にそうなって行きますよね。内側から湧き上る何かによって、行動するようになります。それがまさに、

「愛する」

なのです。

一方、無意識の夢見の状態、どっぷり「私」でいると、「分離」に重きを置きますので、

「愛される」

が、とても大事なことのように思えます。これはもう最重要事項です。


さて、

「愛される」

は、分離してないと起こりえない状態です。私と他者と言う分離を土台に成り立っています。
分離から起こるものは、いくらがんばっても分離が拡大していきます。これは『真実』ですので、「愛される」状態を得ようとすればするほど、事態は厄介なことになります。120%そうなります。12000%と言ってもいいです。
(´・ω・`)
ということで、

「愛する」

に、重きを置いて行動してください。
んで、ここで、とてもとても気をつけないといけないことがあります。

「愛される」ために「愛する」

は、やっぱりどう見ても「愛される」に重きを置いていますので、分離を土台としているということです。ハッキリいいまして、残念ながら、世の男女は99%この状態です(笑) 世の親子もそうかもしれません。これでは事態は悪化の一途です。


ただ「愛する」のです。

「愛する」ことができることを喜び、感謝するのです。

この世界に、顕われてくれたことを歓ぶのです

「愛される」なんて、これっぽっちも考えなくていい。


人に限らず、仕事でもお金でもモノでも、すべてが神様が顕現したものなんですよ。ただ「愛する」だけなんです。あとはなーんもしなくていい。
出あえてよかったと感じたら、ただよかったと感謝すればよいのです。
出会いたくなかったと感じたら、なんでそう感じるかを探ればよいのです。探ればそこにニヤリと笑った神様を見つけることができるはずです。


純粋に「愛する」から行動したとき、あなたはこの世界から、誰よりも愛されていることに気づくでしょう。

それは、まさに、

「祝福」

としか、言いようがありません。

ごきげんよう。

ツツジ
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ちなみに、ここは大阪空港。ヒコーキが着陸してきた。
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@兵庫県伊丹市
posted by 笑うウリエル at 23:24| Comment(77) | 『ありのまま』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする