2019年03月16日

見られているものは見ているもの (´ー`)

\(゜∀\)#(/∀゜)/ ゴキゲンヨ〜


「目覚め」にはいくつかの視点がある。このことに気づくことは、とても重要です。

個人として生きている「私」の視点に立つと、「私」は「本当の自分」に見られています。そのときの「本当の自分」のまなざしを、人はのように感じます。
この世界の中心はハートの「ここ」にあり、この世界のすべてが「私」の内にあります。

これは、自己想起と言われたりします。いわゆる「イエスのほう」
「私」は神によって創られた「神の子」なのです。
この視点の一歩先が、「ブッダのほう」になります。ただ「見ている」、「私」を含めた顕現している世界のすべてを見ている。見ているだけがあり、誰が見ているのかはわかりません。観照と言われています。

このふたつの視点が同時にできるのかどうか、ウリエルにもよくわかりません。思考の範囲を超えてしまいますので。「頭ではわからないけど出来ているような気がする」みたいな、曖昧な感覚だけがあります。


自己の内面を見つめていくことによって、自己想起が起こります。「すべて私」の視点です。そして、すべてが与えられている、すべてが神の贈り物、ギフトという理解が起こります。悲しみも怒りも苦しみも、かけがえのない神の贈り物なのです。
それを超えていくと観照になります。簡単に言うと神視点ですね。「私はいない」視点です。

自己想起と観照、片方だけではなんかおかしくなります。両方使って人としての成熟は増していきます。
というわけで、ここのところ、すっかりおざなりになんていた自己想起、「イエスのほう」のことを少し書いておきますか。
(´ー`)


ハートを感じてください。感動したらジーンとくる、その場所を。
そして、その感動の振動と、この世界を共振させてください。言葉で表現すると、とても難しいことのように思いますが、リラックスして、
「世界はこの『いま』、このリラックスのために存在している」
そんな感覚になってみてください。
あらゆる苦しみ悲しみも、この胸の奥から湧き上るあたたかいエネルギーのために与えらていることがわかりますか?
ネガティブな出来事、それによって起こるネガティブな感情を体験していないと、このリラックスがないというのがわかりますか?

すべての苦しみは贈り物

そう言われても、思考ではどうも理解できません。でも、なんとなくわかりませんか?

あらゆる苦しみがあるからこそ、あなたは優しさや穏やかさを、『愛』を、感じ見ることができる。

とてもシンプルでしょ? こんな単純なこと、どうして今まで気づかなかったのでしょう?

朝から夜までリラックスしていたら、そのリラックスの心地よさなんてわかんないですよ(笑)
わかんないどころか、気分悪くなるかもしれませんよね。
(´∀`)

苦しみにも感謝してみてください。それによって自己想起、「すべて私」が理解できる糸口が見つかります。
山のような苦しみがあったからこそ、たったひとつの優しさが、これ以上ないくらい光り輝く瞬間があるということ。かけがえのない体験ができるということ。この仕組みに感謝してください。


すべての苦しみは贈り物

なら、あなたに耐えられない苦しみなど与えられません。そして、救われないこともありません。ということは、

苦しみがあるってだけで、最初から救われています。

それをすべて包み込んでいるのが『愛』ってことを、

そのことをなんとなくでも、

わかってもらえたなら、うれしいな。
(´∀`)ノ

ごきげんよう。

豊川稲荷に行ってきた。「狐塚」
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こっちみんな。
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お土産はもちろん「おいなりさん」
ワサビいなり。美味でした。
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@愛知県豊川市
posted by 笑うウリエル at 22:38| Comment(90) | 『ありのまま』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする