ちょっとずつ、春が近づいてきてるなー♪
さて...... 「承認欲求」についての探究は、けっこうしんどいです。なぜなら、「承認欲求」は、
「孤独の恐怖」
の裏返しで同じものだからです。それは、この世界と個人としての「私」という、二元世界に分離した出発点なのです。つまり、
「私」の屋台骨
です。だから「承認欲求」の消滅は、「私」の崩壊でもあります。
簡単には消滅しませんが、消滅してしまえば、巷にあるスピリチュアルの本で、わからない部分がなくなるくらいには成熟しますよ。ホントです。
(´∀`)
あれこれやぁーやぁーと、次から次へと書いても、みなさん、しんどくなるだけかなと思いまして、
今宵は、私ウリエルの体験談でも書いておきましょうか。つーわけで、今回は単なるエッセイです。
何年か前か忘れました。私がいちばん最初の神秘体験をしてから、2年くらい経ってましたかね。そんなに昔ではありません。すでにこのブログもやっていました。
その頃のウリエルは、ある感情のエネルギーに気づいていました。どんな感情かというと、まさに「承認欲求」に関わる感情です。これはまったく言葉に説明することができないもので、みぞおちの奥がグッと握られるような感覚です。
その感覚は、主にこういうときに現れます。
・批判されたとき
・人が自分から去って行くとき
・口論になったとき
・理解されないとき
だいたい、こんなときです。本当にうまく言えません。「わかってほしい」みたいな気持ちでもあり、「だってオレが正しい」「負けたくない」みたいな気持ちも混ざってるし、「アンタのせいでオレは怒っている」みたいな気持ちあって、そんなものがいっしょくたんになった、わけのわからない感情です。そういったいろんな感情の原材料みたいなエネルギーだったかもしれません。
まあ、「承認欲求」と、ひとことで言えばそうなのですが、「承認欲求」も様々なパターンで表面化します。その根源、大元と言えるものかもしれません。
んで、このみぞおちの奥がグッと握られるような感覚を、ただ毎日感じていたわけです。たこ焼き屋がヒマなときに、思い起こして。
もっとも思い起こそうとしても、その感覚が感じれない日もあったりして、まあテキトーにやっておりました。
すると、そのみぞおちの奥のエネルギーが、徐々にではありますが明らかになってきます。テキトーにやっていたのが、かえって良かったのかもしれません。リラックスした自然体と言えますので。
そのエネルギーは、もうずいぶん昔から変わらずっと「いる」ことに気づきます。子供のときからずっと。
そして、コヤツはいつも、現れだすと同じパターンで「私」を動かすことに気づきました。そのパターンの最たるものが、まず、
「焦る」(;゚Д゚)
んです。とにかく焦る。「早くなんとかしないと、たいへんなことになってしまうぞ!」という感じで、ウリエルを急かして、じっとしていられなくさせる。
「焦る」次の行動は、何パターンかありました。だけど、とにかく、いちばん最初は「焦る」から始まる。
人から批判された、会話をしているうちに口論になった、「さよなら」を告げられた。その瞬間、まず、
「焦る」(;゚Д゚)
ウリエルはこの「焦る」に注目しました。このドキッとするようなイヤな感覚。じっとしていられない、早く手を打て! みたいな感覚。これこそがみぞおちの奥を握られる感覚の正体と思いました。
それから、何日かこの「焦る」を感じ続けました。テキトーに。
そして、二、三週間たったかなー。ある日、ふと、
「明日、バイクに乗ろう。すると、わかる」
と、思ったんです。なんでかわかりません。そんな気がしたんです。
そんな気がしたものの確信はなく、半信半疑で次の日、とりあえずバイクを運転しました。あ、バイクってのは探究にいいんですよ。余計なことを考えず運転だけに集中できますので。ある意味、思考が消えるんです。そしてね、走り出してしばらくして、本当にわかっちゃいました……
(´;ω;`)
うまく言えません。ここからは感覚だけの話です。
果たしてそれは、大きくて黒くて、猛獣のヒョウのようなエネルギーでした。
彼はじっとして、まるで門番のように私のみぞおちの奥に横たわっていました。全身キズだらで、とても痛々しく感じました。
瞬間です。ほんの瞬間です。一秒もないです。それを感じた瞬間、ウリエルはこのヒョウのようなエネルギーが、ずっとウリエルを守ってくれていたのだとわかりました。
とても親しみ深く思えました。だって、子供のときからずーっといっしょにいたエネルギーなんですから。それが、こんなにキズだらけになって……
とても悲しくなって、涙がとめどなく溢れました。
スピリチュアルでエゴとか自我とか呼ばれて、悪者扱いされているエネルギーって、こんなに健気なんですよ。この私が傷つかないように、壊れてしまわないように、必死でがんばって守ろうと守ろうとしていたのです。何十年も休まず、ボロボロになって……
「オレはもう傷つかない。だから、もう休んでいいよ」
そう彼に言ってあげようと思いました。けれど、少しためらわれました。だって、ずーっといっしょにいたエネルギーです。お別れするのが、とても寂しい気がしました。
でも、もうお別れのときなんです。だから彼は正体を見せてくれた。
「お願い、もう休んで。いままで、ありがとう」
勇気をちょこっと出して、そうイメージしてみました。
すると、そのヒョウがニッコリ微笑んだような気がしました。とても満足げな微笑みでした。そして、次の瞬間、彼は消えてしまいました。永遠のお別れだとわかりました。それから、しばらく涙が止まらなくなりました。彼もまた『愛』だったのだ……
何時間か時間がすぎて、なんだかよくわからないけど、ものすごい違和感を感じるようになっていました。なんかよくわかんないけど、すごい違和感なんです。
でも、変な感じじゃない。こんな感覚、生きてて初めて。すごく軽い。何かが変わってしまっている。でも何が変わったのかわからない。
フワフワしているようで、落ち着いている。
何が変わったのか、ハッキリするまで何日かかかりましたね。
んで、何が変わったと思います?
「さみしい」がなくなっちゃったんです
「さみしい」って、どういことだったのか、まったく思い出せないんです。
(゚∀゚)?
(´∀`*)ウフフ
以上、ウリエルの体験談、でした。
ごきげんよう。
長崎をもう少し見てみよう。

斜面に家が密集して、
電線だらけなのが長崎。

細い路地と階段だらけなのが長崎。

トルコライスなのが長崎。
