2019年02月17日

優劣  (`-ω-´)

(゚Д゚三゚Д゚)乂 ごきげんよ!


「承認欲求」のお話の続きです。

人は誰でも何らかの劣等感を持っています。誰でもです。なぜなら「私」とは、そういうものだからです。

劣等感というのは、あくまで劣等「感」です。そんな感じがするということです。本当に劣っているかどうかわからないのに、なんか勝手にそう思い込んでいるということです。

でも、劣等感は持って悪いものではありません。Aクンは自転車に乗れるのに、自分はまだ乗れない。そのとき抱いた劣等感が、「よし! 練習して、僕も自転車に乗れるようになろう!」という意欲の源泉になります。劣等感自体は悪いものではないのです。

そして、練習を重ねて自転車に乗れるようになったとき、Aクンや他の人たちから、「よかったね!」、「すごいじゃないか!」と認められます。そのとき、とても気もちいい気分になります。これで、不快な劣等感は克服されて消えました。そして、このような体験を何度もしているうちに、

「人に認められたら劣等感が消える」

ということを学習したのです。しかしこれが、やがて承認欲求が大きくゆがんでいく出発点であったのです。

自転車に乗れる=優=他者に認められる=善
自転車に乗れない=劣=他者に認められない=悪

こんな構造の「私」が、形作られ固められて行くのです。やがて、優越性を求め優れた人になることが気持ちよいし善であり、劣等なままでいることは不快で恥ずかしく、悪になって行くのです。


さて、どんなに優越性を追求しても、どうしても優れた人になれないことが、生きていると多々あります。どうやっても克服できない劣等感。でも、

「人に認められたら劣等感が消える」

ということは知っていますので、なんでもいいから認められたいと思うようにまりました。とにかく他者に認められないと、不快な劣等感に、ずーっと浸っていないといけません。そんなのイヤでイヤで仕方ありません。その状態になることは、もう「恐怖」となりました。だからか、反対になんでもいいから認められると安心するようになりました。

とにかく認められるには「優」であればいいのです。「優」であれば褒められ認められるのです。これが、「私」の根幹になってしまったのです。
「私」はいたるところで「優」になろうとするようになりました。いたるところで「優」になるためには、いたるところで「優劣」の判断をしないといけません。そんなふうに、いたるところで「優劣」の判断をしているうちに、あらゆるものを「優劣」で見るようになってしまいました。それがもう当たり前になってしまい、無意識になっているほどです。

ほら、みんな好きですよね。「○○ランキング!」とか。
(´∀`)
自分自身がランキングの上位だと安心したりするのも、無意識に「優」になろうとしているからです。
自分の生まれた都道府県とか、自分の好きな芸能人とか、自分の生まれた星座とかが上位にランキングしてても、うれしくなったりします。これはもう重症ですね。そんなの自分自身とは、ほとんど関係ないのにね(笑)



世の中やものごとを「優劣」でジャッジする性質を持つようになったのは、劣等感が出発点です。劣っていると思うときの不快な感じです。この不快感を払拭する方法を、私たちはひとつしか学ばなかった。

「優」になる(`-ω-´)

だけ。
しかし、努力しても「優」になれなかったり、努力のしようがないものもたくさんあって、なんだかわけがわからなくなり、やみくもになんでもかんでも「優」になろうと混乱してしまっているのです。これが私たちです。


実は努力で「優」になれないとき、別の方法があるのを、私たちは見落としてしまっているのです。もうひとつの方法をちゃんと知っていれば、こんなに混乱することはなかった。
今からでも大丈夫です。遅くはありませんよ。やり直しましょう。
それは、まず、

劣っていると認めること

そして、そのとき湧き上る不快な感じを、

感じ切ること

です(´・ω・`)

最初に言ったように、劣等感は劣等「感」です。この「感」は何なのか? どうして湧いてくるのか? どうして劣っていると思ってしまうのか?
それを思いながら、感じて感じて感じ切ってみてください。もう何度も言ってきました。ネガティブな感情を感じ切ってくださいと。それは、こういうことだったのです。

本当は、あなたが勝手に劣っていると思い込んでいるだけなのです。この世界はそれに気づくまで、何度もあなたを「劣っている」方向に突き落とします。それが、この世界の仕組みです。あなたが「優」と勝手に思っているものと、「劣」と勝手に思っているものが、実はまったく「同じ」と気づくまで。
頭でいくら「同じ」だと思い込んでも、どうにもならないというのも『真実』です。体験で気づくまで、それは解消しないのです。

体験するためには、劣等「感」を感じ切るしかありません。時間はかかりますが、それしか方法はないんです。
体験は「恩寵」として、やってきます。


そもそも、

劣っているあなたでいいから、あなたは存在しているのです。

劣っているあなたでいけないのなら、最初からあなたはいません。

しょーゆーことのなのです。『ありのまま』でいいんですから。

ごきげんよう。


長崎ランタンフェスティバル(´∀`)ノ
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お供えはリアル豚さんたちの首でした(・ω・)
@長崎県長崎市・長崎中華街
posted by 笑うウリエル at 23:25| Comment(73) | 『ありのまま』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする