2019年01月16日

どちらも『真実』 Σ(゚Д゚)

ごきげんよー( ゚ロ゚ノノ゙☆ハイハイハイ


「どんな盾(たて)も突き通す矛(ほこ)」と「どんな矛も防ぐ盾」、いわゆる「矛盾」ですね。中国の故事です。
私たちがひとりの人間として生きるこの現実世界では、片方が正しいなら、もう片方は間違いになります。私たちの思考では、どちらかが『真実』で、どちらかがウソを言っている。そういう風に理解するのが日常になってます。
名探偵コナン君も「真実はいつもひとつ!」と言います。

しかし、これ、

大きな誤解!Σ(゚Д゚)

です。「どんな盾も突き通す矛」は、実際にそれまでどんな楯も突き通してきたのです。そして「どんな矛も防ぐ盾」も、実際にそれまでどんな矛も防いできたのです。だから、

どちらも『真実』です

「じゃあ、その矛でその楯を突いたらどうなるの?」
という質問には、まだやったことないので誰もわからない。それだけのことです。『真実』はひとつではありません。だからコナン君の決め台詞も、

「事実はいつもひとつ!」

に変えたほうがよいと、常々思うウリエルです。
(´・ω・`)


私たちの思考は、片方からしか見ることができません。だから、どちらも『真実』という状態を、ものすごく気持ち悪く感じます。なんとも曖昧でスッキリしません。
例えば、「人助けは善い行為」と一般的には見ます。しかし人助けには、助けられる人の自立する力を奪ったり、助ける人が「助けてやっている」と傲慢になったり、悪い側面もあるのです。この善い側面と悪い側面を両方いっぺんに、私たちは見ることができません。

善でもあり悪でもある

これが、残念ながら、私たちの思考では理解できません。善い側面と悪い側面、それぞれの側からしか見ることしかできなくて、両方同時にいっぺんに見れないのです。
しかし、あらゆるものを深く突き詰めていくと、かならず相反すること、矛盾していることが、

どちらも『真実』

に、なるのです。

光は粒子なのか波動なのか? 科学者たちを大いに悩ませました。しかし最近の量子力学では、「光は粒子でもあり波でもある」と表現されます。見る人によって違う。どちらも『真実』です。
「見る人によって違うってなんやねん!? 」と、私たちの思考は混乱しますが、それでいいのです。


さて、スピリチュアルの世界では、この現実世界は幻想で「私」は存在しないと言います。これは『真実』です。
一方、ひとりの人間として、この現実世界に存在している「私」も確かにいるのです。これも『真実』です。

どちらも『真実』です

この状態を、やはり私たちの思考ではハッキリと理解できないです。曖昧にただ漂うことしかできません。この曖昧に漂う、これが私たちにできる唯一のことなのです。曖昧に漂いながら片方をもう片方に、双方から染み込ませて行くようにすることしかできない。これには終わりがありません。


えーと、そいでですね。今回の記事で何が言いたいのかというと、いや、ここまでは前置きみたいな雑談なんです。ハイ。
(´∀`)
あらゆるものを深く突き詰めていくと、かならず相反すること、矛盾していることが、

どちらも『真実』

に、なるよ。ということなんです。これを探究に利用してください。
例えば病気になったら人は病気を治したい。病気は悪で健康こそが善だと思います。当たり前です。だけど、病気にも善の側面が必ずあるのです。病気にならないとわからなかったことや、できなかったこと、会えなかった人やモノだってたくさんありますもんね。
「病気は善でもあり悪でもある」、「健康は善でもあり悪でもある」

どちらも『真実』

です。
お金がなくて困っているとき、お金があったらいいと思います。しかし、お金があったら、ないからこその工夫ややりくりを体験できません。その体験を通じて気づくことや、出会える人やモノだってあるのです。
どっちがいいのか、人は判断できないのです。「わからない」のです。

この「わからない」、すなわち曖昧に漂ってください。「わからない」ままでいいのだ。それを受け止めてください。すると、

魔法が起こりはじめます(´∀`)

結局、『ありのまま』のあなたでいい、としか言いようがないでしょ?


スピリチュアルの探究をしていて、ドンと腑に落ちて、「これこそ『真実』だ!」と感じることがあります。
思考は「これこそ『真実』だ!」の方向でしか理解できません。でも、真逆も必ず『真実』なんです。けれど、ついつい「これこそ『真実』だ!」だけにこだわってしまいますよね。すると、どんどん人生は混乱し苦しくなりますよ。
(´∀`)

「これが『真実』ならば、反対も『真実』のはず」

必ず、こういうふうに思いなおしてみてください。ここまでが私たちの思考にできる作業です。重要な作業です。
「私が人生を生きているのではなく、人生が私を生きているのだ!」と、気づいたとき、「でもやっぱり、私が人生を生きている」という視点を捨ててしまわないでください。
「私はいない」に気づいたら、「でもやっぱり、私はいる」と、ちゃんと思ってください。

どちらも『真実』

なのですから。
そして、どちらも『真実』という曖昧に漂ってください。漂うことによってはじめて、

思考を超えて行く

ことができるのです。はじめて「新しい世界」を見ることができるのです。
こうして自らの内面に深く深く入っていくことができるのです。そして、その深みは無限です。終わりなんてありません。


終わりなんてない、これが『真実』ならば、

終わりがある、これも『真実』のはずです。

漂いましょうか。

ごきげんよう。


奈良公園に行ってみた。
IMG_4103.jpg

ここの鹿は「神様のつかい」だ。
IMG_4114.jpg

んで、「神様のつかい」って、具体的にキミたち何してるの?
IMG_4106.jpg

あ、大仏さんも貼っとこ♪
IMG_4097.jpg

体格が大きくて肥えているヤツ
髪がパンチパーマみたいなヤツ
眉間にホクロがあるヤツ

関西では、あだ名はみーんな
「だいぶっつぁん」だったよな。
(´∀`) @奈良県奈良市
posted by 笑うウリエル at 07:47| Comment(81) | 『ありのまま』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする