この世界は、常に「ちょっと危うい」ところです。
「本当の自分」から見れば、危うくもなんともないのですが、分離した個人はそう感じるようにプログラムされておりますので、仕方ありません。それが人間です。ハイ。
なんで、そんなプログラミングしたのかと、文句のひとつも言いたいところですが、その説明は長くなるので割愛します(笑) まあ、チョー端的に言うと、『真実』に気づくためかな。
だから、個人として生きている限り、100パーセントの安心なんて得ることはありません。残念ながら、それが人間です。どんなに努力して安心や幸福を手に入れても、常にある「ちょっと危うい」感覚からは解放されないでしょう。ハイ。
ということで諦めてください。ハイ。
でも、チョー端的に『真実』に気づくためと書きました。そのために、わざわざ「ちょっと危うい」感覚を常に持つように設定してあるわけですから、それを無視してはもったいないということです。もったいないどころか、せっかくの人生を無駄にしてしまっているわけです。本当はこの世界は危うくもなんともないところなのです。それに気づくための、大事なプログラムです。
昔は今と違って、一度も泳いだことのないという人がたくさんいて、そんな青年たちが海軍に入隊して始めて泳ぎを練習するとき、水をたいへん怖がったそうです。
そのとき、先人たちはどうやって、彼らに水は怖くないと教えたか? その方法はいたって簡単。
水の中に突き落とす (`・ω・´)
でした。
無防備に水の中にボチャンと落とされることによって、あんなにも恐ろしかった水が、意外と、というか、全然怖くないということに、彼らは気づけたのでした。怖いのは落っこちたときの一瞬だけ。水中でむやみやたらにもがいたりしなければ、身体は自然に浮いてくる。
このお話は、『真実』がどういうものか、非常にうまく説明してくれています。
私たちが、この世界を「ちょっと危うい」場所と感じるのは、泳いだことのない青年と同じです。本当の意味で、まだ人生の中に飛び込んでないのです。
「この人生に無防備に飛び込んだら、おぼれてしまう。おぼれないように、まず泳ぎを学んでから飛び込もう」
みたいな感じ。いやいや、まず水の中に飛び込まないと、泳ぎを学べないのにね。
(´∀`)
まず、飛び込んでみましょう。人生の流れの中に。
そして、流れの中では、もがけばもがくほど沈んでしまいますよね。反対に何もせずじっとしていると、プカーと浮いてきますよ。
流れとは、つまり現れるものや人、そして起きることです。それに、
もたれかかってください
もたれかかると、分離していたものがベッタリくっつくんですよ。ある意味、ワンネスです。そのとき不思議な化学反応が起こりますので。
「ちょっと危うい」
に、身をさらしてみてくださいな。無防備に。そして、もたれかかってください。
そもそも、無防備にさらしたときの化学反応を見るための「ちょっと危うい」なんですよ。だから迂回も撃退もできないです。もたれかかるしかありません。
(´∀`)
実は、みーんな「ちょっと危うい」を、ものすごく楽しんでいるんですよ。
ごきげんよう。
正月やしね、岡本太郎で行こう!
「いいかい、
怖かったら怖いほど、
逆にそこに飛び込むんだ」

@大阪府吹田市
そういや、万博も大阪に決まったんだったなぁ...