2019年01月26日

どちらも『真実』2 Σ(゚Д゚)

ゥォー!ヽ(゚д゚ヽ)(ノ゚д゚)ノ ウォー! ごきげんよう。


このところ書くことが思いつきません。
というわけで、今、ウリエルが感じていることをテキトーに書きます。
(・∀・)

私たち人間の思考は、物事を片方からしか理解できません。
片方が正しいなら、もう片方は間違いになります。どちらも正しいなんて理解できません。これは前々回の記事に書きました。
しかし、こんなのでいいのかよ、みんな...... って、最近、ことさら思うようになりまして。


「人生は、カルマを解消するためにあるのだ」
なんてことが、スピリチュアルの本なんかに書いてあったりするわけです。確かにそうなんですよ、確かに......
でも、

どちらも『真実』

なのですから、人生がカルマの解消のためにあるなら、その真逆の、
「人生は、カルマの解消するためにあるのではない」
も、必ず『真実』なんです。そうですよね。人生は「この世界の素晴らしさ」、「かけがえのない『いま』」を見て感じるためにもあるのです。

あらゆるものが、

どちらも『真実』

です。


一万円のステーキは「高い」のか「安い」のか?
普段、数百円の弁当ばかりとか、吉野家しか行かない人には「高い」です。でも、その人でもパチンコで数万円負けた直後であったなら、
「けっ! 一万円くらい安いもんよ!」
とか、言うでしょうね。ひとりの人間でも一万円のステーキが高いのか安いのかわかりません。
だのに、なんで人は片方だけに決めつけたがるのでしょうか?

あることを善で正義だと決めてしまうと、その反対のことが悪になります。
あることを正解としてしまうと、それと反対のことは不正解になります。
それは、ある意味、この世界をわかりやすく、一見、生きて行きやすくします。しかし、この「決めつけ」、「かたより」が苦しみを生んでいることに、みなさん気づいているでしょうか?

「お金はないより、あるほうがいい」
ほとんどの人がそう言います。そして、ほとんどの人が、その通りだと頷きます。
でも、これが『真実』なら、
「お金はあるより、ないほうがいい」
も、必ず『真実』なのです。
なるほど、もしかしたら、そうかもしれません。お金がありすぎたら、がんばって働こうとか、目標を持とうという気持ちもなくなるし、ようやく何かが買えたときの嬉しさとかも、味わうことができないでしょうね。それって、生きる醍醐味を大きく失うってことでもありますよ。ものすごく悲しいことかもしれませんね。

でも、なかなか「お金はないより、あるほうがいい」と思い込んでいる人は、「お金はあるより、ないほうがいい」という真逆の視点を持とうとしません。これが、

「苦しみ」になっとるんやで(゚Д゚)



ねえ、みなさん(´・ω・`)ノ
日常の暮らしの中で、いろんな「決めつけ」、「かたより」を、もうずっと当たり前のように思い込んで、ほとんど無意識に判断してしまっていると思うんですよ。
「仕事は楽なほうがいい」
「人間関係は良いほうがいい」
「これは悪いことだ」
「病気より健康の方がいい」
「アイツは嫌いだ」
こんなことが、すべて「苦しみ」になっているんですよ。信じられないですけど、そうなんです。あらゆる判断は、かたよっているからこそ判断できるんです。つまり何かを判断したら、それがもう「苦しみ」の出発点というわけです。

ちょっと立ち止まって、正反対の見方もしてみませんか?
本当は両方向いっぺんに見ることができたらいいのですが、残念ながら、私たち人間の思考では、それはできないんです。立ち止まって反対から見るだけです。するとどうでしょう?

わけがわからなくなるでしょ?(´∀`)

しょうがないです。両方向いっぺんに見れないのですから(笑)
でも、それでいいんですよ。

「すっきりとわかりやすいほうがいい」が『真実』なら。

「わけがわからないほうがいい」も『真実』なのですから。

あはは、わけがわからないってもの、愉快でおもしろいもんですよ。
(´∀`)

ごきげんよう。


福井県と言えば東尋坊だ!
IMG_4218.jpg

冬の日本海は荒い。
IMG_4224.jpg

あ、2時間ドラマの残り20分くらいから、
だいたい、このあたりで犯人が告白するよね。
IMG_4242.jpg
@福井県あわら市
posted by 笑うウリエル at 23:27| Comment(38) | 『ありのまま』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月21日

人生の意味 (`-ω-´)

ごきげんよう (´ω`(-ω-(´ω`(-ω- *)ゥィゥィ


こりゃまた、たいそうなタイトルにしてしまった...... プラトンもニーチェもビックリである。
(`-ω-´)

そのうえ、思い描いていることをうまく伝える自信もまったくない。うん、こりゃ、どうなるかわかりませんが、行き当たりばったりで、とりあえず書き始めてみます。


「人は何のために生きているのだろう?」

この問いに対する答えは、おそらく、まだこの世界の中にはありません。たぶん、この先も誰も答えをこの世界の中に見出すことはできないと思います。

なぜなら、その答えは、

「この世界のため」だからです(`-ω-´)

世界の中に答えがあるはずがありません。世界全体、世界そのもののために生きているのですから。

...... (´・ω・`)

...... おい、こんなんでいいのかよ...... けっこう不安になるウリエル(笑)


先の記事で、どちらも『真実』のお話をしました。
私たちはこの世界、この宇宙の中に生きています。これは、紛うことなき『真実』です。

ということは、ひっくり返しても『真実』です。

私たちの「生きている」の中に、この世界、この宇宙があります。これも『真実』なわけです。

つまり、私たちが生きていないと、この世界、この宇宙はないってことです。つーことで、「人は何のために生きているのだろう?」

「この世界のため」(`-ω-´)

です。
あなたが生きていないと、この世界を見れないし、感じれないのです。



「人は何のために生きているのだろう?」

いちいち考えなくても、もう「この世界のため」に生きているわけですから、それでじゅうぶん。人生に意味はない。だって「人生」がすでに意味だから。
だから「何のために生きるか?」など、もう問わなくてよろしい。これから「いかに生きるか?」だけを問えばいいのです。

そこでニーチェ大先生は、このようなことを言いました。「いかに生きるか?」

「自分で選べ」

つまり、

「テメエの好きなように生きたらええねん」

ってことです。


なんやねんこれ(笑)
やっぱりアカンわ(´・ω・`)

ごきげんよう。



福井県と言えば永平寺が有名です。
IMG_4211.jpg

が! 永平寺は放っておいてこちらに。
神社の参道に、夜更けと言うのに明々と明かりが。
IMG_4188.jpg
実は小さな洋食屋さんがあるのです。

そこで食べられるのがコレ↓
IMG_4183.jpg
「ボルガライス」!
福井県は武生のご当地メニュー(´∀`)
オムライスにとんかつのってます@福井県越前市
posted by 笑うウリエル at 22:26| Comment(54) | 『ありのまま』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年01月16日

どちらも『真実』 Σ(゚Д゚)

ごきげんよー( ゚ロ゚ノノ゙☆ハイハイハイ


「どんな盾(たて)も突き通す矛(ほこ)」と「どんな矛も防ぐ盾」、いわゆる「矛盾」ですね。中国の故事です。
私たちがひとりの人間として生きるこの現実世界では、片方が正しいなら、もう片方は間違いになります。私たちの思考では、どちらかが『真実』で、どちらかがウソを言っている。そういう風に理解するのが日常になってます。
名探偵コナン君も「真実はいつもひとつ!」と言います。

しかし、これ、

大きな誤解!Σ(゚Д゚)

です。「どんな盾も突き通す矛」は、実際にそれまでどんな楯も突き通してきたのです。そして「どんな矛も防ぐ盾」も、実際にそれまでどんな矛も防いできたのです。だから、

どちらも『真実』です

「じゃあ、その矛でその楯を突いたらどうなるの?」
という質問には、まだやったことないので誰もわからない。それだけのことです。『真実』はひとつではありません。だからコナン君の決め台詞も、

「事実はいつもひとつ!」

に変えたほうがよいと、常々思うウリエルです。
(´・ω・`)


私たちの思考は、片方からしか見ることができません。だから、どちらも『真実』という状態を、ものすごく気持ち悪く感じます。なんとも曖昧でスッキリしません。
例えば、「人助けは善い行為」と一般的には見ます。しかし人助けには、助けられる人の自立する力を奪ったり、助ける人が「助けてやっている」と傲慢になったり、悪い側面もあるのです。この善い側面と悪い側面を両方いっぺんに、私たちは見ることができません。

善でもあり悪でもある

これが、残念ながら、私たちの思考では理解できません。善い側面と悪い側面、それぞれの側からしか見ることしかできなくて、両方同時にいっぺんに見れないのです。
しかし、あらゆるものを深く突き詰めていくと、かならず相反すること、矛盾していることが、

どちらも『真実』

に、なるのです。

光は粒子なのか波動なのか? 科学者たちを大いに悩ませました。しかし最近の量子力学では、「光は粒子でもあり波でもある」と表現されます。見る人によって違う。どちらも『真実』です。
「見る人によって違うってなんやねん!? 」と、私たちの思考は混乱しますが、それでいいのです。


さて、スピリチュアルの世界では、この現実世界は幻想で「私」は存在しないと言います。これは『真実』です。
一方、ひとりの人間として、この現実世界に存在している「私」も確かにいるのです。これも『真実』です。

どちらも『真実』です

この状態を、やはり私たちの思考ではハッキリと理解できないです。曖昧にただ漂うことしかできません。この曖昧に漂う、これが私たちにできる唯一のことなのです。曖昧に漂いながら片方をもう片方に、双方から染み込ませて行くようにすることしかできない。これには終わりがありません。


えーと、そいでですね。今回の記事で何が言いたいのかというと、いや、ここまでは前置きみたいな雑談なんです。ハイ。
(´∀`)
あらゆるものを深く突き詰めていくと、かならず相反すること、矛盾していることが、

どちらも『真実』

に、なるよ。ということなんです。これを探究に利用してください。
例えば病気になったら人は病気を治したい。病気は悪で健康こそが善だと思います。当たり前です。だけど、病気にも善の側面が必ずあるのです。病気にならないとわからなかったことや、できなかったこと、会えなかった人やモノだってたくさんありますもんね。
「病気は善でもあり悪でもある」、「健康は善でもあり悪でもある」

どちらも『真実』

です。
お金がなくて困っているとき、お金があったらいいと思います。しかし、お金があったら、ないからこその工夫ややりくりを体験できません。その体験を通じて気づくことや、出会える人やモノだってあるのです。
どっちがいいのか、人は判断できないのです。「わからない」のです。

この「わからない」、すなわち曖昧に漂ってください。「わからない」ままでいいのだ。それを受け止めてください。すると、

魔法が起こりはじめます(´∀`)

結局、『ありのまま』のあなたでいい、としか言いようがないでしょ?


スピリチュアルの探究をしていて、ドンと腑に落ちて、「これこそ『真実』だ!」と感じることがあります。
思考は「これこそ『真実』だ!」の方向でしか理解できません。でも、真逆も必ず『真実』なんです。けれど、ついつい「これこそ『真実』だ!」だけにこだわってしまいますよね。すると、どんどん人生は混乱し苦しくなりますよ。
(´∀`)

「これが『真実』ならば、反対も『真実』のはず」

必ず、こういうふうに思いなおしてみてください。ここまでが私たちの思考にできる作業です。重要な作業です。
「私が人生を生きているのではなく、人生が私を生きているのだ!」と、気づいたとき、「でもやっぱり、私が人生を生きている」という視点を捨ててしまわないでください。
「私はいない」に気づいたら、「でもやっぱり、私はいる」と、ちゃんと思ってください。

どちらも『真実』

なのですから。
そして、どちらも『真実』という曖昧に漂ってください。漂うことによってはじめて、

思考を超えて行く

ことができるのです。はじめて「新しい世界」を見ることができるのです。
こうして自らの内面に深く深く入っていくことができるのです。そして、その深みは無限です。終わりなんてありません。


終わりなんてない、これが『真実』ならば、

終わりがある、これも『真実』のはずです。

漂いましょうか。

ごきげんよう。


奈良公園に行ってみた。
IMG_4103.jpg

ここの鹿は「神様のつかい」だ。
IMG_4114.jpg

んで、「神様のつかい」って、具体的にキミたち何してるの?
IMG_4106.jpg

あ、大仏さんも貼っとこ♪
IMG_4097.jpg

体格が大きくて肥えているヤツ
髪がパンチパーマみたいなヤツ
眉間にホクロがあるヤツ

関西では、あだ名はみーんな
「だいぶっつぁん」だったよな。
(´∀`) @奈良県奈良市
posted by 笑うウリエル at 07:47| Comment(81) | 『ありのまま』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする