このところ書くことが思いつきません。
というわけで、今、ウリエルが感じていることをテキトーに書きます。
(・∀・)
私たち人間の思考は、物事を片方からしか理解できません。
片方が正しいなら、もう片方は間違いになります。どちらも正しいなんて理解できません。これは前々回の記事に書きました。
しかし、こんなのでいいのかよ、みんな...... って、最近、ことさら思うようになりまして。
「人生は、カルマを解消するためにあるのだ」
なんてことが、スピリチュアルの本なんかに書いてあったりするわけです。確かにそうなんですよ、確かに......
でも、
どちらも『真実』
なのですから、人生がカルマの解消のためにあるなら、その真逆の、
「人生は、カルマの解消するためにあるのではない」
も、必ず『真実』なんです。そうですよね。人生は「この世界の素晴らしさ」、「かけがえのない『いま』」を見て感じるためにもあるのです。
あらゆるものが、
どちらも『真実』
です。
一万円のステーキは「高い」のか「安い」のか?
普段、数百円の弁当ばかりとか、吉野家しか行かない人には「高い」です。でも、その人でもパチンコで数万円負けた直後であったなら、
「けっ! 一万円くらい安いもんよ!」
とか、言うでしょうね。ひとりの人間でも一万円のステーキが高いのか安いのかわかりません。
だのに、なんで人は片方だけに決めつけたがるのでしょうか?
あることを善で正義だと決めてしまうと、その反対のことが悪になります。
あることを正解としてしまうと、それと反対のことは不正解になります。
それは、ある意味、この世界をわかりやすく、一見、生きて行きやすくします。しかし、この「決めつけ」、「かたより」が苦しみを生んでいることに、みなさん気づいているでしょうか?
「お金はないより、あるほうがいい」
ほとんどの人がそう言います。そして、ほとんどの人が、その通りだと頷きます。
でも、これが『真実』なら、
「お金はあるより、ないほうがいい」
も、必ず『真実』なのです。
なるほど、もしかしたら、そうかもしれません。お金がありすぎたら、がんばって働こうとか、目標を持とうという気持ちもなくなるし、ようやく何かが買えたときの嬉しさとかも、味わうことができないでしょうね。それって、生きる醍醐味を大きく失うってことでもありますよ。ものすごく悲しいことかもしれませんね。
でも、なかなか「お金はないより、あるほうがいい」と思い込んでいる人は、「お金はあるより、ないほうがいい」という真逆の視点を持とうとしません。これが、
「苦しみ」になっとるんやで(゚Д゚)
ねえ、みなさん(´・ω・`)ノ
日常の暮らしの中で、いろんな「決めつけ」、「かたより」を、もうずっと当たり前のように思い込んで、ほとんど無意識に判断してしまっていると思うんですよ。
「仕事は楽なほうがいい」
「人間関係は良いほうがいい」
「これは悪いことだ」
「病気より健康の方がいい」
「アイツは嫌いだ」
こんなことが、すべて「苦しみ」になっているんですよ。信じられないですけど、そうなんです。あらゆる判断は、かたよっているからこそ判断できるんです。つまり何かを判断したら、それがもう「苦しみ」の出発点というわけです。
ちょっと立ち止まって、正反対の見方もしてみませんか?
本当は両方向いっぺんに見ることができたらいいのですが、残念ながら、私たち人間の思考では、それはできないんです。立ち止まって反対から見るだけです。するとどうでしょう?
わけがわからなくなるでしょ?(´∀`)
しょうがないです。両方向いっぺんに見れないのですから(笑)
でも、それでいいんですよ。
「すっきりとわかりやすいほうがいい」が『真実』なら。
「わけがわからないほうがいい」も『真実』なのですから。
あはは、わけがわからないってもの、愉快でおもしろいもんですよ。
(´∀`)
ごきげんよう。
福井県と言えば東尋坊だ!

冬の日本海は荒い。

あ、2時間ドラマの残り20分くらいから、
だいたい、このあたりで犯人が告白するよね。

@福井県あわら市