2018年12月27日

自己愛(´∀`*)

ごきげんよー (/ω・\)チラッ

昨日は風邪で一日寝てました。おかげで、ずいぶんよくなりました。
今年の風邪は、ひいてんだかひいてないのかよくわかんない、中途半端な症状が続くようなので、思い切って休養をとってください。


さて、むかしむかし、ブッダは言いました。

「自分を愛せよ」

世界中のどこを探しても、自分ほど愛するに値する者はいない。


唐突に「自分を愛せよ」なんて言われると、現代の私たちは、エゴイストとかナルシストを連想してしまい、なんだか良くないことのように思ってしまいます。まさに「自己チュー」ですね。自分を愛するより、他人を愛するほうが清らかで美しいと思ってしまいます。もちろん、ブッダも自己チューになれと言っているわけではありません。
では、ブッダの「自分を愛せよ」とは、どういう意味なのでしょう?
(´・ω・`)

ところで、「自己チュー」な人を、私たちは好意的には見ません。これはなんででしょう? じっくり調べてみたことがありますか?
どっかの会社のいちばん偉い、除夜の鐘みたいなゴーンという人は、ものすごく自己チューでした。権力を思いのままに、とんでもない額のお金を己の懐にいれていました。こういう人を世間はものすごく罵倒します。ものすごく「悪いヤツ」です。なんででしょう? 冷静になんで腹が立つのか、思ってみたことがありますか?

それは、誰もが、

「自分だけ得したい」

という、自己チューな気持ちを、心のどこかに持っているからです。ハイ。
(´∀`)

そして、自分よりもっと自己チューな人を見つけると安心するんです。自分より自己チューな人を批判し罵倒しておけば、自分の内にある自己チューと面と向かわずに済むからです。
「アイツに比べりゃ、オレなんてかわいいもんだ!」
って。これが私たちがついつい、「他人のアラさがし」をしてしまう構造なのですよ。
本当は除夜の鐘の人も、私もあなたも同じです。誰だって「自分だけ得したい」気持ちは持っています。ブッダはそれを隠さず「愛せよ」と言ったのです。

「自分だけ得したい」

そういうものが、自分の内にあることを認めて、それを抑え込まずに「愛せよ」と言ったのです。

「自分だけ得したい」気持ちって、べつに好きで持っているものでもなく、いつのまにか勝手にいるんですからしょーがないといえばしょーがないですよね。じゃあ、こいつも「仲間」だと思ってあげよう。神が要らないものを与えないならば、要るものなのかもしれない。抑圧することなく、その存在を許して認めてあげよう。そして共に人生を歩む仲間として愛してあげよう......

すると除夜の鐘の人にどんな思いが湧いてきますか? 少なくとも罵倒したい気持ちは起こってこないと思います。それどころか「拘置所、寒くないかなー」とか、ちょっとかわいそうになってきたりしません?
(・ω・)

「自分を愛せよ」

とは、そういうことですよ。


人はそれぞれの内に、いろんな感情に固定された「こだわり」を持っています。いまいましい、腹立たしい、恐ろしい...... いろんなものがゴッチャになって「私」の中に詰め込まれています。
日常の中で、私たちはそれを表面に出さないように出さないようにと、抑圧して生きています。ブッダはそれを抑圧せず「愛せよ」と言ったのです。罪悪感、嫉妬、憎しみ、怒り、傲慢、欲望...... こんなのも「愛せよ」と言ったのです。そして、

自分を愛せないと、他人も愛せない。

と、言ったのです。
自分を無視して他人なんか愛せませんよ。それやっちゃうと、いつまでもヘンなとこグルグルまわります。


自分の内にある醜いもの、見たくないものも愛してください。それが『ありのまま』です。『ありのまま』のあなたでいい、とは、そういうことです。感情を隠さずに感じて、感じ切ってくださいとウリエルが言うのも、そういうことです。だから、感情を感じるときは、「愛せよ」でいてくださいね。
(´∀`)


「自分を愛せよ」

これ、ちゃんとしたら、すごいことが起こりまっせ。
(・ω・)ノ


あ、今回が今年最後の記事になりますね。
みなさま、良いお年を。

ごきげんよう。


引き続き大阪中之島(´∀`)
中央公会堂のプロジェクションマッピング見てきた♪
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@大阪市中央公会堂
posted by 笑うウリエル at 08:11| Comment(64) | 『ありのまま』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月20日

ワンネス (`-ω-´)

ゴキゲンヨウ (o_ _)ノ彡☆ポムポム


ずっと前から、言葉にして説明したかったことがあるのですが、なかなか言葉にできません。
とってもシンプルで簡単なことなんですけどね。視点をちょいと変えるだけなのです。その変えた視点を言葉にできんのです。ハイ。
(´・ω・`)

でも、まあ、今からチャレンジしてみようかな。わからんかったら、わからんでいいです。ハイ。


私たちが生きるこの世界は「二元」と言われています。あらゆるものが相反する原理とか要素で存在してます。こういうと、すでに難しいですね。
(´・ω・`)
例えばウリエルは「男」です。「男」というのは「女」がいるから存在するのです。もし世界中の人間が全員「男」だったら、そもそも性別という概念がなくなります。だって分けようがないのですから。つまり全員「男」だったら、「男」もいなくなっちゃうということです。いるのは「人間」だけです。

さてさて、「女」と「男」という性別がある世界でも、いるのは「人間」だけです。当たり前です。「人間」を「女」と「男」のふたつに分けただけですから。
「隣のおばちゃんは、女だけど人間じゃない」
なんてことはありません。
なるほど、つまり「女」と「男」に分ける前の「人間」という状態があるんだな。そういうことがわかりますよね。

さらに「人間」というものに分ける前の状態もあるはずです。あらゆるものが相反する原理とか要素で出来上がっている「二元」の世界ですので。すると、

「人間」と「人間以外の生き物」

に分けることができました。「人間」だけでなく、他の生き物も分けれます。「ネコ」と「ネコ以外の生き物」、「トンボ」と「トンボ以外の生き物」…...

もし、この世界に、生き物が「人間」しかいなかったら? すると、ただ「生き物」しか、この世界にはいません。わざわざ「人間」とか「ホモサピエンス」とか、名前をつける必要がない。「生き物」でよろしい。他の生き物がいるから「人間」という名前が必要なのです。「女」がいるから「男」がいる、これと同じ構造です。
あー、でも「二元」ですから、さらに「生き物」にも分ける前の状態がありますね。

「生き物」と「生き物でない物」

に分ける前。それは、ただ

「物」

ですかね。この世界のものがすべて生きていたら、わざわざ「生き物」と呼ぶ必要がありません。「物」でいいです。
(・ω・)


さてさてさて......
万物はありとあらゆるものに分けられていることを、わかっていただけたでしょうか?
そこで、日常、私たちは「私」でいますよね。「私」と「他者」に分けて生きています。ということは、もちろん「私」と「他者」に分ける前の状態があるから分けているのです。分ける前は、どちらも「人間」です。

と、ここでだっ!(゚Д゚)

頭で考えることをやめましょう。とりあえず、あなたの手を誰かに向けてみてください。視界に誰かとあなたの手が入るように。あなたの視界にはあなたの手と他者があります。さあ、ここですよ。「私」と「他者」に分ける前の状態は、「人間」だけでないことに気づいてください。

どっちも、

「見えているもの」

ですよね(´∀`)ノ

でしょ? 「見えているもの」を、「私の手」と「他者」に分けていますよね。どっちも「見えているもの」です。
この視点がとても重要。「私の手」ってのは「肉体」ですね。「肉体」も「他者」も、どっちも「見えているもの」です。間違いありませんね。
(´∀`)

さらに「見えているもの」も分ける前の状態があるはずですよね。もちろん、

「見えているもの」と「見えていないもの」

に分けられます。だから「見えているもの」があるんです。では分ける前の状態、なんでしょう?

「意識」

ですかね?
(´・ω・`)
背中側には「見えていないもの」があるはずですが、背中そのものや、他にも何か空間や物があることは知っていますから、「意識」の中にありますよね。


あー、そっかそっか! ということは、こうなりません?

「肉体」も「他者」も、「意識」の中にあるんだなと

というか、「見えているもの」と「見えていないもの」も「意識」の中にあるんですよね。
つまり、私たちは、

「意識」の中にあるものを、

細かく分けているだけですよね

(`・ω・´)キリッ


んでもってコレよコレ。コレ、分ける前の状態、これが

ワンネス

なんですけどね。



いやーーー、やっぱり、うまく説明できんわ。


ごきげんよう。


OSAKA光のルネサンス
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@大阪市・中之島公園
posted by 笑うウリエル at 20:01| Comment(62) | 『ありのまま』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年12月15日

ちょっと休憩( ・∀・)ノ

ごきげんよ━━⊂二二二( ^ω^)二⊃━━ん


はて。書くことが思いつきませぬ(´・ω・`)

ということで、ちょっと休憩です。
まあ、年末ですから何かとせわしない。リラックスしてスピリチュアル、てな雰囲気でもありませんしね。

でも、てな雰囲気でもないときもスピリチュアルな体験はできますよ。「気づき」はずっと『いまここ』にありまして、ないときがないので。別にリラックスして瞑想とかしなくても「気づき」はずっと、ここにあります。
(´∀`)

さて……
『真実』は、あなたの予定や計画とはまったく無関係です。あなたがどんなにせわしなく動き回り、よかれと思うことをして、段取りよく事を進めようとしても、そんなことまったく意に介しません。「私」を完全に無視して動いています。師走のこのクソあわただしいときこそ、それを実感するチャンスです。


「まずアレとソレをして、それからコレを片付けて、そのあとアソコに行って……」
(´・ω・`)

こんなふうに、やらなければいけないことが目白押しになると、気持ちばかりが焦って何がなんだかわからなくなってきますよね。ひとつのことをしていても、次のことで頭がいっぱいになったりしてて集中もできてません。そんなときこそ是非、これをお試しあれ。
(・ω・)ノ

まず何も考えずにじっとする。

とりあえず、何も考えないで、ただ座ってください。寝転んでもいい。「何も考えない」が重要。だからテレビ見たり、新聞や本を読んだりとかもしないで、まずボケーッとだけしてみてください。身体も動かさないで、すべての作業をいちどストップさせてください。ストップさせたら、あとは身体が自然に何かをやりはじめるまで待つだけ。

「何も考えない」でストップしたうえで、それからテレビを見るように身体が動いたのなら、それはそれでいいです。たぶん見るべき内容の番組があるのでしょう。ストップのまま何もしそうにないのなら、たぶん何もしないほうがいいのでしょう。無理して何かしても、きっとうまくいかないのでしょう。そのままストップのままでいてくださいな。

それだけです(´∀`)


この世界は『叡智』の顕われですので、この世界に任せてすべてOKなんですよ。『真実』の創造する流れには逆らえません。流れは絶えず流れているので、それに逆らわないだけです。


まあ、経験は理屈に勝るとか言いますので、実際にやってみてくださいな。
頭で考えること、つまり思考なんて、ものすごく視野が狭くて、肝心なことは見落としてばかりいることに気づけると思いますよ。というか、思考ってそういうもんで、ひとつのことに焦点を当てて、じっくり分析したり考察したりする道具ですから、みんな使い方を間違っているだけなんですよ。思考は思考で役に立つもので、悪いものではないんです。大事な道具です。


あなたがどんなに「するべき」と思っていても、する必要がないのならしません。

あなたがどんなに「いらない」と思っていても、する必要があるのなら、必ずします。


それだけです(´∀`)

簡単でしょ?

ごきげんよう。


神戸南京町のイルミネーション
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中華街のクリスマス?だねぇ(´∀`)

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南京町は美味しいものだらけですよー。「ブタちゃんまん」
@神戸市中央区
posted by 笑うウリエル at 23:16| Comment(37) | 『ありのまま』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする