2018年11月28日

続・肉体!(・∀・)

ごきげんよ ダ─ヽ(・ω・´(`・ω・´)ノ`・ω・)ノ─ッ


肉体に任せる

やってみて、いかがでしたでしょうか?
うまくできない? じゃあ、もうちょっと別の角度からお話してみましょうか。


うん、そうですねー、まず、

を聞きましょう(゚∀゚)

どんな音でもかまいません。外を走る車の音とか、隣の部屋のテレビの音とか、ちょっと離れた場所から聞こえる音がいいですね。どこでも聞ける雑音でいいです。もちろん雑音でなく、鳥の声や風の音でもいいです。音楽でもいい。

リラックスしてその音を聞いてください。その音があなたの身体を通り抜けていくような感じで聞いてください。あ、難しく考えないで、ただ、その音に注意を払っているだけでいいのですよ。

リラックスしてボケーッと聞いていると、その音、あなたの内側から聞こえてくるようにも思えてきませんか?
いや、あえて、そう思ってみるのもいいかもしれませんね。
「内側から聞こえてくるね」
って、思って聞いてみる。やってみてください。とにかく外からなのか内からなのか、よくわかんないなあ…… みたいな状態に漂う感覚になればOK。すると、だんだん皮膚の外と内の境界があいまいになってきませんか?

その音とは別に、あなたは今、何かを身体に感じていると思います。暑いとか寒いとか、背中がかゆいとか腰が痛いとか肩が凝ってるとか、座布団やイスに接している感覚とか。その肉体の中の感覚と、外から聞こえる音は、本当は違うものではないのですが、それがわかるでしょうか?
外の音のが遠くにあって、肉体の感覚が近くにあるわけではないことに気づきます? そんな感覚になってほしいのですが……

まあ、なれなくてもいいや(笑)
とにかくね、

いま、その体験をしている

ことはわかりますよね。外から聞こえる音と肉体に感じる感覚、この体験がある。そう、体験をしているというより、「している体験がある」と、とらえてください。そして、ここからが重要です。その状態、体験がある状態で、

この体験以外を求めない

これで、肉体に任せたということになります。
(´∀`)


あとは肉体が勝手に何かします。背中をかくかもしれないし、寝転ぶかもしれません。立ち上がって隣の部屋にいくかもしれません。何もしないかもしれない。
肉体に任せると、瞬間から瞬間にあなたは様々な体験をしますが、その瞬間瞬間に体験していること以外を

探さないでください

ただ体験するだけ。何もしないのなら、何もしないという体験をします。

するとどんな感じがします?(´∀`)

あなた自身が何か思いついたから動いてますか? よーく注目してくださいよ。肉体の方がほんの一瞬、先に動き出したりもしませんか?
あなたは何も考えていないのに、肉体が何かを思いついたように動き出しませんか?
反対にあなたが何か思いついても、肉体が何もしなかったりもしますよ。


そして、

「体験」は確かにしているけど、この体験を見てしている主体は誰なんだろう?

この肉体を見て感じているのは誰なんだろう?

という視点で見てみてください。肉体を通していろんな体験しているという視点です。すると、なーんとなく不思議な感じがしませんか? 肉体と外の世界を分けないでくださいね。全体を見てください。
あなたは肉体の眼を通して世界を見て、肉体の感覚を体験しているだけですよね。さあ、そこでです。

「私」ってどれ?

探してみてください。

「あー、これだ」っていうヤツ、います?
(´・ω・`)

思考が「私」ですか? 思考も脳の活動ですよ。「あー、今、こんなこと考えてる」とか、あなたは思考も見ることができるのですよ。思考も脳の活動である以上、肉体の動きですからね。見られるんです。

じゃ、この見てるヤツ、誰よ?

誰でしょうね……?
(´・ω・`)(´・ω・`)(´・ω・`)


音に戻ってみましょう。静寂の中に音が鳴っていることがわかりますか?
静寂と音が同時にある。そんな世界であることがわかりますか?
その静寂が「自分」なんですけどね。

今日はこのへんにしといたろ。

ごきげんよう。


紅葉の画像でも。
IMG_3857.jpg

IMG_1683.jpg

IMG_2522.jpg
posted by 笑うウリエル at 02:22| Comment(62) | 『ありのまま』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月22日

肉体!(・∀・)

( ´・ω・)o_∠・:*ごきげんよー


様々な感情をじっくり感じると疲れます。初めのうちはとくに疲れます。今まで、なるべく表に出さないよう抑圧するのが当たり前になっている感情が多いので、身体が慣れてません。
本当は抑圧するほうが、ずっと疲れるはずなのですが、いやはや、何十年も抑圧している間にとんでもないことになってしまうもんです。
(´・ω・`)

ということで、今日は少し疲れを癒すような記事にしようかな。

んで、ハイ。突然ですが、

身体、肉体は「私」ではありません(`・ω・´)

思考も「私」ではありません(`・ω・´)

ついでに、

感情も「私」ではありません(`・ω・´)


これは今まで、何度かいろんな形でお伝えしたかな。まあ、そんなに深く考えないで、

ふ━━( ´_ゝ`)━━ん

って、感じで受け取っていてください。
まあ、「私」ってのは本当はいないわけで、それがわかった人には至極当然なわけです。いないんだから。
まだわかんないという人は、肉体や思考や感情を「私」だとカンチガイしてしまっているんですよね。このカンチガイ、思い込みがなかなか解けない。
ということで、今回は肉体に注目して、実験をしてもらいましょう。
(・∀・)


この現実世界はユメ、幻想なのですが、この幻想の中にあなたの肉体は確かに存在しますよね。
難しく考えないでくださいね。本当は肉体だって、この「現実世界」という幻想の中の一部なのですが、それは置いといて、とりあえず肉体は「ある」よね。肉体がない人がいたら知らせてください(笑)
この肉体が、本当の「自分」にとって、もっとも身近な自然であり世界なんですよ。

んで、この肉体は「現実世界」に属していますよね。そして、おどろくべきことに、

「私」には属していないんですよ

肉体は「私」ではありませんからね。でも、大半の人は「私」が肉体を支配しているとカンチガイしているんですよ。そこが問題なわけです。
(`-ω-´)
肉体が属しているのは、この「現実世界」のほうですからね。あなたの目に映る様々なもの、木とか水とか山とか雲とか、そっち側に属しているわけです。この豊かな自然、地球、宇宙のほうに属している存在です。

あなたのものではないんです

そう言われてみると、そうですよね? 
そんな気がしてきました?(´∀`)


この現実世界は神秘なものにあふれていますよね。動物や植物、太陽や月やたくさんの星、様々な気象現象。
どうして土の中に7年もいるセミが、きまって明け方に地表にでてくるのか誰もわかりません。それから花々はどうして咲く時期を知っているのでしょうか? 
日本で一番高い山が、あんなにキレイな形をしているのも考えてみると不思議でね?
この世界は神様が創ったとしか思えないような、神秘だらけです。
その神秘を「叡智」、「智慧」とも言います。自然は、この世界は、「叡智」で動いているといっていいです。
そして、

この肉体も「叡智」で動いているのですよ

肉体も神様が創ったとしか思えないような神秘に溢れています。私たちはこんなに神秘にあふれるものを、粗雑に扱いすぎています。「私」がこの肉体を動かしているという「おごり」が、神秘をだいなしにしておる。


で、どれくらい神秘か? それを体験してください。
肉体は「叡智」を持っています。この豊かな自然、この世界に属しているからです。
ですので一日の行動を、ぜーんぶ、

肉体に任せてください

あなたは何も計画しなくてよろしい。計画することも肉体に任せてください。
何時に起きて、仕事に行って、何時までにこれを済まして、とか、だいたい思うだけでいいです。漠然とイメージくらいしておくことは必要かもしれませんが、細かく計画はしないでください。あとは、

肉体に任せて、だいたいうまくいきます。

何時までに済ませてとか、「私」の計画通りには行きません。でも、だいたいうまく行きます。
ときには考えていた計画とはまったく違う行動もします。でも、それに従ってください。だいたいそれでうまく行きます。
セミが7年目のこの日のこのときに、誰にも教わらなくても地表にでるように、ちゃんと誰にも計画されなくても、肉体はこの世界を生きて行くようになってます。まさに神秘です。富士山が誰もあの形にしようと思ってないのに、あんなに美しい姿をしているように、自然に美しく調います。
必要なものは、すべてこの世界が調えてくれるんです。そして、あなたの肉体はこの世界の一員なんです。「私」のものではありません。この世界のものです。


やらねばならないことが山積みになっているとき、何も考えず計画せず、焦ることをやめて、まずはじっとしてみてください。とりあえずボケーッとね。すると、そのうち自然に肉体が動き出しますから。
肉体はあなた以上に何をどの順序でやるべきか知っています。

なんだかよくわからないけど、なんか調った。

一日終わってみると、そんな感じに必ずなりますよ。それを体験してみてください。
(´∀`)

肉体に任せることに慣れてきたら、だんだん思考にも任せることができるようになってきますよ。思考はただのコンピューターですからね。思考も「私」のものではありません。この世界に属する存在なんです。肉体と連携して、とても良い仕事をしています。


肉体は「私」の奴隷ではありません。「私」よりずっと「叡智」にあふれる、この世界の一員です。肉体を信頼してくださいね。
肉体に任せて大丈夫? 
と、「私」はそれを疑ってますよね。だから、まずは信頼してみてください。
肉体をこの世界を感じるように、風や水や花の香を感じるように、感じてみてください。


すると、あれれ? 肉体は「私」じゃないのなら、

じゃあ、この肉体、だれ?

って、なってきますよね。誰なんでしょうね?(笑)
つーか、肉体からしたら、

オマエこそ誰やねん?

って、言うでしょうね(´∀`)

すると「私」って何?(;´Д`)

そんな感覚、感じ取っていただけるといいな。

ごきげんよう。


岩手は遠野から、
unedorisama.jpg
うねどりさま

IMG_3228.jpg
荒神さま

kappa.jpg
かっぱ淵
竿につるされているのはキュウリです(´∀`)
@岩手県遠野市
posted by 笑うウリエル at 19:25| Comment(59) | 『ありのまま』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年11月16日

「誠実」( ・∀・)ノ

ごきげんよ〜〜(^^〜)(〜^^)〜♪♪


人は常に、「誠実であるべきだ」と思っています。他人に対しても、自分自身に対しても。

そもそも、なぜ、そんなふうに思うのでしょうか? 
その答えはいたって簡単です。

誠実でないからです!( ゚∀゚)

あなたが誠実だったら、自分自身に「誠実であるべきだ」と思うこともありません。


だいたい「誠実」ってなんでしょう? 調べてみましょう。

まじめで、真心があること

と、書いてありました。なるほど、そうですね。ということは、自分自身に「誠実であるべきだ」と思うとき、人は自分自身に対して、まじめでないし、真心もないということです。
では自分自身に不まじめで、真心がないといはどういう状態なのでしょうか?
だいたいわかりますよね。それは、自分自身にウソをついたり、誤魔化したりするとき、ですよね。
つまりこういうことですね。「誠実」とは、

「自分に正直」

ということです。そして「誠実であるべきだ」と思うときは、「自分に正直」でないのです。


ここでひとつ気をつけておくことがあります。
「自分に正直」というのは、「わがまま」でいいというのではありません。「自分に正直」と「わがまま」は、似ているようで、まったく似てないのです。例えば……

『これはやるべきことなんだけど、やりたくない気持ちが湧いてきたのでやらなかった』

これは「自分に正直」ではありません。単なる「わがまま」です。というのも、「やりたくない」という気持ちをガン無視したからです。せっかく「やりたくない」という感情が湧いてきているのに、やらないという行為で誤魔化してしまったのです。見て見ぬフリをして、なかったことにしてしまいました。これは「誠実」ではありません。
「誠実」に湧いてきた感情と向き合うには、そのやるべきことを実際にやってみないと、どうして「やりたくない」が湧いてきたのかも見えてきません。


また、こういうときも注意が必要です。

『どうしてもやりたくて、やった』

これは仕方ありません。やりたいという気持ち、エネルギーが湧き上がってきてしまったら、制御ができないときだってあります。ここまでは「自分に正直」と言えます。ただ……

『私は「自分に正直」にやっただけ」

と、自己の正当化に「自分に正直」を使用するとき。これはひどい「わがまま」です。なぜなら、あなたは自分の感情に向き合えば向き合うほど、それがどうやっても正当化できないことを知るはずだからです。とくに
『どうしてもやりたくて、やった』
などと言う場合、必ず何らかの葛藤があったはずです。その葛藤に真摯に向き合うと、自己の正当化などできないと必ず理解しますので、そんなことに「自分に正直」を使うことなどできるはずがないのです。
「自分に正直」になればなるほど、人は自己を正当化できなくなります。


「自分に正直」とは? つまりは「誠実」とは?

結局はこういうことです。

『ありのまま』の自己を受け入れる

それはつまり、

この世界に無防備に自己を投げ出す

ということです。

どんな些細な自己も正当化せず、その『ありのまま』の姿を受け入れてください。恐怖なら恐怖を、嫌悪感なら嫌悪感を、罪悪感なら罪悪感を、嫉妬なら嫉妬を。そして、それらの感情をこの世界に表現してください。

本当の「自分」は「私」を通して、それらすべてをこの世界全体で体験したいのです。

それは時として鋭い刃物のように「私」を切り裂くかもしれません。正当化など微塵もできないくらい。
でも、その体験を、本当の「自分」はしたかったのです。せずにはおれなかったのです。


ともすると私たちは、とくに「私」は、ネガティブな感情や葛藤を切り捨てたがります。不快だし、恐ろしいものでもありますから。おまけに長年の習慣で、ネガティブな感情が湧いてくる前に、無意識に消し去る術も覚えてしまっています。何が『ありのまま』なのかもわからなくなっているのです。

そんなものをひとつずつ大切に掘り出して向き合って行ってください。ネガティブなものも必要だからあるんです。大事な仲間なんです。真摯に向き合えば、「私」にとっては不愉快なことが起こることもありますが、そんなことはとても小さなことだとわかります。
そして、大きな流れの中に、この身が委ねられていることに気づくことができるでしょう。

その大きな流れこそが『愛』なのです。

おまけに、この世界全体も『愛』なのです。

「誠実」になってください。

ごきげんよう。

IMG_3818.jpg
じいさん。

IMG_3821.jpg
おや? お地蔵さんに笠をかぶせてあげているぞ…?

IMG_3826.jpg
ああ! お地蔵さんが米や御馳走を!
かさ地蔵や!!!(゚∀゚)
@生駒山龍眼寺(生駒の荒神さん)大阪府大東市
posted by 笑うウリエル at 23:16| Comment(47) | 『ありのまま』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする