肉体に任せる
やってみて、いかがでしたでしょうか?
うまくできない? じゃあ、もうちょっと別の角度からお話してみましょうか。
うん、そうですねー、まず、
音を聞きましょう(゚∀゚)
どんな音でもかまいません。外を走る車の音とか、隣の部屋のテレビの音とか、ちょっと離れた場所から聞こえる音がいいですね。どこでも聞ける雑音でいいです。もちろん雑音でなく、鳥の声や風の音でもいいです。音楽でもいい。
リラックスしてその音を聞いてください。その音があなたの身体を通り抜けていくような感じで聞いてください。あ、難しく考えないで、ただ、その音に注意を払っているだけでいいのですよ。
リラックスしてボケーッと聞いていると、その音、あなたの内側から聞こえてくるようにも思えてきませんか?
いや、あえて、そう思ってみるのもいいかもしれませんね。
「内側から聞こえてくるね」
って、思って聞いてみる。やってみてください。とにかく外からなのか内からなのか、よくわかんないなあ…… みたいな状態に漂う感覚になればOK。すると、だんだん皮膚の外と内の境界があいまいになってきませんか?
その音とは別に、あなたは今、何かを身体に感じていると思います。暑いとか寒いとか、背中がかゆいとか腰が痛いとか肩が凝ってるとか、座布団やイスに接している感覚とか。その肉体の中の感覚と、外から聞こえる音は、本当は違うものではないのですが、それがわかるでしょうか?
外の音のが遠くにあって、肉体の感覚が近くにあるわけではないことに気づきます? そんな感覚になってほしいのですが……
まあ、なれなくてもいいや(笑)
とにかくね、
いま、その体験をしている
ことはわかりますよね。外から聞こえる音と肉体に感じる感覚、この体験がある。そう、体験をしているというより、「している体験がある」と、とらえてください。そして、ここからが重要です。その状態、体験がある状態で、
この体験以外を求めない
これで、肉体に任せたということになります。
(´∀`)
あとは肉体が勝手に何かします。背中をかくかもしれないし、寝転ぶかもしれません。立ち上がって隣の部屋にいくかもしれません。何もしないかもしれない。
肉体に任せると、瞬間から瞬間にあなたは様々な体験をしますが、その瞬間瞬間に体験していること以外を
探さないでください
ただ体験するだけ。何もしないのなら、何もしないという体験をします。
するとどんな感じがします?(´∀`)
あなた自身が何か思いついたから動いてますか? よーく注目してくださいよ。肉体の方がほんの一瞬、先に動き出したりもしませんか?
あなたは何も考えていないのに、肉体が何かを思いついたように動き出しませんか?
反対にあなたが何か思いついても、肉体が何もしなかったりもしますよ。
そして、
「体験」は確かにしているけど、この体験を見てしている主体は誰なんだろう?
この肉体を見て感じているのは誰なんだろう?
という視点で見てみてください。肉体を通していろんな体験しているという視点です。すると、なーんとなく不思議な感じがしませんか? 肉体と外の世界を分けないでくださいね。全体を見てください。
あなたは肉体の眼を通して世界を見て、肉体の感覚を体験しているだけですよね。さあ、そこでです。
「私」ってどれ?
探してみてください。
「あー、これだ」っていうヤツ、います?
(´・ω・`)
思考が「私」ですか? 思考も脳の活動ですよ。「あー、今、こんなこと考えてる」とか、あなたは思考も見ることができるのですよ。思考も脳の活動である以上、肉体の動きですからね。見られるんです。
じゃ、この見てるヤツ、誰よ?
誰でしょうね……?
(´・ω・`)(´・ω・`)(´・ω・`)
音に戻ってみましょう。静寂の中に音が鳴っていることがわかりますか?
静寂と音が同時にある。そんな世界であることがわかりますか?
その静寂が「自分」なんですけどね。
今日はこのへんにしといたろ。
ごきげんよう。
紅葉の画像でも。


