さて、「面倒くさい」を感じ続けているウリエルですが、
ウリエルが「感情を感じる」を、どうやってしているかを書いてみますので、何かのヒントにしてください。
(・ω・`)
まずは、「面倒くさい」って何だろう? ということを、思考を使って調べます。インターネットという便利なものもありますので、
「面倒くさい 心理」
なんてワードで検索したりもします。すると、「面倒くさい」への対処法みたいなものがズラーっとでてくるわけですが、もちろん、そこには答えはありません。ただ何かのヒントになるかもしれないので読むだけです。わりと興味深いことが書いてあって、おもしろいです。
そんなことをしているうちに、「面倒くさい」といっても、いろいろ種類があることに気づきました。
ただ単に肉体が疲れているとき、「面倒くさい」は出現しますね。それから、何かをしているときに、他のことをしなければならなくなると、「面倒くさい」が出現しますね。
「ほうほう、面倒くさいもいろいろあるもんだ」
そんなことに気づきます。
たぶん、いろんな「面倒くさい」のうち、どれかひとつの「面倒くさい」が「私」を構築している要素になっているなと、うっすらわかってきました。
じゃ、どれだろう......?(´・ω・`)
いろんな「面倒くさい」のシチュエーションを感じていきます。すると、みぞおちの下の奥の方にズシッと重りのようなものを感じる「面倒くさい」があることに気づきました。
それは、
「ちゃんとやらないといけないとき」
ははーん、どうやらこれだ......(`・ω・´)
この「ちゃんとやらないといけないとき」に出てくる「面倒くさい」が、このウリエルという人間を硬直させて、自由な肉体の動き、自由な思考を制限しているな。そんなことがわかってきました。ここまでで数日かかってます。
さあ、そこで、さらに「ちゃんとやらないといけないとき」の何が問題になっているのかを調べましょう。調べると言っても、ここからはただ感じるだけです。みぞおちの奥のアンカーボルトのような重みを、ただ感じます。
感じながらいろんな「ちゃんとやらないといけないこと」を思い出したりしてみました。すると、
「ちゃんと」って、なんやねん?
という、ことに思い当たりました。
「ちゃんと」
子供のときから、聞かされ続けてきたこのフレーズ。「ちゃんとしなさい」、「ちゃんと働け」、「ちゃんとした大人になりなさい」……
そもそも「ちゃんと」って、ナニ?(´・ω・`)
「ちゃんと人の話を聞け」と言われたとき、しゃべっている人の言葉を一字一句漏らさず聞いても、鼻クソほじりながら聞いていたら「ちゃんと」じゃない。でも、上の空で聞いていても、神妙な顔つきで聞いていたら「ちゃんと」聞いていると見なされたりする。
「ちゃんと朝ご飯を食べましょう」、カップラーメンでも「ちゃんと」の人もいれば、それは「ちゃんと」じゃないと言う人もいる。
「ちゃんと」って、なんとも曖昧。なるほど、「ちゃんと」って単なるイメージか。漠然としたイメージなんだ。
つまりこういうことね。
このウリエルの「私」は、何か漠然と「ちゃんと」とイメージしているだけで、
そのイメージをもとに「ちゃんと生きなきゃならない」と、漠然と思っていて、
それが「面倒くさい」につながっている。
こういうわけね。
ここまでわかりましたら、あとは本当に感じるだけです。「ちゃんと」から湧いてくる、なーんとなくネガティブな感情を感じるだけ。みぞおちの下あたりの違和感を。
「なんだろうね、これ?」
と。
大事なことは、この違和感、「みぞおちの下あたりにアンカーボルトが打ち込まれた感」を、思考で取り除くことはできないと認めることです。
コントロールはできない
のですから。
「私」は何かを握りしめているのですが、それは「私」の力で手放すことはできません。なぜなら、それは「私」の消滅、いわば「死」に相当しますので。「私」を超えた、もっと大きな存在、この世界におまかせする以外に方法はありません。もちろん「自分」にもできません。「自分」はただ見ているだけです。
でも、この違和感を抽出して感じることはできます。それ以上のことはできません。感じると言うことは、岩盤に穴をあけて行くような作業です。少しずつドリルで掘っていくような感じ。
こうしていると、やがて、
「あ!」Σ(゚Д゚)
と、何かに気づくんですよ。小さな一穴が開通する。するとその穴がアリの一穴となって、ビシビシッと岩盤にヒビが入り、ドカーンとダムが決壊するように岩盤が吹っ飛ぶんです。
こんなことを何度もやって行くのが、スピリチュアルです。
「私」にも、そして「自分」にも、この世界をコントロールすることはできません。どんな方法もないんです。
「エゴを取り除くにはどうすればいいか?」
ということを、多くのスピリチュアルで語られますが、どんな方法もないんです。
これをゆるし、ただ受け入れる。
感情を感じ始めると、不思議と「私」にとっては不快な出来事や、耐えがたい出来事が起こることも多々あります。でも、
何が起ころうと、ただ受け入れる。
それだけです。
ごきげんよう。
羽黒山の参詣道は大きな杉の並木道

ホントに大きいなぁ。

五重塔
@山形県鶴岡市