「透明な意識」、わかりづらいかなぁ……(´・ω・`)
まっさらな「意識」です。なにも知らない、ただの「意識」です。生まれたばかりの赤ちゃんの「意識」です。
ずっと、あなたとともにあります。なかったことなど決してありません。というか、あなた自身がこの「意識」の中にしか存在できないのです。
そして、「透明な意識」は本当に何も知らないので、いま見えている景色も、「眼」で見ていることすら知らないのです。だから「透明な意識」は、眉間でもハートでもハラでも、この世界を見ることができるのです。
あ、そうそう。視覚的に表現すると「透明な意識」ですが、聴覚的に表現してみると、
「静寂」
です。
「静寂」は、まったく音がない世界のことではありません。すべての音が、この「静寂」の中にあるのです。
「静寂」は動に対する静の「静寂」ではありません。すべての動が、この「静寂」の中で、豊かにダイナミックに活動しているのです。
そして、「静寂」はあなた自身です。
本当の自分が「静寂」なのです。
「透明な意識」は「静寂」でもあります。だから、「本当の自分は静かにしている」とか言えません。「静か」そのものが、本当の自分ですから。
そして「静寂」、「透明な意識」は、とても純粋です。
あなた(「私」)が悲しいとか、辛いとかを感じても、それが「悲しい」とか「辛い」ということも知らないのです。
あなたが「不安」や「恐怖」を感じても、それがいったい何なのか、まったく知らないのです。
完全に無防備 (゚∀゚)アヒャ
なのです。でも、
『愛』と『智慧』に溢れているのです。
『愛』も『智慧』も「私」の中にはありません。「透明な意識」、「静寂」にとどまっているときのみ、人は『愛』を体験し、『智慧』に触れられるのです。
まったく何も知らない無防備なあなたに、進んでなってみてください。戻ると言ったほうがいいかもしれませんね。
「もしかしたら、これは間違っているのかもしれない」
いろんなことに対して、そう思って問うてみてください。それが、まっさらな何も知らないあなたに戻る「秘訣」です。
どんなに当たり前の、子供でも知っているようなことに対しても、
「もしかしたら、これは間違っているのかもしれない」
そう問うてみてください。もしかしたら「私」がこだわっているだけなのかと。
もしかしたら、病気より健康のほうがよいなんて、間違っているのかもしれない。
もしかしたら、戦争より平和のほうがいいなんて、間違っているのかもしれない。
もしかしたら、「1+1=2」なんて、間違っているのかもしれない……
すると、思考が混乱して止まってしまいます。思考が止まると「静寂」が現れます。そして、
「わからない」
だけになってしまいますよ(´・ω・`)
そこなんです。
そこが「透明な意識」、「静寂」、つまりは「本当の自分」、なーんも知らないまっさらな「意識」への入り口なんです。「私」が入ることのできない扉です。
『愛』と『智慧』に触れる扉なのです。
ごきげんよう。
おしら様がいっぱいの「おしら堂」


遠野伝承園@岩手県遠野市
おまけ。遠野駅前の交番は、カッパがウインクしてました(´∀`)
