2018年09月15日

「自己イメージ」2( ゚ω゚ )

ごきげんよう ⊂^⌒⊃_д_)⊃


前回の記事で、

「私」は、ただの「思考」の寄せ集め

で、それを

「自己イメージ」

と、呼びますと、お話しました。ハイ。


んで、「私」は、この「自己イメージ」で出来上がってるわけですが、その数はものすごい量があるんですよ。膨大な数の「自己イメージ」で、「私」ができあがってると思ってください。
「ワキの下をコチョコチョされるとくすぐったい」なんてのも、経験から出来上がった「自己イメージ」なんですよ。そういう「自己イメージ」があるから、コチョコチョされそうになると、身をよじって逃げようとするのです。
でも、そういう「自己イメージ」は、スピリチュアルの視点からは、これといって重要でもなくどうでもいいものです。大半の「自己イメージ」がそうです。だから、いちいち、ぜんぶの「自己イメージ」に向かい合う必要はありません。

では、スピリチュアルの視点から重要になる「自己イメージ」はどういうものかというと、主に、

優越感、劣等感

不安、恐怖、怒り

被害者意識、罪悪感

などを、伴う「自己イメージ」です。これらは「苦しみ」しか生み出しません。

例えば、
「私は背が高い」
という「自己イメージ」を持っていたとしましょう。これ自体になんの問題もありません。
けれど、背が低い人を見て優越感のようなものを感じているなら、これは解消したほうがよさそうですね。真実、背の高さに優劣なんてありません。ヘンテコな「こだわり」が、「私」になってしまっています。やがて「苦しみ」になります。

「私は貧乏、お金がない」
という「自己イメージ」自体は、どうでもよいものです。けれど、それで毎日、不安を感じたり、ひどい劣等感を抱いているなら、もう「苦しみ」ですね。貧乏でも、ちゃんと毎日生きているので、何も問題ないのです。さらに工夫する喜びや、ちょっとしたことでも豪華に思える豊かさを知っているので、お金持ちよりずっと裕福と言ってもいいのですから。


さて、そういう「苦しみ」になる「自己イメージ」ですが、わかっていてもなかなか消えないもんです。というか、

消そうとしたところで、消えません

(´・ω・`)

なぜなら、消そうとすることは、『ありのまま』の『いま』に抵抗しているからです。
(´∀`)ノ

だから、まずそういう「自己イメージ」も、あっていいのだと受け入れてくださいね。今は「苦しみ」となっているけど、あっていいのです。そして、ウリエルの経験上、気づいて受け入れたものは、いつか必ず消えます。いつになるかはわからないけど、必ず消えます。だから勇気を出して、その「自己イメージ」の存在を許してください。


さて、ここからが、笑ウリ部です。
ある「自己イメージ」の存在を許したら、

隠れた「自己イメージ」を探してください

無意識の「自己イメージ」と言ってもよいです。あまりにも慣れ親しみすぎて、それが「自己イメージ」ともわからなくなってるヤツです。それを発見してください。
ヒントは先に述べた、

優越感、劣等感

不安、恐怖、怒り

被害者意識、罪悪感

です。優越感以外はだいたいネガティブな感情ですね。日常の暮らしの中で、これらを感じるとき、そこに「自己イメージ」が隠れています。だから、「ネガティブな感情を感じてください」と言っています。ネガティブな感情は、そこに「自己イメージ」が潜んでいることを教えてくれているのです。

例えば、ひどいことを言われたら、ネガティブな感情が噴出します。
「当たり前だ、ひどいことを言われたのだから!」
と、「私」はネガティブな感情が湧いた責任を、外側に責任転嫁します。間違いなく。
でも、本当は、ネガティブな感情は内側から湧いてきたのですから、その原因は「私」の中にあるのです。
そこに注目してください。どうしてひどいことを言われたら、ネガティブな感情が湧いて出てくるのか、言われたことの何がいちばんの原因になっているのか、それを探ってみてください。あなたは本当はいったい何に腹を立て、何を恐れ、何に傷ついているのでしょう?

お金がなくなったら不安になります。では、いったい何をいちばん不安に思っているのでしょう?
もちろん飢えや死を恐れているかもしれません。でも、人から憐憫の目で見られることを恐れているのかもしれませんし、プライドのようなものが崩壊するのを恐れているのかもしれません。また、実は、ただ欲しい洋服が買えなくなることがいちばん不安だったりするのかもしれません。

ネガティブな感情が湧き上がってきたら、感じながら、
「なんだろう?」
と、深く探ってみてください。そして、隠れている「自己イメージ」を発見してください。発見した「自己イメージ」は、

いつか必ず消えます (`・ω・´)キリ

ので。見つけるだけ。何もしなくてよいですよ。


結局、「私」って、「自己イメージ」が複雑に絡み合った、わけのわからん妄想なんです。
しかし、複雑に絡み合ってますので、正面から強引にほどこうとすると、余計に絡まっちゃうんですよね。
でも、ぜんぜん関係ないところの一本が抜けたとき、どっしり居座り続けた大きな「自己イメージ」が、あっさり崩れるんです。逆に言うと、無意識の部分を放ったらかしにしたままでは、絶対に崩れない。
意外な「自己イメージ」が、意外な「自己イメージ」を支えあってます。だから、一見、関係のないところからほどいていったほうがいいと思うんですよ。そのほうが、ビックリも大きいですし。


ネガティブな感情は、あなたを『真実』へと導く先生のようなものです。

その出現を感謝して受け取ってください。

ごきげんよう。


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「ゼロ磁場」である分杭峠に行ってみた!
すごいパワースポットらしい。

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こんなところ。というか「ゼロ磁場」って何?

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こうやって座って、「気」を感じるんだって。


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なにもかんじませんでした(´・ω・`)
@長野県伊那市
posted by 笑うウリエル at 22:47| Comment(61) | 『ありのまま』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月10日

「自己イメージ」1( ゚ω゚ )

ゴキゲンヨウ(・x・)


「思考」は「私」ではありません

このことを、どうすればすんなりと理解できるか?
それをここ数日間、うーーーーーーん…… と、考えましたが、いくらアレコレ考えても、すんなりとわかる方法など見つかりません。
結局、「私」をコツコツと解体していくしかないのかな。そう感じた次第です。
(´・ω・`)

ということで、コツコツと解体していく作業のヒントを、書いて行こうかな。
「私」が完全になくならなくても、薄ーくなってくれば、「思考」が「私」でないことに気づけると思います。そして、「私」なんてどこにも存在していないと理解できるでしょう。そうなってくると、本当の「自分」に、自ずと目覚めます。「私」がいなくても、この世界も肉体も思考も感情もあるのですから。


んでー、まずですね…… ( ´ー`)
「思考」は「私」ではないのですが、

「私」は、ただの「思考」の寄せ集め

です。

記憶とか知識とか、あと「こだわり」とかの寄せ集めにすぎません。そんないろんな「思考」の断片みたいなものを寄せ集めて、「私」という

イメージ( ゚ω゚ )

が、出来上がってるわけですよ。単なる「イメージ」なんです。「私」って。

驚きでしょ? (´∀`) 
でも、そうなんですよ。そうじゃありませんか?

あなたの脳に書き込まれている、あなたの名前や記憶を、まったく別の人ものと入れ替えたら、その肉体、果たして「私」ですか?
逆にあなたの脳を他人に肉体に入れたら、その誰だかわからない肉体が「私」になっちゃうんでしょうね。
(´∀`)
昔、「転校生」っていう映画がありましたよね。男の子と女の子が階段から落ちて入れ替わっちゃうやつ。男の子の体に女の子の心が、女の子の体に男の子の心が、でしたよね。名画だと思います。
あの映画でも、「私」は肉体ではなく思考の方でしたよね。そう、「私」は肉体の方じゃないんですよ。思考の方にあるんですよ。みんな意識しなくてもそれがわかっているから、映画を見て違和感なくストーリーに入って行けるわけです。


つまり「私」って、単なる「思考」なんです。それも「思考」のすべてではありません。ほんの一部です。だって、
「1+1=2」とか「1192作ろう鎌倉幕府!」という知識や、
「カレーはどうやったらおいしくなるか?」とか考えるののも「思考」です。でも、これは「私」ではありませんよね。
「私」は「思考」の中にしか存在しないもので、それも「思考」のほんの一部が「私」というだけなのです。
だから、

「思考」は「私」ではありません

と、いえるのです。

これだけでも、実は「私」なんて存在しないということに、薄々気づきませんか?
もし、なんかよくわからない恐怖のようなものを感じたら、それ、『真実』の方に歩み寄り始めているということです。「私」が消滅する恐怖です。安心して恐れてください(笑)


さて、「私」は断片的な「思考」を寄せ集めた「イメージ」です。これを

「自己イメージ」

と、呼びます。「私」の解体は、この「自己イメージ」を解体することです。

「自己イメージ」は、あるエネルギーのようなものよって支えられているんです。なかなか説明しにくいのですが、感情のエネルギーとも言えそうですし、感情を伴ったエネルギーとも言えそう。このへんはウリエルにもよくわかりません。
例えば、
「集団の中で孤立しそうで不安になる」
とか、
「時間にルーズな人にイライラする」
とか、人によって様々な性格的な個性がありますよね。そういう個性を生み出すエネルギーです。アイデンティティーのモトといってもいいのかな。
「孤立しそうで不安になる」、その不安を生み出すエネルギーですね。「時間にルーズな人にイライラする」、そのイライラのエネルギーです。
んで、このエネルギーを見つけ出して、深みに行きつつ感じ切ってしまうことが、「自己イメージ」の解体になって行くわけですが、今宵は疲れたので、続きはまた次回に書きまっさ。
(´∀`)


ま、とにかく、今日は、

「私」は、ただの「思考」の寄せ集め

ということに気づいてください。「思考」の中以外に「私」なんてありませんから。


ごきげんよう( ゚ω゚ )


大内宿を散策してみた
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トンボが頭にとまった(´∀`)
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@福島県下郷町
posted by 笑うウリエル at 23:04| Comment(45) | 『ありのまま』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月04日

「私」をさがせ!(゚∀゚)

ごきげんよう ( ゚д゚) (゚д゚ ) アラヤダ

台風でお店は臨時休業にしました(´・ω・`)
ヒマだから、記事書くわ。


「透明な意識」または「静寂」、まだよくわかんないですか?
しつこく、もう少しやります。
あなたには「意識」がありますよね。それですよ。「意識不明」でなければ、あなたは起きて何か感じてますよね。その感じているヤツですよ。
(´∀`)

この「意識」の中に、いろんなものを知覚していますね。目の前の景色とか、音とか、肌に感じる温度とか。美味しいものを食べても、その味を感じているのは舌というより「意識」ですよね。
「舌がなくなったら味も感じないじゃないか」
と、言うかもしれませんが、「舌で味を感じる」ということが、「意識」の中で起こっているんです。


あなたの「意識」の中に、「肉体」がありますね。あなたの肉体を感知しているのは「意識」です。
肉体をあなたは見ることもできるし、触ることもできます。また皮膚を通じていろんな感触を感じれます。ぜーんぶ「意識」があるからわかるわけです。肉体があるから感知できるのではなく、「意識」があるから感知できるのです。
だから、「意識不明」になったら、肉体だけになるように思うのは、カンチガイですよ。「意識」がなくなったら肉体も消えます。他者は意識がなくなったら、肉体だけになりますが、

あなたはそうではありません ( ゚Д゚)アラヤダ

ぐっすり眠ってしまって「意識」が落ちたら、あなたの肉体はこの世界にありません。というか、

この世界がありません ( ゚Д゚)アラヤダ

目が覚めて「意識」が戻ったら、この世界が出現しているだけとも言えますよね。この視点は重要です。
(´∀`)


すると、「意識」の中に、「思考」が存在するのも発見できます。なぜなら、あなたは「考えていること」を見ることができます。見ることができるということは「思考」は「意識」ではないということです。さらに「意識」があるのに、なにも考えないでいることも出来ます。生まれたての赤ちゃんのときとか、とっさに何かするときとか、猛烈にボケーッとしているときとか。
やっぱり、「思考」は「意識」と似ているようで違います。「思考」は記憶でできているコンピューターです。記憶には知識や体験が、たくさん束になってつまっていて、「思考」はそれを取り出して、いろんなことに利用します。そして、肉体と連動して、とても良い働きをします。


さらに、「意識」の中には「感情」がありますね。
この「感情」というのは、どこからともなく湧いてくるエネルギーです。「うれしい」とか「かなしい」とか「にくい」とか「はらだたしい」とか、いろんな名前がついておりますが、だいたい胸のあたりで湧いては消えて行くエネルギーです。エネルギーの振動です。
コイツも「意識」の中に、なんか知らんけどあります。「意識」がなくなったら、感情も何もありません。
ただ、私ウリエルもなんで感情があるのかわかりません。でも、なくなってしまうと、あまりにもつまんなくて味気ない気がするので、まあ、あっていいか。


さて……(´・ω・`)
「意識」の中に、「肉体」、「思考」、「感情」があるのは、だいたいわかりました?
では、

「私」は、どこにありますか?

どこよ? どれが「私」?(´・ω・`)


「あるよ! 私の意識だよ!」
と、思うかもしれません。んが!(`Д´)
じゃあ、その「私の意識」の「私」はどこにあるのよ?

「意識」がなくなったら「私」もわかんなくなりますよね。だったら「意識」の中に「私」もあるってことでしょ?
もし「私の意識」というふうに、「意識」が「私」の所有物なら、「おれ、いま意識不明だわ」とか「いま意識落ちちゃってるから、あとでね」とか、「私」が「意識」の状態を認知できるんじゃないのかな?
でも、そんなのできません。「意識」は「私」のものではありませんってことですよ。

「じゃあ! この肉体が私だよ!」
と、思うかもしれません。確かに肉体はあります。それに名前もついてます。
んが!(`Д´) 「肉体」は本当に「私」ですか?
「私の肉体」とか「私の身体」とか、いつも言ってるわけですから、肉体も「私」の所有物で、「私」ではないわけですよね。となると、どこにいるのよ、その所有している本体は。

同様に、「私の思考」とか「私の記憶」とか「私の感情」とか、いつもそう言ってるし思ったりもしているわけですから、思考(記憶)も感情も、「私」の所有物なわけです。

じゃあ、その所有しているヤツを連れてこい

って。(`・д・´)


この「意識」の中に、すべてありますよね。「肉体」も「思考(記憶)」も「感情」も。そして、「この世界」も。それはハッキリとわかります。

で、「私」って、どれよ?

どれ? ヘ(゚д゚)ノ?

どこ? ヘ(゚д゚)ノ?

さがしてみてください。さがして、さがして。あった? 


すると、どうしても、この「意識」が「私」に最も近いのかなー、という感じにならざるを得ない。

あれ? するってっとー……

いま認識している「この世界」ぜんぶ、見えてるものぜーんぶ、そこに見えてる木も山も空もオッサンも、

「私」? Σ(゚∀゚ノ)ノ アラヤダ

いやいやいやいや! 木や山や、あのアホそうなオッサンは「私」じゃないよ!

でも「意識」の中に存在してるんでしょ?

ごきげんよう。


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猪苗代湖に虹がでた!(´∀`)

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hakutyou.jpg
晴れてるときに働いている「白鳥丸」
@福島県猪苗代町
posted by 笑うウリエル at 12:00| Comment(53) | 『ありのまま』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする