2018年08月26日

透明な意識の補足 (・ω・`)

ごきげん (○´ω`σ)σYO!!


「透明な意識」

少しでも感じることができたでしょうか?(・ω・)

「透明な意識」は、脳の中にありません。脳やその中の思考ですら、「透明な意識」の中にあります。
生まれたばかりの赤ちゃんは、まだ何も知りません。脳を使えません。自らを産んでくれた母親を見ても、「あ、お母さんだ!」と思うこともできません。暑いや寒いを感じても、それを暑いとか寒いと思うこともできません。自らの手足を見ても、それが自分の身体だと知らないのです。だいいち、

σ(・ω・) 「オレ」

というのが、まだよくわかりません。
でも、ちゃんとこの世界を見ています。まっさらな「意識」だけで、この世界を見て感じています。

その、まっさらな「意識」の中に、快不快が作られ、言葉や記憶が作られ、それが思考へと成長していき、いつの間にか、「私」が出来上がってしまっただけのことです。
その、まっさらな「意識」、生まれたばかりの、まだ、いっさい何も知らない状態が「透明な意識」です。
言葉も記憶も感情も、この肉体ですら、すべてがこの「透明な意識」の中で作られていることが、わかりますか?
(´∀`)

「透明な意識」は、あなたがこの世界に生まれた瞬間から、ずっと在り続けてます。でも「透明な意識」の中に、記憶や知識や感情が、とーんでもなくたくさん溢れてしまっているので、あなたは「透明な意識」を忘れてしまっているのだけなのです。日常のありとあらゆることが、「この世界が存在する」ということを忘れさせてしまっているだけなのです。

ですから、まず思い出しましょう。生まれたばかりのあのときの状態を。

「今、この瞬間に、この世界に生まれた」

そう思って、この世界を感じてみましょう。「真っ白でまっさらな自分」です。まさにアダムです。あらゆるものに名前がない世界です。あらゆるもの、あらゆる感情が「?」な状態です。「?」と「!」しかない世界です。それを思い出しましょう。


さて、「透明な意識」だけのあなたは、遠くの山を見ても、それが遠くと知りません。遠い近いもまだ知らないのです。空に浮かぶ月を見ても、それが遠くにあるとは知りません。だから、触ってみようとするかもしれません。でも、触れない。

?(´・ω・`)

そのときはじめて、あなたは遠いと近いを知りはじめたのです。

その遠いと近いを知る前に、思いを馳せて戻ってみてください。できますか?
すると、この世界のすべてに「距離」がなくなってしまいます。そうなると、どうでしょう?

この世界が、ただの絵のようになりませんか?

動く絵です。写真や映像と言うと、それぞれが分離しているように感じてしまうので、ここはやっぱり「絵」という表現を使います。
そして、この「絵」はやっぱり、

「意識」の中にしかありませんよね

ただ「絵」だけがあって、そこには「私」も「他人」もありません。見えている自分の手足や胴体も、他人も町も山も、ただの一枚の「絵」の中に描かれたものにすぎません。そして、その「絵」を見ているのですが、

ただ「絵を見ている」

だけがあって、誰が見ているのかは、よくわかんない……
(´・ω・`)


そう、「見ている」しかないんですよ。誰が見てるとかがないことに気づいてください。「意識」の中に「絵」があって、それを見ているんです。あなたはまだ生まれたばかりで、「私」なんて知りません。でも、ただ「見ている」だけはある。

これが「気づき」です Σ(゚Д゚)!

これだけのことです。

「透明な意識」は「見ている」です。「透明な意識」は「聞いている」です。そして、「透明な意識」は、

「感じている」

です。

「私」がわからなくても、見て聞いて感じています。これをスピリチュアルでよく使う表現で言うと、

「気づきが気づいてる」

と、なります。さらには、

「私はいない」

「この宇宙は自らの内にある」

とかになります。

でも、これだけのことなんです。これだけのことを、「目覚め」とか「アドヴァイタ」とか「ノンデュアリティ」とか、しゃちほこばって言ってますが、

なんと! ホントにこれだけのことですから。

(´∀`)ノ

お気楽にね♪
ごきげんよう。


山形にはクラゲがいる!
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クラゲドリーム館(加茂水族館)@山形県鶴岡市
posted by 笑うウリエル at 05:27| Comment(43) | 『ありのまま』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月22日

透明な意識 (・ω・)

(=゚ω゚)ノ【ご】【き】【げ】【ん】【よ】【う】


「私」って、何で出来ているのでしょう?
ちょっと考えてみてください。
(´・ω・`)

この「肉体」で出来ていますか?

それとも、頭の中で思う「思考」ですか?

よくわかんないけど、この「命」が「私」かな?

この「私」、何で出来ています?
……(´・ω・`)



スピリチュアルでは、この「私」の本質を見抜いておかないと、グルグルと同じところを回り続けます。グルグルと輪廻するように設定されているのが「私」ですから。
(´∀`)
「私」は『真実』を追い求め、いろんな知識や体験を集めます。あなたもたぶん、そうしてきたでしょ?
だけど、いくら知識や体験を集めても、『真実』は見えてきそうで見えてきません。グルグルと同じところを回っているような感じが続いています。そりゃそうです。「私」を脱却しないと『真実』は見えないわけですから、「私」に任せていては、『真実』に気づくわけないってことです。

では、この「私」、これ一体、何?
まず、そこをちゃんと理解しておきましょう。

この「私」は、

ただの知識と体験の寄せ集めです

言い換えると、

記憶の寄せ集め

です。

(´∀`)ノ



真っ白な大きな布を用意して、それを壁に貼り付けましょう。
そして映写機で白い布に映像を映します。「ジョーズ」でも「風の谷のナウシカ」でも、なんでもいいので映画を見ます。
だいたい映画って2時間くらいですよね。映画を見終わると、あなたは「映画を見た」と思います。実はそれが、ちょっとしたカンチガイのモトなわけです。実際、あなたが2時間もの間、じっと見つめていたものは、ただの

大きな白い布(・ω・)

でしょ?(笑)
だって、実際には、そこにサメも王蟲もいなかったですもんね。それが『真実』です。


そう、「私」というのは、この映写機の中に入っていたフィルムのようなもです。知識と体験のフィルムです。
では、このフィルムを抜き取ってみましょうか。そう、抜き取ることができるんすよ。知識と体験を捨て去ってしまえばよいのです。ぜーんぶ忘れちゃえばいいのです。
あ、本当にぜんぶ忘れて、記憶喪失になる必要はありません。そうなったと思ってください。「思考」も使いようです。
(´∀`)

すると残るのは肉体ですか? ちがいますよね。

「意識」ですよね (`・ω・´)


「意識」の中に、世界が広がってますよね。「意識」の中に肉体があるってのがわかりますか?
まっさらな「透明の意識」があります。まるで映像が映っていた「大きな白い布」です。それだけはどうやっても取り除くことができません。ただ「在る」としかいいようのないものです。そうなんです。「透明な意識」だけになっても、あなたは存在できるんですよ。

これが「在る」ですよー

「本当の自分」ですよー

「私」は「本当の自分」を探し求めて、スピリチュアルの教えを追い求めて走り回っていたのですが、見つかるわけないです。映画の中の世界に、大きな白い布を探していたようなもんです。でも、ずっと見ていたんですよね(笑)

「意識」の中に、肉体を感じることができます。
「意識」の中に、感情が湧きおこります。
「意識」の中に、思考が動いています。

言われてみれば、簡単なことなんですが、まだよくわかんない?

怖くなっちゃう人もいると思います。そこは、エイヤーで「私」を脱ぎ捨ててください。脱ぎ捨てても、あなたは存在できるので、なーんも心配いりません。知識も体験も消えてなくなりません。ちゃんと必要なときに取り出して、使うことができますから。

瞑想も修行もヨガも、しなくてわかると思うんですよ。ただ、これだけのことって感じです。
「苦しみ」を消そうとする前に、まず、このことを発見してください。すっごく簡単なことです。スピリチャルの教えを追う前に、まず。


この「透明な意識」が「本当の自分」です。そして「透明な意識」には、あらゆる知識も体験もありません。つまり、

なーんにも知りません (。A 。)アヒャ

今まで慣れ親しんだ「私」からみたら、おっそろしくアホです。無知です。だから「私」は「本当の自分」でいることは危険極まりないと思っているのです。
でも、それがカンチガイ。この生きている二元の世界では、相反する両極は「同じ」

ってことは……?

おっそろしくアホ=究極の叡智 (`・ω・´)

なのです。


大抵の人は、なーんも知らない「透明な意識」、「本当の自分」に、一瞬はいることができても、なかなか居続けることができません。
その時間を長くして行き、やがて「私」に戻れなくするのが、この「笑ウリ部」です。おっそろしくアホなままになるブログ。
(゜∀。)ワヒャヒャヒャヒャヒャヒャ

だから、おっそろしくアホで無知な「透明な意識」に、まず気づかないといけませんね。
わかんない人は、どんどん質問してくださいね。

ごきげんよう。

山形にはトトロがいる!
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@山形県米沢市

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@山形県鮭川村


ついでに、鳥もつラーメン
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@山形県新庄市『急行食堂』

posted by 笑うウリエル at 07:46| Comment(56) | 『ありのまま』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月15日

「私」と「私以外」

ゴキゲンヨー(・3・)プップクプー!

お盆ですね。この期間はアクセス数も少ないので、まったり軽ーく記事を書きます。
(´∀`)

「私」と、いつも主張しているヤツ、まあ「自我」とか「エゴ」とか言われてるヤツですが、このブログでは「私」と呼ぶことにしました。なぜなら、
「ああ、これは私のエゴだわ……」
みたいに、自我やエゴを、まるで「私」でないかのようにとらえちゃったりしますから。そもそも「私のエゴ」なんて表現自体がおかしいのですよ。「私」がエゴそのものなのですから(笑)


さて、「私」はこの世界を二つに分けて見るのが大好きです。というか、そうしないと、この世界を認識できません。
上下、左右、東西、南北、高低、長短、明暗、表裏、敵味方、善悪、苦楽、優劣、生死、幸不幸……
ありとあらゆるものを二つに分けて、この世界を認識するようになってます。森羅万象二極一対でおます。
また、そうしないと、「私」も認識でません。だって、

「私」と「私以外」

という、二つに分けているから

「私」がいる

と、わかるわけです(´∀`)


二つに分けると、「私」から見るとなんでもスッキリします。また、二つに分けることは、物事をなんでも面白くします。ですので、「私」はありとあらゆるものを二つに分けたがります。
スポーツも応援しているチームと敵チームの二つに分けるから、スッキリ楽しめます。二つに分けないと、イマイチ面白くありません。高校野球もただの「球児たちの戯れ」になってしまいます。
また、いろんなものにランキングをつけるから、世の中それなりに面白くなります。いろんなモノや人を優と劣の二つに分けて、それをつなげたものがランキングですもんね。
逆に二つに分けてないものに直面すると、「私」はどう反応していいかわからなくなり戸惑います。
「敵でも味方でもない」とか、「善でもあり悪でもある」とか、「どちらも正しい、正解はない」とか。
こういう現象に出あったとき「私」は、「そんなの困る」と、ブツブツ言ったり、何が何でも二つに分けようとして苦しんでしまうのです。


あ、これは余談でした。本題に戻ります。
二つに分けるのが大好きな「私」ですが、二つに分けると言うことは、「二つに分ける前」があるわけです。
コインの表と裏、どちらか片方を表と決めるまでは、裏もありません。ただのコインです。
棒の先っぽと根もと、どちらかの端を先っぽと決めたから、反対側が根もとになるわけです。それを決めるまでは、ただの棒です。
高校野球も学校ごとに分かれて対戦すると決めるから、試合ができます。そして試合終了までに点を多くとった方が勝ちと決めるから勝敗がつきます。決めるまでは、ただの「白球を追う球児たち」でしかありません。
私たちは、森羅万象二極一対、ありとあらゆるものを二つに分けて物事を認識していますので、つまりは、ありとあらゆるものに、「二つに分ける前」があるのです。
新築と中古住宅、二つに分ける前は「家」です。外車と国産車、二つに分ける前は「くるま」です。
ということは、

「私」と「私以外」

の、二つに分ける前があるってことですよね。
この「私以外」というのは、「他者」のことだけを言っているのではありません。私の身体以外の、外の世界せーーーんぶのことですよ。
肉体の外側の、ありとあらゆるものです。肉体の外側の空間のことです。宇宙の果てまで広がってます。


すると、「私」と「私以外」の二つに分ける前は、どーーーやって見ても、

「この世界!」(゚∀゚)

ですよね? 宇宙の果てまで広がるこの空間ですよね?
(´∀`)

そのことを私たちは知覚、認識できるんですよ。わかることができるんですよ。これが不思議じゃありませんか?
なんでわかるか、理由はものすごーく簡単です。

「この世界」が「自分」だからです(・ω・)

「私」でない、本当の「自分」が「この世界」だからです。

「すべては自分の内側にある」とか、よくそういう言い方をするのは、そういうことです。
「ワンネス」とか「ノンデュアリティ」とか、わざわざもったいつけた言い方とかもしてますが、ただ単にそれだけのことです。ハイ。
こんなの誰でも知ってるよ、ってことです。あなたもとっくに知ってますから、考え込まないでください。

するってーと何かい?
この「私」、肉体の中にあるように思っている「私」、コイツは誰やねん?
ってことになりますが、知らんでいいんじゃないですか、そんなこと(笑)
(´∀`)
今までも実は誰だか知らないのに、それなりに生きて来てるんですから、放って置いても大丈夫と思われます(笑)
まあ、なかなか放って置けないヤツで、ついつい感情移入しちゃうんですが。

とりあえず、「この世界」が「自分」というのを、ちょっと今いる立ち位置、肉体から離れて感じてみてください。


ちなみに、スピリチュアルはそこで終わんないんですよ。そこがスタートラインです。「ワンネス」なんて、気づいたところで、何にも起こりませんよ。
「私」はかなり奥深くまで入り込んでます。
「ワンネスの世界」と「二元の現実世界」も、二つに分けてます。
「悟ってる」「悟ってない」、「目覚めた人」「目覚めてない人」も、二つに分けてます。
さらには、「未知」「既知」も、二つに分けてます。
最終的に「本当の自分」が「ある」ってことは、「ない」世界もあるってことですよね。本当の「自分」を超える世界があるってことです。つまり「本当の自分」が創り出される前があるってことです。それを当ブログでは、

『誰だかわからない』さん

と、呼んでます(´∀`)


二つに分かれているものは、すべて「二つに分ける前」があるはずなんです。
みなさんがそれぞれ、現在気づいている場所で、二つに分かれているものを発見し、そして「二つに分ける前」に思いを馳せて感じてみてください。

なんだか、とりとめのない感じになりましたが、引き続き、お盆の休暇を満喫してくださいね。
ではでは、
ごきげんよう。


夏の風景の続きを(´∀`)
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明野のひまわり畑@山梨県北杜市

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朝日連峰と水田@山形県朝日町

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五色沼と裏磐梯@福島県北塩原村

おまけ・白河ラーメン
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でかいんだ、これ(´・ω・`)
posted by 笑うウリエル at 11:21| Comment(46) | 『ありのまま』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする