2018年06月16日

「私の」?(´・ω・`)

ごきげん フ──(・ε・`o)──ン


「静かにじっとしている自分」について書きましたが、「静かにじっとしている自分」というヤツがいるわけではありませんよ。
(´∀`)

ただ「静か」だけがあり、それが「自分」

と、言ったほうがよいかな。
うーん…...でも、これは、どうやっても言葉にしようがありません。形も大きさもありません。でも、確かに「在る」のです。

「意識」とも言えるかもしれません。でも、「あの人を意識する」とか「意識高い系」とかの「意識」ではないので、間違えないでくださいね。
さらに「無意識」も、この「意識」の中で起こっていますよ。「無意識にさわった」とかいう行動も、この「意識」の中で起こっていますから。そういう意味で「意識」という言葉にとらわれると、何かを根本的に間違えてしまうかもしれないです。

結局のところ、どうやっても言葉にできないのです。
「空」、「静寂」、「在る」、「無」……
昔の人も、みんななんとか言葉にしようとチャレンジしたみたいですが、やっぱり、どれもなんかわかりにくいですもんね。


で、この言葉にできないもを、わかってもらうために、もうちょっとがんばってみましょうか。
とりあえず、

「私」って何ですか?

いま、自分自身に問うてみてください。いまここで。

「これが私だ」と思っているもの、例えば、この「身体」とか、これフツーに「私」だと思っていますよね。
でも、

「私のからだ」

って、言いますよね。ごくフツーに。ここ少しおかしいなと気づきませんか?
身体が「私」なら、ただ「からだ」と言えばいいのです。だって、それがもう「私」なんでしょ? いちいち「私の」を付ける必要がないと思いません?

からだ=私

なら、「私のからだ」という用法はおかしいのです。「私の私」って言っているのと同じです。つまり、身体は「私」じゃないんですよ。あなたは身体は「私」じゃないと思っているから、「私のからだ」って言ってるんですよね。


じゃ、「私」って何?

「思考」ですか? いえいえ「私の思考」とか「私の考え」って、みなさんフツーに言ってますよ。思考は「私」じゃないとわかっているから、そう言うのでしょ?
「記憶」ですか? ……「私の記憶」(笑)

「私の感情」、「私の性別」、「私の名前」、「私の人生」……


あれれ? 「私」って何? その「私の」って言ってるヤツ、何者?
( ゚ ω ゚ )


そうだ (゚∀゚)!
「私の」がつけようのないものだ! だって「私の私」なんて言い方しないもんね。
ということは、うーん、身体でもない、思考でもない、記憶でも感情でも感覚でもない……?

「私」って何?


頭で考えて答えをだそうとしないでくださいね。
(´∀`)

ただ静かに問うてください。


どれも「私」ではありませんよね。でも確かに存在していますよね。この世界を見ている存在が。

それが「静かにじっとしている自分」への、直接的な問いかけなのです。

思考も感情も感覚も、この「静かにじっとしている自分」の中で起こっていることですよ。

身体も記憶も、この「静かにじっとしている自分」の中にあるものですよ。



ま、問いつつ、

ごきげんよう。


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やはりこの時期は、紫陽花を貼りたい。

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丹波あじさい寺・観音寺@京都府福知山市
posted by 笑うウリエル at 22:33| Comment(37) | 『ありのまま』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする