2018年05月30日

他愛もないお話(´∀`)

ごきげんよー(´∀`人)☆.。.:*・ポワワワァァン

ここのところ感情を感じてくださいという記事を続けておりますので、みなさん感じてるのかなー、とか思ってます。
ただ、感じたらすぐに何かが起こるとか、何かに気づくというわけではありません。やはり時間はかかります。何日か何週間か、はてまた何か月かかもしれません。でも何年もかかりません。
それに、こういうことが起こるとか、こういう風にわかるということも書くことができません。なぜなら、思いもよらない形で何かが起こるし、何かがわかるからです。おまけに、それはその人にしかわからない形で顕われますので、私ウリエルも「これが顕われる」と言うことはできないのです。

ただ感じてください。身体に出る反応を感じてください。あれこれ判断せずに。それだけで、少しずつですが何かが解きほどかれていきます。何が解きほどかれるかというと、

 「私」

です。「私」のアイデンティティーですね。
本当はただ感情があるだけで、「私」が感情を持っているわけではないのです。このことに、いつか気づくと思いますよ。
(´∀`)


さて、今日は何を書こうかなと思っておりましたが、みなさん感じている最中だと思いますので、あんまり次から次にいろんなことを書かれると、しんどいかなとか思いまして。テキトーに雑談ぽいことでも書いておきましょうか。

えーと、以前はよくエゴとか自我という単語をつかっておりました。でも、最近は「私」にしております。
スピリチュアルの探究を始めて間もないころなら、自らの内にあるエゴに気づくというのは、たいへん新鮮だし、発見がたくさんあります。
でも、だんだん探究が長くなっていくと、知らぬ間に新しい二元の世界ができちゃうんですよ。

「これはエゴのせいだわ。私は悪くない」

みたいなね(笑) いやいや、ウリエルだってそうなりましたよ。自分の中に、自分とは別のエゴという「悪魔」がいるみたいな。これってただの自己正当化ですよね。
自己正当化している自己がニセモノだと見抜くことが悟りですので、こりゃいかん! だから、

「エゴなんて最初からいません!」

というスタイルで記事を書こうと思いました。エゴが新たに作られた概念になっては、余計にややこしくなります。
「私」なんです。あることが起こって、それをジャッジしている「私」をエゴと呼んでいるだけなんです。「私」が巧妙にイカサマしてるんですよ。責任をエゴに押し付けて。
本当はどんなに正当化しようと思っても、その自己、つまり「私」がないんです。だから正当化のしようもヘッチクレもないんです。うーん…… もうちょっとうまく表現できるよう、探究を深めますね……
(`-ω-´)


ところで「私」がないって、どんな状態か想像してもできません。たぶん想像しているのとは、まるで違う世界です。だから想像してもムダです(笑)
どんくらい想像できないかということを、ちょっと知ってもらうために、現在の私ウリエルがどんな状態か書いてみましょうか?
読んでも深く考えちゃだめですよ(´∀`)

私ウリエルはこの肉体と思考が誰だかわかりません。本当にわかりません。それでもなんか知らんけど、日々生きているようなので、まあいいか、って感じです。
肉体の次元からみても、本当の自分が何者だったのかわかりません。つまりどっちから見ても「わからない」なんです。
ただ、自分が誰だかわからないから、この「私」ウリエルをやっているんだという感覚だけあります。でも、いくら「私」ウリエルをやったところで、自分が何者だったかわかるわけでもないということもわかります。「わからない」の「わからない」です。「わからない」の2乗って感じです。
ただ、この「わからない」×「わからない」だからこそ、この世界があるのです。これが奇跡としか言いようがなく、「わからない」からくつろげるのです。「わからない」ことだけがわかっているって、これほどまでに穏やかで安心できるんだー、という感じです。ハイ。
(・ω・)


もう人生の物語、何度やっても同じだよ。何度やっても「わからない」さ。

これが、たまらなくステキなんですよ。
わかんないでしょ? すんませんね(´∀`)

まあ、今回はどうでもいいお話でした。
では、みなさん、感情を引き続き感じてください。
あ、書き忘れてますが、うれしい感情が湧いてきたら、ハートに感謝してくださいね♪
そして、そのときの身体の感覚も、じっくり味わってください。

ではでは、またね。
ごきげんよう。

横浜ゴムの工場から因島に渡りました。
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海が見える丘に、何かの花が咲いてます。

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何の花かな?

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除虫菊でした。ちなみに見学者はウリエル以外、

ひとりもいなかった(´・ω・`)

*現在の蚊取り線香は化学合成された物質を使っていて、除虫菊を材料にしてないんだって。
この除虫菊、ただの観賞用です(´∀`)
@尾道市因島


posted by 笑うウリエル at 21:46| Comment(54) | 『ありのまま』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月24日

「孤独感」(´・ω・`)

ごきげんよう (o´・ω・)_串 ヤキトリドウゾ


さて、またまた幼いころのあなたのお話です。
分離をしばしば体験するようになったあなたは、やがて、最大級の恐怖を感じることになりました。

「孤独感」(´・ω・`)

です。

これを感じ始めたら、この世界はものすごく恐ろしいところになりました。それはただウッカリ、焦点を肉体とその頭で考えていることにあてているだけで、実際、おもちゃやテレビに夢中になっているときなどは感じません。でも、何かの拍子に、意識の焦点を「私」だけにあててしまうと、これほど心細く絶望的な感覚はありませんでした。

あなたは、このとても恐ろしい「孤独感」を取り除くことができる方法を探しました。このとき、あなたは決定的なミスをまたやってしまいます。そこにお父さんやお母さんが見えたのです。
「ああ、よかった!」
あなたは安心しました。なぜか「孤独感」が一瞬で消えたのです。
でも、これが決定的なミスなのです。実は、

「孤独感」が誤魔化されただけなのです。

結果的に、お父さん、お母さんという「他者」が「私」とは別にいると思ってしまったのです。そして「他者」に認められている以上、「孤独感」は感じないと思ってしまったのです。消えたと思った「孤独感」は、上から「他者」を塗りたくっただけで、そっくりそのまま残ってしまいました。あなたの分離が決定的になったのです。

そのときから、あなたに「他者に認められるべき」という闘いが始まります。
「好かれたい」、「褒められたい」、「かっこよくなりたい」、「かわいくなりたい」……
終わりのない闘いがスタートして、それは今まで続いているのです(´-ω-`)


本当は分離していたことに気づいて、元に戻ってりゃよかったんですが、なにぶん幼かったもので、これもしょうがないと言えば、しょうがないです。
「他者に認められるべき」という闘いの原点は、「孤独感」の解消だったのですが、その闘いでは、いくら続けたところで解消はできません。分離したままですので次々と歪みや衝突を生み出すばかり。なんとも不毛な闘いです。まことに不毛です。


もう、こんな不毛な闘いはやめましょう。あなたの意識は肉体の中だけにあるのではありません。このことを思い出さねばなりません。本当は孤独など、この世界には存在しないのです。存在のしようがないのです。
では闘いをやめるには、どうしたらよいでしょう? それには、まず準備が必要です。

「私」のパターンに気づいてください

「認められていない」と感じたとき、あなたはいくつかのパターンで「孤独感」の回避を図ります。
それは人それぞれですので、あなたにしかわかりません。あなた自身もほとんど無意識にやってます。
ある人は「認めない人を批判したい」という気持ちが起こってくるかもしれません。認めてくれる他者を別に探そうとしたり、現在、認めてくれていると感じている他者のことを思い出して安心させるかもしれません。
認めさせようとおかしなことをしようと思うかもしれないし、「孤独でかまわん」と強がって恐怖を消そうとするかもしれません。テレビを見たり本を読んで気を紛らわすかもしれません。
もういろいろですね。でもだいたい、いつもいっしょ。
数パターンですよね(´∀`)ノ

「孤独感」が顔をだそうとしたとき、あなたはどうやってそれを回避しようとしているか、見抜いてください。
そして、その心の動きをよく観察してください。
「ああ、これは孤独感を回避しているだけなんだ」
「こういう方法で、いつも誤魔化していたんだ」
と、ハッキリとわかるまで。
例えば誰かとケンカするとき、だいたい同じパターンでしょ? あなたが相手をやり込めようとするパターン。
わかってもらえないときに、どう行動してるかとか、また「寂しい」と感じそうになったらやることとか、だいたいいつも同じではありませんか?
その心の動き、そのときの湧いてくるエネルギー、感情、身体感覚をしっかり感じ切ってください。

わかると「孤独感」が素っ裸になります。つまり「孤独感」が丸出しになって噴出します。それを、その恐怖をもう誤魔化しナシで感じて、感じ切ってくださいね。
まあ、回避するほうを感じ切った時点で、消えていることが多いと思います。

これはつまり、「認められたい欲求」から自由になるということです。
この欲求が崩れ落ちてしまうと、ウリエルの体験では「私」の半分以上が死ぬと思います。探究の峠を超えちゃう感じ。
(´∀`)


「誰かに認められたい」

と、いくら渇望しても、決して誰にも認めてもらえません。あなたは一生に闘うことになります。

だって、そもそも他者などいないのですから、認められようがありません(笑)

そのことに気づくだけです。

ごきげんよう。

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じゃじゃーん♪
横浜ゴム尾道工場に行ってみた。

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ステゴサウルスだ。

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ティラノサウルスも♪

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さすがタイヤ工場。ぜんぶ新品タイヤだわ。ちなみに、見学者はウリエル以外

ひとりもいなかった(´・ω・`)

@広島県尾道市
posted by 笑うウリエル at 22:33| Comment(47) | 『ありのまま』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月19日

「私」(;´Д`)

ゴ━━━━(゚A゚)━━━━ン きげんよう。


さて、前回のつづきです。

「痛い」とか「つらい」とか「悲しい」とか「寂しい」とか……
いろんなネガティブな感情が出現したとき、「被害者」だとカンチガイしてしまった、あなた。
「被害者」と言う以上、誰かが存在しないといけません。ということで「私」ができあがってしまいました。被害者意識を持ったがゆえに、「私」を作ってしまったのです。あなたは、

この世界の中の、ちっぽけな「私」

に、分離してしまったのです。

ちっぽけな「私」から見ると、この世界は常に危険な場所に見えました。油断しているとまた被害者になってしまいます。
そこで、あなたは被害者にならないように対策をとりました。被害者になることは「こわい」です。
だけど、どんなに対策をしてもすぐに被害者になってしまいます。そもそも被害者であると思うことがカンチガイなので、その対策もカンチガイなのです……


例えば、
幼い子供にとって親というのは、もう唯一無二の存在です。
「この人がいれば、『こわい』がなくてすむ」
あなたは、そう感じていたはずです。親はまさにスーパーマンでした。なんでも助けてくれました。だから、あなたにとって被害者にならない対策として、親のそばにようと考えました。
でも、そのとき同時に、またもや大きなカンチガイをしてしまったのです。

親を神様とカンチガイしたのです。

確かに子供から見たら親は何でもできるし、どんなときも助けてくれるスーパーマンでした。あなたはそんな親に神様のようにいつも笑っていてほしいと思いました。だって、こっちを見て笑ってくれていないと、困ったときに助けてもらえません。
しかし親は神様ではなく人間です。いつも笑っているとは限りません。だから、あなたは「親に笑顔でいてもらう」という対策も考えなくてはならなくなりました。しかしこの対策、子供には難度が高すぎました。あなたがどんなに頑張っても機嫌が悪い時は悪い(笑)
「うるさい!」とか「あっち行ってなさい!」とか言われます。 
あなたは、またも被害者になってしまいました(´・ω・`)
新たな対策が必要です。

そこにさらに、兄弟姉妹との競争なども発生したりして、どんどん対策は複雑化して行きます。対策のための対策やら、そのまた対策やら…… どの対策がなんの対策かもわかんなくなって、そのうちネガティブな感情が被害者意識を生み出すのか、被害者意識がネガティブな感情を生み出すのかも、どうなっているのやらわけわかんなくなりました。

それが「私」です(´・ω・`)


もちろん、上の例はほんの一例で、誰もがそうとは言えません。百人いれば百通りのカンチガイと対策があり、ひとりの内にもいくつものカンチガイと対策があります。
でも、被害者にならないはずの対策が、さらなる被害者になることを発生させ、どんどん被害者になり続けるという連鎖と混乱は、みな、どれも同じです。みんな何がどうなっているのか、わけがわからなくなっているのです。
そんなふうに、めちゃくちゃに複雑になって混乱していますが、そもそものことの発端は、

「ネガティブな感情」

ですよね。それを「被害者」になったとカンチガイしたことですよね。
そこを解きほどいてあげないと、いくら対策を打っても効果ナシなのです。
「この世界は恐ろしい」
というカンチガイ、誤解。これが根っこにあって、その上に誤解の誤解の誤解…… と、何重にも誤解が積み重なっているのです。でも、この根本をスコンと外してしまえば、山積みの誤解が一気に崩壊しますよー、ということなのです。
(´∀`)


「私」をよく観察していると面白いですよ。あなたはいつも同じパターンで苦しんでませんか?
いつも同じようなことが起こって人間関係が悪くなったり、いつも同じような人に迷惑をかけられる、いつも同じようにお金がなくなる、いつも同じようなときにジャマが入る……
そんなことないですか? そうでしょ?(´∀`)
なんでそうなるかというと、あなたが「ネガティブな感情」に対して持った最初のカンチガイが原因なんですよ。大人になったから忘れてしまっているかもしれませんが、無意識のうちに子供のころから同じことをしているから、同じ現象が起こるんです。無意識に被害者意識だけが湧き起こって、同じパターンの行動をしているんですよ。これが実は「引き寄せ」なんです。私は詳しくないのですが、心理学でもこれを

「未消化の感情」


と、言うらしいです。
いまだに「未消化」なんですよ。幼少のころから。


ということで、「ネガティブな感情」は消化しましょう。それは本当はネガティブなものではない。感じ切って消化してしまえばわかります。
感じ切るときに、「私」が「私」でなくなるようで怖くなったり、「私」が許せない人や物事に負けてしまうような敗北感も感じることも多いです。
それでも進んで感じ切ってください。「私」がぶっ壊れても、あなたは、「自分」は傷ひとつつかないのです。

「ネガティブな感情」をただ何も考えず、何もジャッジせず感じてください。

本当は、その感情も『愛』なのです。

すぐにはわからないかもしれません。中には何年もかかる人もいます。でも何十年もかかりません(笑)
何十年もやってきた思考パターン、行動パターンですから、すぐには解きほどけないのも仕方ないです。
でも、このパターンから脱却したら、自分がどんなことするのか楽しみではありませんか?

生まれ変わってしまいますね(´∀`)

ごきげんよう。



「岡山のとある寂れた町の、とある古い喫茶店の、
クリームソーダには感動する
という話を耳にしたウリエル。行ってみた。
ホントに味がある古い喫茶店。古カフェ好きならヨダレものだろうな。
おばちゃんとお姉さんふたりだけでやってる。
んで、クリームソーダ、注文した(*´ω`)

感動した!(゚∀゚)

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@「西洋乞食」倉敷市水島地区
posted by 笑うウリエル at 23:05| Comment(50) | 『ありのまま』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする