みなさん、ネガティブな感情、不快なエネルギーを感じてみてくださっているでしょうか?
感じ切るとどうなるかは、誰にもわかりません。自分自身にもわかりません。その「未知」なる世界へ恐れることなく進んで行ってください。その進んで行く感覚を大事にしてください。
さて、感情にはネガティブなものだけでなく、もちろん心地よいポジティブなものもあります。
嬉しい、楽しいとか、感動で胸が熱くなるとか。
そういう心地よい感情は、わざわざ感じ切ろうとしなくても、普段から無意識に感じ切っております。排除しようとしませんから。だから、あえて感じ切ろうと意識しなくてよいわけです。
ただ、スピリチュアルの探究をする中で、とりわけ注意することがありまして。
探究をする中で何か気づきがあり、心地よい感情、エネルギーに包まれることがしばしばあります。人はそれを
「至福」
と、呼んだりします。
目に映るもがすべてキラキラ光って見えたり、強い安心感、幸福感を感じたり、身体にエクスタシーを感じたり、これがいろいろあるんです。
こういった「至福」と呼ばれるエネルギー、これは「気づき」のオマケみたいなもんで、このエネルギー自体が「気づき」とか、『真実』というわけでは
ありません(´・ω・`)
でも人は、不快なものは排除したがるいっぽう、心地のよいものは排除しないどころか、
握りしめるたがるんです。
どういうことかと言うと、
この「至福」、これこそが「悟り」!
と、決めつけたがるんです。そして、何度もそれを感じたい、感じる続けるべきと考えます。つまり、新たな
「こだわり」
を、作ってしまうんです。そして「至福依存症」になります(笑)
「これが悟り」と言えるものなどありません。それが「悟り」です。しかし、「至福」を握りしめることによって、「悟った私」、「気づいた私」という新たな自己イメージ、そして、あの人は悟ってる、あの人は悟ってないという新たな強烈な分離意識を生み出したりします。
こうなってしまうと、スピリチュアルの探究をやり出す前より分離にさいなまれますよ、ホントに。いわゆる「スピリチュアルこじらせちゃった人」です。
感情のエネルギーは現れては消えていきます。それが不快なものであれ、心地のよいものであれ、現れては消えるを繰り返すだけなんです。
それをいちいち選別して、排除しようとしたり、とどめておこうとしたりするから「苦しみ」になるのです。
現れるものは、ぜんぶありがたく感じ切り、消えて行くものは消え行くままにしておくだけなのです。
『いま』の感情のエネルギーをただ感じるだけ。
それが『ありのまま』です。
あなたの『いま』のエネルギーを感じてください。『いま』の。
淋しいだとか退屈だとかイライラだとかドキドキだとか、どんな名前をつけようが、そのエネルギーは『いま』あってよいからあるのです。
なーんのエネルギーも感じないなら、『いま』感じなくてよいからないのです。ただそれだけのことなのです。
「この感情はなんだろう? ほんとにネガティブなんだろうか?」
「この素晴らしいエネルギーは、ホントに素晴らしいのか?」
そんなふうにいろいろ問いながら感じてみてください。
最後にひとつ、
どんな感情もひとつのエネルギーです
心地よいも不快もないんですよ。
感じながら、このことに気づいてもらえると幸いです。
(´∀`)
ごきげんよ

道端で満開に咲いていました。何の花でしょう?

誰か知っている人いたら教えてー @京都府亀岡市

オマケ。「プフーッ」って、してください(´∀`)