ラマナ・マハルシという、じっちゃんは、
「私は誰か?」
と、問い続けなさいと言いました。また、アジャシャンティというおっさんも、
「これは真実だろうか?」
と、問い続けなさいと言いました。
『真実』を探求する上で、自分自身に「問う」ことはとても大切です。というか、それだけしかありません。探究とは問うことです。
そして、問う上で、とっても大事なことがあります。それは、
考えて答えをださないこと
どのような考え、意見、信念も『真実』ではありません。
『真実』は広大無辺です。考えや意見、信念のような、思考の理解におさまるようなシロモノではないのです。
あなたがどんなに正しいとか、当たり前と思っていても、それは『真実』ではないのです。考えて導き出した答え、思考の範疇に収まる答えなど、とうてい『真実』にはほど遠いものなのです。
「どうして腹が立つのだろう?」
「どうして悲しいのだろう?」
「どうして好きなのだろう?」
いろいろ自分自身に問うてください。答えを見つけようとせず、ただ問い続けてください。
「わからない」に漂ってみてください。
問い続けて、「わからない」の中にどんどん入って行ってください。
私たちは正しい答えを早く出すことが、良いことで素晴らしいことだと思い込みすぎているのです。答えを導き出すために、問いがあると信じ込んでいるのです。
でも、そうではないのです。答えがでなくてもよいのです。ただ問うだけで、それはとても尊いのです。答えがなくても、いえ、答えがないからこそ、問うことは素晴らしいのです。
そして、問い続けることによって、私たちはやがて『智慧』、『叡智』に触れることができるのです。
しかし、それらは問い続けたことよって、自分が発見するのではありません。
問い続けることによって、彼方から与えられるのです
まるで雲の隙間から光が現れるように、ひらめくのです。
この世界には正解なんてありません。永遠に問い続けることができますよ。
ただ問い続けてください。
ごきげんよう。

「あわしまさん」はお人形さんを供養する神社です。

壮観というか、ちょっとホラーです(笑)
でも、みんな人に愛されるために作られたお人形たちですので、怪奇的なことはしませんよ。
淡島神社@和歌山県和歌山市