2018年05月24日

「孤独感」(´・ω・`)

ごきげんよう (o´・ω・)_串 ヤキトリドウゾ


さて、またまた幼いころのあなたのお話です。
分離をしばしば体験するようになったあなたは、やがて、最大級の恐怖を感じることになりました。

「孤独感」(´・ω・`)

です。

これを感じ始めたら、この世界はものすごく恐ろしいところになりました。それはただウッカリ、焦点を肉体とその頭で考えていることにあてているだけで、実際、おもちゃやテレビに夢中になっているときなどは感じません。でも、何かの拍子に、意識の焦点を「私」だけにあててしまうと、これほど心細く絶望的な感覚はありませんでした。

あなたは、このとても恐ろしい「孤独感」を取り除くことができる方法を探しました。このとき、あなたは決定的なミスをまたやってしまいます。そこにお父さんやお母さんが見えたのです。
「ああ、よかった!」
あなたは安心しました。なぜか「孤独感」が一瞬で消えたのです。
でも、これが決定的なミスなのです。実は、

「孤独感」が誤魔化されただけなのです。

結果的に、お父さん、お母さんという「他者」が「私」とは別にいると思ってしまったのです。そして「他者」に認められている以上、「孤独感」は感じないと思ってしまったのです。消えたと思った「孤独感」は、上から「他者」を塗りたくっただけで、そっくりそのまま残ってしまいました。あなたの分離が決定的になったのです。

そのときから、あなたに「他者に認められるべき」という闘いが始まります。
「好かれたい」、「褒められたい」、「かっこよくなりたい」、「かわいくなりたい」……
終わりのない闘いがスタートして、それは今まで続いているのです(´-ω-`)


本当は分離していたことに気づいて、元に戻ってりゃよかったんですが、なにぶん幼かったもので、これもしょうがないと言えば、しょうがないです。
「他者に認められるべき」という闘いの原点は、「孤独感」の解消だったのですが、その闘いでは、いくら続けたところで解消はできません。分離したままですので次々と歪みや衝突を生み出すばかり。なんとも不毛な闘いです。まことに不毛です。


もう、こんな不毛な闘いはやめましょう。あなたの意識は肉体の中だけにあるのではありません。このことを思い出さねばなりません。本当は孤独など、この世界には存在しないのです。存在のしようがないのです。
では闘いをやめるには、どうしたらよいでしょう? それには、まず準備が必要です。

「私」のパターンに気づいてください

「認められていない」と感じたとき、あなたはいくつかのパターンで「孤独感」の回避を図ります。
それは人それぞれですので、あなたにしかわかりません。あなた自身もほとんど無意識にやってます。
ある人は「認めない人を批判したい」という気持ちが起こってくるかもしれません。認めてくれる他者を別に探そうとしたり、現在、認めてくれていると感じている他者のことを思い出して安心させるかもしれません。
認めさせようとおかしなことをしようと思うかもしれないし、「孤独でかまわん」と強がって恐怖を消そうとするかもしれません。テレビを見たり本を読んで気を紛らわすかもしれません。
もういろいろですね。でもだいたい、いつもいっしょ。
数パターンですよね(´∀`)ノ

「孤独感」が顔をだそうとしたとき、あなたはどうやってそれを回避しようとしているか、見抜いてください。
そして、その心の動きをよく観察してください。
「ああ、これは孤独感を回避しているだけなんだ」
「こういう方法で、いつも誤魔化していたんだ」
と、ハッキリとわかるまで。
例えば誰かとケンカするとき、だいたい同じパターンでしょ? あなたが相手をやり込めようとするパターン。
わかってもらえないときに、どう行動してるかとか、また「寂しい」と感じそうになったらやることとか、だいたいいつも同じではありませんか?
その心の動き、そのときの湧いてくるエネルギー、感情、身体感覚をしっかり感じ切ってください。

わかると「孤独感」が素っ裸になります。つまり「孤独感」が丸出しになって噴出します。それを、その恐怖をもう誤魔化しナシで感じて、感じ切ってくださいね。
まあ、回避するほうを感じ切った時点で、消えていることが多いと思います。

これはつまり、「認められたい欲求」から自由になるということです。
この欲求が崩れ落ちてしまうと、ウリエルの体験では「私」の半分以上が死ぬと思います。探究の峠を超えちゃう感じ。
(´∀`)


「誰かに認められたい」

と、いくら渇望しても、決して誰にも認めてもらえません。あなたは一生に闘うことになります。

だって、そもそも他者などいないのですから、認められようがありません(笑)

そのことに気づくだけです。

ごきげんよう。

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じゃじゃーん♪
横浜ゴム尾道工場に行ってみた。

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ステゴサウルスだ。

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ティラノサウルスも♪

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さすがタイヤ工場。ぜんぶ新品タイヤだわ。ちなみに、見学者はウリエル以外

ひとりもいなかった(´・ω・`)

@広島県尾道市
posted by 笑うウリエル at 22:33| Comment(3) | 『ありのまま』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月19日

「私」(;´Д`)

ゴ━━━━(゚A゚)━━━━ン きげんよう。


さて、前回のつづきです。

「痛い」とか「つらい」とか「悲しい」とか「寂しい」とか……
いろんなネガティブな感情が出現したとき、「被害者」だとカンチガイしてしまった、あなた。
「被害者」と言う以上、誰かが存在しないといけません。ということで「私」ができあがってしまいました。被害者意識を持ったがゆえに、「私」を作ってしまったのです。あなたは、

この世界の中の、ちっぽけな「私」

に、分離してしまったのです。

ちっぽけな「私」から見ると、この世界は常に危険な場所に見えました。油断しているとまた被害者になってしまいます。
そこで、あなたは被害者にならないように対策をとりました。被害者になることは「こわい」です。
だけど、どんなに対策をしてもすぐに被害者になってしまいます。そもそも被害者であると思うことがカンチガイなので、その対策もカンチガイなのです……


例えば、
幼い子供にとって親というのは、もう唯一無二の存在です。
「この人がいれば、『こわい』がなくてすむ」
あなたは、そう感じていたはずです。親はまさにスーパーマンでした。なんでも助けてくれました。だから、あなたにとって被害者にならない対策として、親のそばにようと考えました。
でも、そのとき同時に、またもや大きなカンチガイをしてしまったのです。

親を神様とカンチガイしたのです。

確かに子供から見たら親は何でもできるし、どんなときも助けてくれるスーパーマンでした。あなたはそんな親に神様のようにいつも笑っていてほしいと思いました。だって、こっちを見て笑ってくれていないと、困ったときに助けてもらえません。
しかし親は神様ではなく人間です。いつも笑っているとは限りません。だから、あなたは「親に笑顔でいてもらう」という対策も考えなくてはならなくなりました。しかしこの対策、子供には難度が高すぎました。あなたがどんなに頑張っても機嫌が悪い時は悪い(笑)
「うるさい!」とか「あっち行ってなさい!」とか言われます。 
あなたは、またも被害者になってしまいました(´・ω・`)
新たな対策が必要です。

そこにさらに、兄弟姉妹との競争なども発生したりして、どんどん対策は複雑化して行きます。対策のための対策やら、そのまた対策やら…… どの対策がなんの対策かもわかんなくなって、そのうちネガティブな感情が被害者意識を生み出すのか、被害者意識がネガティブな感情を生み出すのかも、どうなっているのやらわけわかんなくなりました。

それが「私」です(´・ω・`)


もちろん、上の例はほんの一例で、誰もがそうとは言えません。百人いれば百通りのカンチガイと対策があり、ひとりの内にもいくつものカンチガイと対策があります。
でも、被害者にならないはずの対策が、さらなる被害者になることを発生させ、どんどん被害者になり続けるという連鎖と混乱は、みな、どれも同じです。みんな何がどうなっているのか、わけがわからなくなっているのです。
そんなふうに、めちゃくちゃに複雑になって混乱していますが、そもそものことの発端は、

「ネガティブな感情」

ですよね。それを「被害者」になったとカンチガイしたことですよね。
そこを解きほどいてあげないと、いくら対策を打っても効果ナシなのです。
「この世界は恐ろしい」
というカンチガイ、誤解。これが根っこにあって、その上に誤解の誤解の誤解…… と、何重にも誤解が積み重なっているのです。でも、この根本をスコンと外してしまえば、山積みの誤解が一気に崩壊しますよー、ということなのです。
(´∀`)


「私」をよく観察していると面白いですよ。あなたはいつも同じパターンで苦しんでませんか?
いつも同じようなことが起こって人間関係が悪くなったり、いつも同じような人に迷惑をかけられる、いつも同じようにお金がなくなる、いつも同じようなときにジャマが入る……
そんなことないですか? そうでしょ?(´∀`)
なんでそうなるかというと、あなたが「ネガティブな感情」に対して持った最初のカンチガイが原因なんですよ。大人になったから忘れてしまっているかもしれませんが、無意識のうちに子供のころから同じことをしているから、同じ現象が起こるんです。無意識に被害者意識だけが湧き起こって、同じパターンの行動をしているんですよ。これが実は「引き寄せ」なんです。私は詳しくないのですが、心理学でもこれを

「未消化の感情」


と、言うらしいです。
いまだに「未消化」なんですよ。幼少のころから。


ということで、「ネガティブな感情」は消化しましょう。それは本当はネガティブなものではない。感じ切って消化してしまえばわかります。
感じ切るときに、「私」が「私」でなくなるようで怖くなったり、「私」が許せない人や物事に負けてしまうような敗北感も感じることも多いです。
それでも進んで感じ切ってください。「私」がぶっ壊れても、あなたは、「自分」は傷ひとつつかないのです。

「ネガティブな感情」をただ何も考えず、何もジャッジせず感じてください。

本当は、その感情も『愛』なのです。

すぐにはわからないかもしれません。中には何年もかかる人もいます。でも何十年もかかりません(笑)
何十年もやってきた思考パターン、行動パターンですから、すぐには解きほどけないのも仕方ないです。
でも、このパターンから脱却したら、自分がどんなことするのか楽しみではありませんか?

生まれ変わってしまいますね(´∀`)

ごきげんよう。



「岡山のとある寂れた町の、とある古い喫茶店の、
クリームソーダには感動する
という話を耳にしたウリエル。行ってみた。
ホントに味がある古い喫茶店。古カフェ好きならヨダレものだろうな。
おばちゃんとお姉さんふたりだけでやってる。
んで、クリームソーダ、注文した(*´ω`)

感動した!(゚∀゚)

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@「西洋乞食」倉敷市水島地区
posted by 笑うウリエル at 23:05| Comment(50) | 『ありのまま』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月13日

「私」(´・ω・`)

ごきげんよーーー=≡Σ( ε|) 0

今からずーっと前、あなたの肉体がまだ幼いころ、あなたはこの世界とひとつでした。
すべてが自分。肉体の外側もあなただったんですよ。
あなたは毎日が新鮮で輝いていました。何もかもが素晴らしい。
あなたは思いっきり走りたくなりました。だから、ただ走りました。そのとき……!

こけました (゚Д゚)!

「痛いっ!」
そう思いました。完璧だった肉体の一部がすりむけて、そこから真っ赤なものが流れ出ました。
「こわいっ!」
続けて、そうも思いました。
あんなに輝いて素晴らしかった世界が、一瞬にして、恐ろしい世界になりました。あなたはこの瞬間、この世界の被害者になりました。それと同時に、この瞬間、

分離しました(´・ω・`)

この恐ろしい世界とその被害者に分離しました。ひとつだった世界が、「私」と「世界」に分離してしまったのです。


また、あるとき、あなたはクレヨンというもの手に取りました。
それはいろんな色があって、どれもとてもキレイでした。この素晴らしい世界に、このキレイな色とりどりのクレヨン。あなたと世界はひとつでした。
あなたはそのクレヨンでこの世界をもっと面白くしたい衝動にかられました。クレヨンでこの世界にいろんな色をつけると、もっとステキな自分になると思いました。そして、目の前にある壁に、衝動のままいろんな絵をかきました。その次の瞬間!

「なんてことするの!!!」

という、罵声が飛んできました。振り向くといつも穏やかなお母さんが、とても恐ろしい顔でにらんでいます。

「こわいっ!」
そう思いました。それから、あなたの手からクレヨンがむしりとられるように奪われました。
「ああっ! どうしてっ!?」
キラキラしていた世界が、一瞬にして重くて恐ろしい世界に変わりました。あなたは被害者になりました。この世界、お母さん、そして「私」と、バラバラに、

分離しました(´・ω・`)

あなたは、残念ながら、
「お母さん、ステキでしょ? ぼくはこの世界をもっと豊かにしたくてこんなことしたんだ。素晴らしい絵でしょ? お母さんが怒るの無理ないけど、ぼくはこれを表現できたから満足だよ! どんな罰でも受けるよ! それだってステキな体験のひとつだよ!」
てなことを言う、気色の悪い子供ではありませんでした。まだ未熟すぎたのです。仕方のないことです。あなたはこの恐ろしい世界と、被害者にまたまた分離してしまったのです。


そんな体験を何度となくしているうちに、だんだん分離しているほうの時間が長くなってしまいました。
あなたはいつしか、

「この世界」の中にいる、ちっぽけな「私」

だと思うようになりました。
ちっぽけな「私」から見ると、「この世界」は常に恐ろしいところに見えます。油断していると被害者の体験をする場所になってしまいました。
あなたは被害者にならないように、いろいろ工夫するようになりました。親の言うことを聞いていれば、被害者になることは減りました。そのためにはハートからあふれる情熱や好奇心を抑える必要がありました。
また、あらかじめ被害者になることを予想して、それを回避する方法なども知るようになりました。
例えば、勉強してよい学校に行けば、よい職につき安定した暮らしができる。「貧困」というこの世界の被害者にならずにすみそうだ、とか、
こういうことを他者にしたり、しなかったりしたら、他者から嫌われることがない。「いじめ」とか「仲間外れ」というこの世界の被害者にならななくてすむ、とか。
その他いろいろ、ホントにいろいろいろいろ、被害者にならないように予防線をはるようになったのです。その予防線を張りめぐらしまくった状態が、今の

「私」(´・ω・`)


です。

そうなんです「私」って、ただの「こわいっ!」にグルグル巻きついた予防線の集合体なんです。ちょっとした「こわいっ!」で起こったカンチガイから始まって、二度と「こわいっ!」の被害者にならないようにしようとした防御柵の集合体なんです。「こわいっ!」もステキな体験だと受け入れることができたのならよかったのですが、幼いあなたには到底ムリでした。
そして、予防線や防御柵を張りめぐらしすぎて、本来の「世界が自分」に戻れなくなって行ってしまったのです。


戻れないから防御しきれないときは、新たに防御柵を増築していきます。でもいくら増築しても防御しきれません。そのうち何が何だかわからくなってしまいました。それが、今の

「私」(´・ω・`)

です。


本当は転んですりむいて血が出たときも、世界は微笑んでいたのです。お母さんがオニの形相になったときも、世界とあなたはひとつだったのです。ちょっとしたミステイクだったんですよ。どこにも被害者なんていなかったんです。

「この世界」の被害者と思い込んでるのが「私」です。油断したり好き勝手すると、たちまち「この世界」の被害者になると、あなたは思い込んでいるのです。
いままでは、「エゴ」とか「自我」という言葉も使っていましたが、思う所あって、近頃ではぜんぶ、

「私」(´・ω・`)

という表現にしています。「私」を「自己イメージ」とも言うこともあるかと思います。
そして、「本当の私」とか「自己イメージでない私」は、「自分」という表現にしようと思います。

・あなたは自分のことを「私」と思い込んでるだけ

と、まあ、こんな使い方になります。ややこしいかな?



「私」は常に被害者なんです。「この世界」の被害者で、被害者意識のカタマリです。
でも本当は被害者になっていいし、もっと言うと被害者になんかなりようがないんです。

もう少し具体的に、次回、説明しますね。

今宵はこれまでで。

ごきげんよう。

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ぴーかんの空に、真っ赤な橋が鮮やかだったので♪
愛知川橋梁@滋賀県東近江市

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東近江市からもう一枚
「能登川水車」


posted by 笑うウリエル at 22:48| Comment(62) | 『ありのまま』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする