2018年02月21日

パブロフの犬

ごっきげん…(´σ `) ホジホジ (´∇`) σ−−・ピン

『真実』は、いまここにあります。
『絶対的幸福』も『神様』も『愛』も、いまここにあります。だから、どこにも探しに行く必要がありません。どこかに行こうとするのは、それは間違いです。「いまここ」ですから。
ただ、いまここに抵抗しなければよいのです。
でも悲しいかな、それだけのことが、なかなかできないのです (´・ω・`)


ところで、みなさん、「パブロフの犬」って、ご存知ですよね。条件反射ってヤツです。
梅干しやレモンを見ただけで唾液が出てしまうというヤツですね。実際は食べてないのに、酸っぱいという記憶で勝手に唾液が出てきます。

この条件反射、梅干しの例えぐらいなら、「なるほど、条件反射かー」と、笑って納得できるのですが、生きていると、そうでない条件反射がたくさんありまして……
そして、この笑えない条件反射、実は大半の人が自分で気づいていないわけです。しかも、それが非常にたくさんの苦痛や悲劇を生んでいることに気づいているでしょうか?

例えば、正義の味方が悪を倒すような漫画やドラマや映画を、私たちは小さいころからたくさん見てきました。
「梅干しは酸っぱい」という体験を何度もしたら勝手に唾液がでるように、「正義は悪を倒す」を何度も見たら、どういう条件反射が芽生えてくるでしょう? ちょっと怖くなりませんか?
「平和のために闘う!」とかいう、笑えないスローガンが発生するですみません。どの戦争も大義名分は「正義」ですから。
「北」という単語を見ただけで、反射的に「倒せ!」と反応してしまう人もいるような気がします。つーか、ウチのオヤジですが……


まあ、もっと個人的に見てみましょうか。
人にお願いして何度も断られる体験をしたら、人にお願いができなくなったりします。また喜んでいるのを何度も否定されたら、人前で喜ぶことをためらったりします。「泣くな!」と何度も言われたら、悲しい気持ちを隠すようになります。
こんなのもぜーんぶ条件反射なんですよ。

条件反射は、医学的なことはウリエルにはわかりませんが、でも、だいたい言えることは、

感情があやつってますね

反射ですから、頭でアレコレ考えずに反応しちゃうんですよ。
何かを見たり何かが起こったりして、それに対してある感情が湧きます。その感情が反射的に何かをさせる感じですね。正確には感情の記憶が、同じ感情を引き出してくる感じですね。

この反射的に湧く感情を、あばいてみて欲しいのです


ここで、最初のお話に戻ります。
「いまここ」に抵抗しているもの、これは自分の深みに入っていくにつれ、感情であることがわかります。
感情が「いまここ」にまず抵抗をして「あってはならない」を呼び覚まし、それからエゴがからまった思考になって行きます。いわゆる「条件付け」、「こだわり」になって行きます。
「泣くな!」と何度も言われた体験をした人は、悲しいことがあっても、「泣くな!」と怒鳴られて怖い思いをしたときの言葉にしようのない感情が反射的に湧き上ります。その感情は不快なので、次の瞬間には無意識に悲しみそのものを押し殺してしまうのです。そうすれば不快な感情も静まりますから。それを一瞬のうちに、ひと通りやってから思考はこう言うのです。
「別に悲しくなんかない。だって、これぐらいのことで泣いていたら……」
これとよく似たことが、たくさん起こっているんじゃないかなぁ……

「いまここ」に抵抗している感情、それは条件反射的に湧いてくる感情、反射ですので一瞬しかわきません。
でも、これをちゃんと発見し、しっかり認識して欲しいのです。
感情にいろんな思考や行動があやつられています。これを見抜いて欲しいのです。
見抜いたらどうなるか? それはどうなるかわかりませんので、ここで言うことはできません。
でも、ひとつ言えることは、見抜いてないときより、

「自由」を知れると思います

あなたも私もみーんな「パブロフの犬」 どんな「パブロフの犬」だったのでしょう?

ごきげんよう。

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丸八百貨店@滋賀県高島市
posted by 笑うウリエル at 22:40| Comment(2) | 新装開店後 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月14日

不生で一切の事が調いまする

ごっきげん(ノω`*)んふふ♪

私ウリエルが初めて目覚めの体験をしたのは、今から4、5年ほど前でした。
そのときは、この上なくすべてが満たされていて、望むものなどもう何もいらないという感覚になりました。

しかし、それで終わりではないのです。すぐに忘れて再び夢の世界に、つまり、この現実の世界のアレやコレやに引き戻されてしまうのですね。エゴに引き戻されるのです。
それから、このブログをはじめました。そして、みなさんにいろいろ気づかされながら、またあの4,5年前の、この上なく満たされた場所に戻って行っているんだなと感じています。一気に『真実』の深みまでは行けないのですね。行っても一瞬しか見ることができないのです。

でも、みなさんのおかげで何回かの大きな気づきがあり、それを経て、今は

「不生で一切の事が調いまする」

という感覚を楽しんでいます。シアワセです(´∀`)


「不生で一切の事が調いまする」 これは盤珪(ばんけい)国師という臨済宗のお坊さんのことばです。この人、ウリエルと同郷、姫路の人♪

「不生」とは「生まれもしないし死にもしない“なにか”」だそうですが、わかりにくいですね。ウリエルは、「『ありのまま』を体験しているナニカ」ととらえました。
赤ちゃんは笑ったり、泣いたりするのにいらないことを考えません。泣きたい時には一生懸命泣き、笑いたい時には一生懸命笑い、寝たい時には一生懸命寝る。まさに『ありのまま』です。これを「不生の仏心」と言うそうです。なんとなく感じてもらえますか? 「不生」
(´∀`)ノ

つまり、「不生で一切の事が調いまする」って、赤ちゃんのような「不生の仏心」でいたら、「万事うまく行きますよー♪」って、言ってるわけですね。

『ありのまま』も理解に段階がありまして、最初は欲望や恐怖、いわゆる「こだわり」のない状態が『ありのまま』だと理解するのですが、だんだん理解が深まってくると、私ウリエルは「こだわり」があっても『ありのまま』だと感じるようになりました。ただ、この「こだわり」は自分の思うようには一切ならない、いくらこだわってもコントロールできないということがわかったから、あってもいいになった感じです。


今のウリエルは、「不生」を楽しめてます。
欲しいものがあってもいいのです。その「欲しい」を楽めるから。「欲しい」さえ楽しめたら、それが手に入ろうが、入らないでいようが、どっちでもいいのです。
一生懸命に「欲しい」を体験します。「欲しい」って素晴らしいなと思います。楽しいんです。もし手に入ってしまったら「欲しい」とは、もう思えません。だから、手に入らないほうがいいのかも(笑) そんなことも思ったりします。
モノでも旅行でも、買うまでの間の時間ってすごく楽しいでしょ? アレです。アレを思いっきり楽しんでます。

「なりたい」も楽しいです。それになるためにいろんなことをしたり考えたりします。そのひとつひとつが楽しいです。
もし「なりたい」が叶ってしまったら、もう「なりたい」を楽しめません。だから、この「なりたい」は本当に、今だけの貴重なものかもしれないと思います。だから全力で一生懸命に「なりたい」を感じます。

「腹が立つ」も楽しいです。すごく単純に怒る自分が面白い。なかなか怒るチャンスに恵まれないので、せっかくなので思いっきり一生懸命に怒ります。もしかしたら誰かをブン殴ってしまい刑務所に行くかもしれません。でも、それももしかしたら面白い貴重な体験かなとか思います(笑)

「くやしい」もステキ。行き場のないエネルギーを感じて、そのエネルギーが全身から噴き出していくとき、ものすごく「生きてる感」がして、これが乙なもんでいいんです。それを感じるためには一生懸命に「くやしい」を感じなければなりません。

「不安」も「生きてる感」のカタマリでステキです。どんなに先々が不安でも『いま』生きてます。この『いま』が、かけがえのないもの、もう奇跡のように感じるのでステキです。
そして「不安」を払拭しようと気合を入れて行動します。そのときの「生きてる感」もこれまたイイ!
もう「不安」大好き! です(´∀`)
みなさんも、一生懸命に「不安」を感じましょう。

「恐怖」なんて、みんな大好きなクセに! って、いつも思ってます。だから、みんなジェットコースターに乗ったり、ホラー映画とか「心霊写真特集」とか見るんでしょ?
「恐怖」ってメチャメチャ楽しいじゃん♪ みんな口では言わないけど、そういう行動してますもん(笑)


こうやって『ありのまま』を、ちゃーんと心ゆくまで堪能したら、世界が勝手に

「一切の事が調いまする」

に、なっちゃうの。それがわかったから楽しめます。

でもこれは、思い通りになったり、願いが叶ったりするというわけではないけどね。まさに「調う」んです。
どんな結末になろうと、

「これでいいのだ!」

と、心から言えるようになるんです。それがわかったから。それが『真実』の表現なのだから。


『ありのまま』の自分に無防備でいるだけです。『いま』に無防備で。
何も考える必要がありません。ただ『いま』の感情を感じるだけです。そして、

包み隠さず、この世界に自分を開け放つだけです。

それだけで、「一切の事が調いまする」ってんだから、この世界は摩訶不思議としか言いようがありません。

スゴイですね(`・ω・´)

ごきげんよう。

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和歌山からもひとつ。ここもちょっと異空間。

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「深山第一砲台跡」という旧日本軍の遺構です。
@和歌山県和歌山市

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オマケ。和歌山のシラス丼
お醤油に入っているのは梅干しです。
posted by 笑うウリエル at 21:54| Comment(24) | 新装開店後 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月09日

問おうよ(´∀`)

ごっきげんよ━ ⊂(^ω^)⊃ ━ん

ラマナ・マハルシという、じっちゃんは、
「私は誰か?」
と、問い続けなさいと言いました。また、アジャシャンティというおっさんも、
「これは真実だろうか?」
と、問い続けなさいと言いました。

『真実』を探求する上で、自分自身に「問う」ことはとても大切です。というか、それだけしかありません。探究とは問うことです。
そして、問う上で、とっても大事なことがあります。それは、

考えて答えをださないこと


どのような考え、意見、信念も『真実』ではありません。
『真実』は広大無辺です。考えや意見、信念のような、思考の理解におさまるようなシロモノではないのです。
あなたがどんなに正しいとか、当たり前と思っていても、それは『真実』ではないのです。考えて導き出した答え、思考の範疇に収まる答えなど、とうてい『真実』にはほど遠いものなのです。


「どうして腹が立つのだろう?」
「どうして悲しいのだろう?」
「どうして好きなのだろう?」

いろいろ自分自身に問うてください。答えを見つけようとせず、ただ問い続けてください。

「わからない」に漂ってみてください。

問い続けて、「わからない」の中にどんどん入って行ってください。


私たちは正しい答えを早く出すことが、良いことで素晴らしいことだと思い込みすぎているのです。答えを導き出すために、問いがあると信じ込んでいるのです。
でも、そうではないのです。答えがでなくてもよいのです。ただ問うだけで、それはとても尊いのです。答えがなくても、いえ、答えがないからこそ、問うことは素晴らしいのです。


そして、問い続けることによって、私たちはやがて『智慧』、『叡智』に触れることができるのです。
しかし、それらは問い続けたことよって、自分が発見するのではありません。

問い続けることによって、彼方から与えられるのです

まるで雲の隙間から光が現れるように、ひらめくのです。


この世界には正解なんてありません。永遠に問い続けることができますよ。

ただ問い続けてください。

ごきげんよう。


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「あわしまさん」はお人形さんを供養する神社です。

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壮観というか、ちょっとホラーです(笑)
でも、みんな人に愛されるために作られたお人形たちですので、怪奇的なことはしませんよ。
淡島神社@和歌山県和歌山市
posted by 笑うウリエル at 23:10| Comment(16) | 新装開店後 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする