2018年10月17日

「欲しい」(´ー`)

ごきげんよう ε-(;-ω-`A) フゥ…

秋祭りも終わり、気が抜けたような感じにウリエルも町もなってしまいました。
ここ播磨地方では「祭りが終わると一気に年末になる」と、みな言います。一年って早いですね。

さて、
「結果より過程が大事」
とか、よく言います。でも現実は、本当に「結果より過程が大事」と思っている人はいません(笑)
それもしょうがないのです。「私」は結果をほしがります。あくまでも結果です。どんなに過程が楽しくても、結果が悪けりゃ、これっぽっちも満足しません。なんがなんでも結果です。結果、結果、結果!

「私」というキャラは、そうプログラムされているのです。そうでないと、物語がちっともオモシロくありません。
オリンピックでも、アスリートたちがメダルという結果を追求するから、様々なドラマが生まれて、見ている者もハラハラしたり喜んだりできるのです。
「メダルなんかどうでもイイっす!(´∀`)」
って、選手たちがみんな試合前に言ってしまうと、誰もオリンピック見ません。結果をとことん求めるから、それまでの過程が、より中身の濃いものになるのです。

そこでです。
なーんで「私」はこんなに結果を求めるのか、そんなに「結果が欲しい」がプログラムされているのか、もうおわかりですよね。

そのほうがオモシロイ!(゚∀゚)

からです。
本当の「自分」は、そういう「私」を生み出して楽しんでいるのです。結果ではありません。過程を楽しんでいるのです。過程の中で生まれる様々な体験がしたいので、「私」に結果を欲しがらせます。

お金が欲しい、恋人が欲しい、悟りが欲しい、シアワセが欲しい……!
「私」にあらゆるものを追いかけさせて、その中で生まれる悲喜こもごもが「楽しい」のです。それが見たいがために、わざわざ「私」を創った。
あなたが『いま』している体験がかけがえのないものなのです。「シアワセが欲しい」の「欲しい」のほうの体験
が、

かけがえのない

ものなのですよ。
実際のところ、「シアワセ」のほうはどーでもええねん(´∀`)
たぶん、思い通りのシアワセが実現たら、こんどは「刺激が欲しい」とか言い出したりしまっせ。


「悟りが欲しい」も「お金が欲しい」も、本質は同じです。それは違うと言っているうちは永遠に悟りは来ませんよ(笑)
その「欲しい」をもっとシンプルに味わってください。「欲しい」という感情を。どんなに誤魔化したって、あなたは『いま』、何かが「欲しい」のです。平穏な日常かもしれなしし、強い心かもしれない。そんな何か「欲しい」があるでしょ?
そんな「欲しい」をただ認め、もっと感じてください。とことん感じてください。それを体験したいため「私」がいるんですから。

すると、何かが調和をし始めます。もっとも体験したいのは、ソレなのです。まさに、
「結果より過程が大事」
と言えることが起きるでしょう。あなたが「欲しい」を十分に味わったとき、「私」の役目がまたひとつ終わることでしょう。
『いま』をありのままにと、口を酸っぱく言っているとは、こういうことです。
「悟りが欲しい」も「お金が欲しい」も同じ。本当の「自分」は純粋に「欲しい」を体験したいのです。

「ああ、この欲しいという感情は、こんなんなんだー!」

って、感じてみてください。「欲しい」ってオモシロイですよ。それを体験できる歓びを味わってください。


あ、ちょっとちがいますが、宝くじ、ありますよね。アレって、当たったら何買おう、何しようと、いろいろ思いを巡らすのが楽しいんですよね。その期間がかけがえのないオモシロイ体験なわけです。実際に当たったら、わけわかんなくなるだけなので、当たらん方がいいです(笑)
だから一枚だけ買って、その思いを巡らす体験を思いっきり楽しんだだけで、もう十分にモトがとれてますよ。そういうもんだと思います。
「結果より過程が大事」
です。
それと、とてもよく似ています。

本当は結果が「欲しい」んじゃなくて、「欲しい」が「欲しい」んですよ。
だから「欲しい」を思いっきり味わって体験しましょうよ。「欲しい」が楽しいのですから。

ごきげんよう。


小ネタ・甘いもの(゚∀゚)
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ぱんだんご

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@京都市「パンダの散歩」

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チキンラーメンソフト
@新大阪駅ナカ「チキラーハウス」

posted by 笑うウリエル at 17:13| Comment(21) | 『ありのまま』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月11日

「ちゃんと」(=゚ω゚)ノ

(ω・ )ゝ ごきげんよ?

さて、「面倒くさい」を感じ続けているウリエルですが、
ウリエルが「感情を感じる」を、どうやってしているかを書いてみますので、何かのヒントにしてください。
(・ω・`)


まずは、「面倒くさい」って何だろう? ということを、思考を使って調べます。インターネットという便利なものもありますので、
「面倒くさい 心理」
なんてワードで検索したりもします。すると、「面倒くさい」への対処法みたいなものがズラーっとでてくるわけですが、もちろん、そこには答えはありません。ただ何かのヒントになるかもしれないので読むだけです。わりと興味深いことが書いてあって、おもしろいです。

そんなことをしているうちに、「面倒くさい」といっても、いろいろ種類があることに気づきました。
ただ単に肉体が疲れているとき、「面倒くさい」は出現しますね。それから、何かをしているときに、他のことをしなければならなくなると、「面倒くさい」が出現しますね。
「ほうほう、面倒くさいもいろいろあるもんだ」
そんなことに気づきます。
たぶん、いろんな「面倒くさい」のうち、どれかひとつの「面倒くさい」が「私」を構築している要素になっているなと、うっすらわかってきました。

じゃ、どれだろう......?(´・ω・`)

いろんな「面倒くさい」のシチュエーションを感じていきます。すると、みぞおちの下の奥の方にズシッと重りのようなものを感じる「面倒くさい」があることに気づきました。
それは、

「ちゃんとやらないといけないとき」


ははーん、どうやらこれだ......(`・ω・´)
この「ちゃんとやらないといけないとき」に出てくる「面倒くさい」が、このウリエルという人間を硬直させて、自由な肉体の動き、自由な思考を制限しているな。そんなことがわかってきました。ここまでで数日かかってます。

さあ、そこで、さらに「ちゃんとやらないといけないとき」の何が問題になっているのかを調べましょう。調べると言っても、ここからはただ感じるだけです。みぞおちの奥のアンカーボルトのような重みを、ただ感じます。
感じながらいろんな「ちゃんとやらないといけないこと」を思い出したりしてみました。すると、

「ちゃんと」って、なんやねん?

という、ことに思い当たりました。


「ちゃんと」

子供のときから、聞かされ続けてきたこのフレーズ。「ちゃんとしなさい」、「ちゃんと働け」、「ちゃんとした大人になりなさい」……
そもそも「ちゃんと」って、ナニ?(´・ω・`)

「ちゃんと人の話を聞け」と言われたとき、しゃべっている人の言葉を一字一句漏らさず聞いても、鼻クソほじりながら聞いていたら「ちゃんと」じゃない。でも、上の空で聞いていても、神妙な顔つきで聞いていたら「ちゃんと」聞いていると見なされたりする。
「ちゃんと朝ご飯を食べましょう」、カップラーメンでも「ちゃんと」の人もいれば、それは「ちゃんと」じゃないと言う人もいる。
「ちゃんと」って、なんとも曖昧。なるほど、「ちゃんと」って単なるイメージか。漠然としたイメージなんだ。


つまりこういうことね。

このウリエルの「私」は、何か漠然と「ちゃんと」とイメージしているだけで、

そのイメージをもとに「ちゃんと生きなきゃならない」と、漠然と思っていて、

それが「面倒くさい」につながっている。

こういうわけね。

ここまでわかりましたら、あとは本当に感じるだけです。「ちゃんと」から湧いてくる、なーんとなくネガティブな感情を感じるだけ。みぞおちの下あたりの違和感を。
「なんだろうね、これ?」
と。
大事なことは、この違和感、「みぞおちの下あたりにアンカーボルトが打ち込まれた感」を、思考で取り除くことはできないと認めることです。

コントロールはできない

のですから。
「私」は何かを握りしめているのですが、それは「私」の力で手放すことはできません。なぜなら、それは「私」の消滅、いわば「死」に相当しますので。「私」を超えた、もっと大きな存在、この世界におまかせする以外に方法はありません。もちろん「自分」にもできません。「自分」はただ見ているだけです。

でも、この違和感を抽出して感じることはできます。それ以上のことはできません。感じると言うことは、岩盤に穴をあけて行くような作業です。少しずつドリルで掘っていくような感じ。
こうしていると、やがて、

「あ!」Σ(゚Д゚)

と、何かに気づくんですよ。小さな一穴が開通する。するとその穴がアリの一穴となって、ビシビシッと岩盤にヒビが入り、ドカーンとダムが決壊するように岩盤が吹っ飛ぶんです。
こんなことを何度もやって行くのが、スピリチュアルです。


「私」にも、そして「自分」にも、この世界をコントロールすることはできません。どんな方法もないんです。
「エゴを取り除くにはどうすればいいか?」
ということを、多くのスピリチュアルで語られますが、どんな方法もないんです。

これをゆるし、ただ受け入れる。

感情を感じ始めると、不思議と「私」にとっては不快な出来事や、耐えがたい出来事が起こることも多々あります。でも、

何が起ころうと、ただ受け入れる。

それだけです。

ごきげんよう。


羽黒山の参詣道は大きな杉の並木道
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ホントに大きいなぁ。

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五重塔
@山形県鶴岡市
posted by 笑うウリエル at 08:16| Comment(61) | 『ありのまま』 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月07日

まだ休憩(*´ω`)

ε=ε=┏( >_<)┛ ズベッ(ノ_ _)ノ ごきげんよ


コメント欄のコメントが多くなると、ガラケーの方が読みにくくなりますので、記事だけ更新しておきます。
( ´ー`)ノ

「面倒くさい」を発端とした、ウリエルのハートのつまりは、なんだかガツンとヒビが入りました。何もしてません。ただ感じていただけです。
まだ、つまりを感じることは感じるのですが、何やら少し変容があったようです。
というのも、今まではずっと、

「私」はいないけどいる

という感覚に近かったのですが、

「私」はいないからいる

という感覚になりまして。

これ、なんかシンプルでスッキリするなぁ。どうしていままで気づかなかったんだろう?
「いる」も、「居る」から「要る」になってきた感じ。
( ・∀・)

なんのことか、ウリエル以外にゃわかりませんよね(笑)
ですが、ま、そんなところです。
(´∀`)


ということで、みなさん、好き勝手な話題でコメント欄を使ってください。
ウリエルもテキトーにコメントして行きまーす。


ごきげんよう。

鳥取に仁風閣という、すてきな洋館がありまして。
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んで、でも仁風閣はどうでもよいのです。

その近くに「大榎庵」というお店があります。
そこで注文したのがコレ↓
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衝撃のピンク華麗(カレー)!!!
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ビーツで作られていて、着色はしてません。ヘルシー。
お味はフツーのカレーでした。
でも、何食べてるかわからなくなる。混乱!

目をつむると、
「あ、カレーだ」(´・ω・`)
と認識できましたとさ。
@鳥取県鳥取市

posted by 笑うウリエル at 21:35| Comment(57) | 閑話休題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする