2019年10月16日

「恐怖」 (;゚Д゚)

ごきげん (=゚ω゚)ノぃょぅ

秋祭りも終わり、播磨地方は冬を待つだけになりました。一年って早いですね。
さあ、今日は何を書きましょう(´・ω・`)?


「ブッダのほう」

「イエスのほう」

だいたい、わかっていただいたでしょうか?
「気づき」や「悟り」は多くの方向からのアプローチがありますので、なんとなく双方をテキトーにやってみてくださいね。大事なことは、どの方法も

「期待しないこと」

こちらから何かを起こそう、何かを理解しようとしてもダメです。気づきは常に彼方からやってきます。肉体の次元で時間とともに生きている私たちは、何も期待せず、ただやってくるのを待つことしかできません。
(´ー`)


さぁて! 「イエスのほう」について、もう少し細かく見て行きましょうか。

前回では、「感謝」をハートに、内向きにすることを書きましたので、今回は感謝できない感情について書きましょう。ズバリ、

「恐怖」(;゚Д゚)

です。


「恐怖」って、とっても大事な感情です。刃物を使うときとか、指を切ったら血が出て痛いという「恐怖」がないと、指をザックリ切り落としてしまうかもしれません。また、足場の良くない所を歩くとき、転んだら痛い、落ちたら痛いという「恐怖」があるから、慎重に歩こうとするのです。「恐怖」は私たちの身体を守る上で、とっても大事な感情なのです。

でも、私たちはこの身体を守るために備えられた「恐怖」を、ちょっと濫用しすぎているきらいがあります。
(´・ω・`)
例えば病気になったときなんか、この濫用っぷりがすごくなりません?
「すぐ治るだろうか? 治らないんじゃないか?」
という心配まではフツーの恐怖です。肉体的苦痛や身体の不自由が続くことは「恐怖」です。当たり前です。でも、そこで止まりませんよね?
「仕事辞めなけりゃならないんじゃないか? すると生活が困窮するんじゃないか? やりたいこともできなくなるんじゃないか? 差別を受けるんじゃないか?……」
こんなふうに、「恐怖」がつぎつぎに湧いて来るような経験、誰にでもあるんじゃないでしょうか?

本当は「恐怖」は一時的に身体を守る以外は、ほとんど使わなくていいんです。でも、身体を守る以外にあまりにも使いすぎているのが私たちです。そして、そんな「恐怖」の大半は杞憂なんですよ。たぶん90パーセントくらい。ホントにもう、ほとんどが、

とりこし苦労です(´∀`)

そして、このとりこし苦労が、いわゆるエゴとか、マインドとか、思考パターンと呼ばれるもになって、「私」を何重にもグルグル巻きにしています。笑ウリ部では「こだわり」と呼んでいます。これはもう、

「私」は、とりこし苦労で出来ている

と、言ってもいいくらい(笑)
「私」って、とりこし苦労なんだ! 笑ってしまいますよね。でも、それが人間なんです。それにみんな気づいていないんですよ。


というわけで、この「とりこし苦労」をするのをやめる、つまり、どうでもいい「恐怖」をなくしていくことが、「私」の解放、ひいては「本当の自分」に気づくことになります。そのためには、まず「恐怖」を発見して、それをちゃんと感じることから始めます。

「恐怖」あるのを見つけたとき、そのときの胸のざわめきや、イヤな感覚、身体に出てくる痛み、そういったものを感じてください。正直に「恐怖がある」と認めて。おそらくハート周辺にそういった反応がでると思います。
じっくりと感じます。感じていると、そのうちにだんだんその「恐怖」は消える方向に行きますので。
あ、一日や二日では消えません。それなりに時間はかかります。でも、何年もかかるものでもないです。

「恐怖」って、ちゃんと向かい合うと、どんどん小さくなっていくんですよ。でも「小さくしよう」と思わずに。何も期待せず、ただ向かい合って感じてください。

「本当の自分」は無限のエネルギーと言いますか、それこそ『愛』としか言いようのない、もうわけのわかんないすごいヤツなんです。そのわけわかんないすごいヤツに現れてもらうために、「恐怖」を、そのエネルギーをしっかり感じて、少しずつですが小さくして行くのです。

「恐怖」を感じるのではなく、ただ見つめるのもよいです。すると「ブッダのほう」になります。それも「恐怖」は消えていきます。


では、あなたは何に「恐怖」を感じているのでしょう?(゚∀゚)

それは「とりこし苦労」ではないですか? 

なんで、そんな「とりこし苦労」をするのでしょう? それは、さらに「恐怖」があるからです。あなたが本当に「恐怖」を感じていることは何ですか? いちばん何を恐れていますか?
どんどん自身の深いところに入り、そこにあるエネルギーを正直に感じてください。深いところにある「恐怖」がなくなったとき、気が付くと世界は激変しています。


わからなくてもいいですが、この世界は『ハート』から創造されているんですよ。でもね、現在、あなたが生きている「この世界」は、『ハート』に中にこびりついてしまった「恐怖」というヘンなゴミで、屈折して歪んで映っているんですよ。言わば「とりこし苦労」で出来ちゃった世界です。それで実際に病気になったりしている人だっていると思います。


本当はこの世界は素晴らしい。なーんも怖いことはない。

その素晴らしさに、ただ立ち尽くすだけなのです。

ごきげんよう。

サルビア
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ブルーサルビア
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あわじ花さじき@兵庫県淡路市


posted by 笑うウリエル at 20:30| Comment(37) | このへんから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月12日

「イエスのほう」(・∀・)

ごきげんよ (ノ・人・`)??ハテ

台風で本日の営業は中止です。というわけで記事でも書こう。


「3ヤツ」に注目して、自分自身が「空」であり「無」であると気づいて行くアプローチの仕方を、

「ブッダのほう」

と、当笑ウリ部では呼んでいるのですが、それに対して、
自分自身が「愛」そのものである。ということに気づくアプローチの仕方を、

「イエスのほう」

と、呼んでいます。

「空」と「愛」は同じものです。ひとつのもののそれぞれ違う側面です。どちらか片方だけ、わかればよいというものではありません。でも、そのアプローチの過程は人によって様々ですので、やりやすい、わかりやすいほうがあります。今から説明する「イエスのほう」がわかりやすい人もおられるでしょう。
でも、最終的には両方わからないといけません。「空」だけではスカスカだし、「愛」だけではフラフラして不安定で落ち着きません。

さて、

「イエスのほう」

は、『ハート』に働きかけるアプローチです。『ハート』とは何か? と言うと、なかなか説明が難しいです。簡単に言っちまうと感情体です。第四チャクラと言うこともあります。センターなんて言うこともあるかな。
ウリエルは、過去のおさらいになりますが、

感動してジーンとするところ

と、言っております。ま、それだけでなく、

「一服してホーッとするところ」
「辛いときギューッと締め付けられるところ」
「恋してキュンキュンするところ」
「ビックリしてドキッとするところ」
「楽しいときワクワクドキドキするところ」

そんなところです。だいたい胸のあたりですね。胸の奥のほうです。人によっては背中側に感じる人もいると思います。身体の中心じゃなく、少し横やナナメ方向にずれていてもかまいません。身体の内でなく胸の前、身体の外側に感じる人なんかもいると思います。まず、自分がどこでジーンと感じているか、それを確認してください。その場所が、あなたの『ハート』です。
頭で考えて決めるものではありません。感情のエネルギーのようなものが振動している場所です。身体の感覚に従ってください。日によって移動したりします。「ここが『ハート』」と、思い込まないようにしてくださいね。


その『ハート』の中に湧きおこるエネルギーを、まず、ただ感じます。おもしろいもので、この振動を増幅させようと思うと、けっこうできるんですよね。感情のエネルギーを増幅させて感じてください。もちろん、できないときもあります。そんときは、それでいい。

そして、そのエネルギーの振動に語りかけてください。いちばん、素直に語りかけることができるのが、

「ありがとう」

だと思います。
(´∀`)ノ

うれしいとき、たのしいとき、感動したとき、そのエネルギーの振動に向かって感謝するのです。美味しいときや、気持ちいいときなんかも。
私たちは常に外側、つまり、他者などの「目に見えているモノ」に向かって感謝しなければいけないと思っていますよね。「感謝の意を表す」なんて言います。「感謝しなさい」って、子供の頃から言われ続けてきましたので、それが感謝だと思い込んでいるわけですが、そうではありません。

感謝は内向きにするものです

『ハート』に向けて。


また反対に、つらいとき、悲しいとき、痛いとき、苦しいとき。こういうときも人生には当然あります。
こういうときって、エネルギーは振動ではなく収縮しているように感じます。それも実は振動なんですが、それも感じてみないとわからないので、ちゃんと感じてみましょう。誤魔化さずに。
そんなときは、『ハート』に向かって、

「つらいです」

と、言ってください。
「なんとかしてください」とか余計なことはことは言わないでください。その辛さ、痛みも存在していいから、あるのです。取り除こうという意思は捨てて、ただ感じてください。「これが、つらいか」と。
その他にも、怒り、恐怖、不安、嫉妬、退屈、面倒くさい、などなど、感情には様々なものがありますが、とりあえず、まず素直にその感情を認めてください。そういった感情があると。そして、その感情を感じてください。
これらのネガティブな感情については、また説明していきますね。


この「イエスのほう」は、人生、そして、この世界、この世界に起こること、もうありとあらゆることが、この『ハート』から起こっているということに気づくもの、いわばメソッドです。そして本当に表現したいこと、すべきことに気づくメソッドでもあります。
そのために、日ごろ外側に向かっている意識を、まず『ハート』に向けるわけです。

日常の私たちって、あまりにも意識が外側に向かいすぎているんですよね。人に親切にしてもらったとき、感謝をその人にはしますが、『ハート』にはしません。人を愛したとき、『ハート』にその人が現れたことに感謝しませんし、そのエネルギーの振動をちゃんとは感じません。
また、つらさや痛みに関しては、『ハート』の中にあるそれらに目を向けることもしません。

あらゆることに対して、まず『ハート』を意識しましょう。その中に神様がいるというイメージで。神様は天にいるのではありません。あなたの『ハート』の中にいるのです。そこから、すべてが起こっているのです。そんなイメージで様々な感情を感じて『ハート』に、神様に語りかけてみてくださいね。
それもまた「瞑想」です。

もちろん、すぐに何かが起こったり、変わったりするものではありませんよ。
また、こうすればこうなるというような筋道が立つようなことも、一切ありません。何かが変わり、何かがわかる、何かから解放されて行くのです。どうなるかは予想不可能。ホントに神様まかせです。
「ブッダのほう」と併用しながらやってみてください。


実は、私たちは本当はこの「愛」を、ものすごく恐れているんですよ。本当は誰も「愛」に気づきたくないのです。自由になんかなりたくないのです。
だから、「イエスのほう」はちょっと勇気がいります。そんな恐怖を超えていくのに少し時間はかかりますので、根気よくね。
(´∀`)

でも、「愛」はちっとも怖いものではないんです。当たり前です。

だって「愛」なんだから(゚∀゚)!

ごきげんよう。


なんじゃこりゃ?
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「100年とらふぐ」というそう。一目見ると寿命が3分のびるらしい。

日が暮れた。
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@兵庫県南あわじ市・福良港
posted by 笑うウリエル at 11:47| Comment(72) | このへんから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2019年10月08日

「ブッダのほう」(・∀・)

ゴキゲンヨ―゚。+(=゚ω゚)ノ+。゚―ッ


植物の一年って、まるで人間の一生のようです。
まず小さな芽が出て、少しずつ成長していきます。そのうち、どんどん葉を茂らせて、美しい花を咲かせます。もう生命のエネルギーを力いっぱい輝かせて。そして、その力で成熟し実をたくさん実らせます。でも、やがて命のエネルギーは燃え尽き、種という形で次の世代に引き継ぎをすると、枯れてその一生を終えます。

と、言いたいところですが、

「おわってねーよ!」(゚Д゚)

ハイ。そうなんです。木、リンゴの木とかブドウの木の「木」たちは、ぜんぜん終わりではありません。次の年も同じように葉を茂らせ、花を咲かせ、実を実らせ、種を残します。毎年毎年、同じことをします。何十年も死にません。
実は、私たちも、この「木」のようなものなのです。まったく同じなのです。

私たちは「木」なのですが、葉や花や実や種を「自分」と思い込んでいる「木」なのです。葉や花や実や種は自分自身が作り上げた自分の一部なのですが、自分自身ではありません。でも、それらがあまりにも、生き生きと鮮やかに活動するので、ついつい、葉、花、実、種という集まり、一連の流れを、自分の一生だとカンチガイしてしまっている「木」なのです。


ではでは、具体的にどうカンチガイしているのか? というと、

身体や思考を「自分」だと思い込んでいるのです。

じゃあ、「木」本体は何か、ホントのホントの自分自身は何かと言うと、

「見ているヤツ」

「感じているヤツ」

「聞いているヤツ」

です。

この「3ヤツ」は、実は「ひとつ」です。その正体は、

『誰だかわからない』さん

なのです。(・∀・)ニヤニヤ



んでー……  

この「3ヤツ」のどれかになって、自分自身やこの世界を、見て聞いて感じることが、

いわゆる、「瞑想」です。

『誰だかわからない』さんと同じ視点に立ってみるということですね。
(・∀・)ニヤニヤ


というわけで、日常の生活をする中で、この「3ヤツ」のどれかになる時間を作ってください。いちばんわかりやすいと思うものからでいいです。また、知らぬ間に勝手に「3ヤツ」になってしまっているときもあります。そんな時を見逃さずに感じてください。これが、当笑ウリ部が言うところの、

「ブッダのほう」

です。(´∀`)ノ
難しい言葉で言うと「観照」になります。


私ウリエルは、ほんの短い時間、数分、いやもう数秒でもいいから、一日に何回かは「3ヤツ」のどれかになってくださいと唱えます。
テレビやスマホを見る時間を少し削ればいいだけです。もちろん長ーくできるのなら、どんどんしてくださいね。人と会話をしているときなどは、うまくできません。ひとりの時間にしてください。慣れたらどんなときにもできますけどね。

たいていの場合は、それをしたところで何も起きません。
「こんなことして、いったい何になるんだろう?」
と、疑問も湧きます。でも、それでいいのです。「気づき」は頭では考える理屈ではとても計れないものなので、何もわからなくていいのです。何のためにやっているのか意味不明でいいのです。懲りずに何回もしてくださいね。

逆に言うと、この「3ヤツ」になってないと、どんなに瞑想しても無意味です。禅の道場に行こうが、なんとかワークに行こうが、ただ座って「瞑想らしきこと」をしているだけですので(笑)
仕事の合間に、出かける途中に、家事の最中に、ほんの数秒でも「3ヤツ」になるほうが、ずーっと効果があると思います。


「3ヤツ」になるということは、『誰だかわからない』さんと同じ視点に立っているということです。そのうち、何かの拍子に「私」と『誰だかわからない』さんが「ひとつ」になるんですよ。それは「恩寵」として起こるのです。「私」の意思で起こすことはできません。ただ起こるのを待つだけです。ですので「3ヤツ」になって、その機会を増やしましょう。
一気に何もかもがドカンとわかる人もいれば、とても小さな「気づき」を積み重ねるようにして、徐々に理解が深まる人もいます。おそらくは後者のほうが多いかと思います。小さな「気づき」とは、今までまったく思いもしなかった見方や解釈です。それを「理屈が通らない」とか「非常識」だとか思わないで、大切に心のスミにでも保管してください。やがて、大きな「気づき」への貴重なパーツになりますので。コツをつかむと、小さな「気づき」も楽しいものです。


でもでも…… 残念ながら、「3ヤツ」がひとつもわからん! 
という方もおられますよね?

そんな方には、

「イエスのほう」

が、ございます。(´∀`)ノ

それについては、また次回以降。

ごきげんよう。


奥入瀬渓流
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@青森県十和田市
posted by 笑うウリエル at 23:23| Comment(32) | このへんから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする