2020年10月25日

「たいくつ」(・∀・)

ごきげんよう (´-`).。oO(・・・・・・・)


このブログを読まれているみなさんは、分離した個人としての「私」、この広い世界の中の一人の人間としての「私」の状態から、自分の本質へと戻る過程の中におられます。「本当の自分」に戻って行く途中です。
(´ー`*)

だけど、「本当の自分」に気づいても、あるいは戻っても、完全に主導権を「本当の自分」に明け渡すには時間がかかります。人はその間を何度も行ったり来たりを繰り返します。私ウリエルもそうでした。

そういった過程の中で、誰もが必ず出会い、そして、通り抜けて行かなければならないものがあります。それは、

「たいくつ」(・∀・)

です。「退屈」(・∀・)


「私」は「たいくつ」がものすごく嫌いで、「たいくつ」になると落ち着きません。すぐに「たいくつ」から気を紛らわそうとします。「たいくつ」がずっと続くなんて、恐怖以外のなにものでもありません。だから、「たいくつ」を極力避けようとします。「たいくつ」から逃げます。世の中を見渡してみてください。みんな、自分自身も含めて、もう全員が「たいくつ」から必死に逃げていませんか?

けれど、「たいくつ」から逃げ切れることはありません。何をしても結局、いつか飽きてしまいます。
……(´・ω・`)

飽きて「たいくつ」になり、また新しいことを初めて、また飽きます。
......(´-ω-`)

あらゆることがそうです。期間の長い短いはあるけれども、どんなこともやがては

「たーいーくーつー」(・∀・)

になるのです。そう、人生って、そもそも、

「たーいーくーつー」(・∀・)

なのです。ハイ。


そもそも人生は「たいくつ」なのです。逃げられないものならば、受け入れるしかありません。昔々、そこに気づいた男がいました。ブッダです。
彼はなんでも手に入れることができる王子様でした。しかし、どんなものを手に入れても「たいくつ」からは逃げられないことに気づいたのです。そこで、ブッダは、

「徹底的に『たいくつ』になったら、どないなるねん?」

こう考えたのかどうかは知りませんが、とにかく、菩提樹の下にただ座りました。何日も何年も座りました。

おお…… これはもう、ちょっとやそっとの「たいくつ」ではありません。おっそろしいくらいの「たいくつ」です。そして、ついに彼は「たいくつ」を貫き通して、その向こう側に行ったのです。爆発が起こったのです。

!!━━━━(゚∀゚)━━━━!!


みなさんに、ブッダのように菩提樹の下に何年も座れと言っているのではありません。いや、余裕があるならしてもよいですが、やはり、ちょっとオススメはしませんね。

みなさんに、是非取り組んでもらいたいなと思うことは、何もすることがなく「たいくつ」なとき、

「たいくつ」から逃げない

を、意識してみてください。そのまま、ただ「たいくつ」でいてください。ということです。
(・∀・)

「たいくつ」なときって、実は「本当の自分」にとても接近しているのです。向かうべき方向がないというのが、本来の自分の姿なのですから。「何者にもなる必要がない」というのは、そういうことです。
でも「私」はとても落ち着きませんよね。なんかソワソワしてしまいます。そんなふうにソワソワするなら、ただソワソワするがままにしておいたらいいんですよ。

「たいくつ」(・∀・)

のままにしておくと、ソワソワするままにしておくと、どうなるのか?
それを確認してみてください。

この「たいくつ」を通り抜けてしまわないと、「全体」を体感することができません。「たいくつ」の向こうには、「本当の自分」のイキイキとした躍動があります。「私」には、すなわち思考には、ゼッタイに理解できない境地です。ただの「たいくつ」としか思えませんから。思考は「たいくつ」を避けることしか思いつけないのです。

日々の暮らしの中で、探究するのもよいですが、この「たいくつ」に向かい合うことも、忘れずにやってみてください。全身全霊で「たいくつ」の中にいてみてください。「たいくつ」の中を、『いま』を、いろいろ観察してみてください。少しずつで構いません。少しずつなんかわかったような気になってきますので。
やがては大きな爆発につながると思います。「全体」を知ることになると思います。


「たいくつ」を通り抜けると、もう「たいくつ」ではありません。そこには、

「歓び」(・∀・)

しかないのです。

ごきげんよう。


北海道いろいろ(・∀・)
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国鉄士幌線・幌加駅跡@上士幌町

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襟裳岬@えりも町

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@中札内村
posted by 笑うウリエル at 22:33| Comment(26) | 全体へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月21日

ウリエルのいま(・ω・)

ごきげんよう (=´∀`)人(´∀`=)


このブログを書き始めて、もう6年も経過しているわけですね。いやあ、月日の経つのは早いもんです。

初めての大きな気づきがあって、それからしばらくして、このブログをテキトーなノリで始めてしまいました。そして、書いてみなさんと交流することによって、私ウリエルはどんどん自らの内の深い所に向き合えたようです。ここに立ち寄ってくださったみなさんには感謝しかありません。結局、このブログはウリエルのためにあったのです。


そして、6年たった今の境地を、とても言葉にするのは難しいのですが、ちょっと書いてみましょうか。

まず、恐ろしいくらいに「平穏」です。「平安」というのは、こういうことだったのかと思います。
最初の気づきがあって、しばらくの間も「平安」という感覚はありました。でも、そんなものいま思い返してみても、現在の「平安」とは比べものになりません。いまは常に恐ろしいくらいの「静寂」の中にいます。

「沈黙」です(´ー`)

苦悩も至福もありません。

こう言ってしまうと、なんだかとてもつまらない世界にいるように思われるかもしれませんが、そんなことはまったくないんですよ。
(´∀`)
上手く言えませんが、何もかもが面白いんです。何がどういうふうに面白いのかなんて理由はありません。ただ、何もかもが面白い。

風に揺れる葉っぱ、汚れた服、自動車の音、怒っている人……

何もかもが面白い。ケラケラ笑う面白さではないんですが、なんというか「おもろいなぁ……」と、つぶやいてしまうような面白さですね。

何もかもが面白いので、他人に気を遣うということがなくなりました。その人が機嫌を損ねても面白いからです。失敗や成功にも関心がなくなりました。どっちも面白いからです。もちろん不安や心配事もありません。どうなっても面白いんですから。「死」ですら面白そうです。


そして、ウリエルの世界から「苦悩する人」がいなくなりました。

テレビやネットの中には「苦悩する人」はたくさんいます。が、ウリエルが直に接する人たちに、「苦悩」を抱えている人が一人もいないんです。いるのかもしれない、というか、いないってのもおかしいんですが、本当にいないんです。
(・ω・)
ウリエルを非難したり、嫌ったり、いじめたりする人もいません。いないってのもおかしいんですが、本当にいないんです。
(・ω・)
気分が悪くなるようなお客さんにも滅多に会えず、会えると逆にうれしいくらいです。もちろん、ウリエルが嫌いになるような人にも会えません。みんな好きです。ウチの親父みたいに殴ってやりたいヤツもいますが、それも好きです。愛そうなんていちいち思わなくても、最初から好きです。
(´∀`)


将来のことを考えると、本来なら不安しかないはずなのですが、なぜか不安はこれっぽっちもないです。そんなことより、将来どうなるかわからないので、いま出来ることは、いまのうちにやっておかないとと強く思います。
将来どうなっても、そのときも「面白い」ということはわかってます。裕福でも貧乏でも、健康でも病気でも「面白い」んです。
ただ、貧乏や病気になってしまうと、または年老いてしまうと、出来ないこともあるので、いま出来ることはいまやっておかないとと思うのです。それから、いましたいことも、明日はしたくなくなるかもしれません。だから、いましておこうと思います。


感謝はしません。いっさいしません。しなくても勝手に湧いて来るからです。いちいち意識しなくてもいい。
というか、まったく感謝しているという自覚がないのに、勝手に感謝していると受け取られたりします。ラクチンです。本人はただ、好きなことを言い、好きなことをやってるだけなんだけどね。身体が勝手に感謝を表現してくれているのかな?
(´・ω・`)


「善いこと」もしようと思いません。したいことをするだけです。

他人と比べることもしなくなりました。というか、比べたくても比べられないんです。比べられないのが当たり前としか思えない。どうやって比べるのかわかりません。

欲しいモノは買います。買えないものは欲しくならないです。だから、お金を貯めようと思いません。したいことをしたり、欲しいモノを得るお金は常にまわってきます。うまく言えませんが、そういうものだとわかってしまったのです。だから、お金の心配もありません。ついでに言うと貧乏になっても「面白い」のですから、心配になりようがないです。お金は使いたいことに使います。使わないと意味のないものですから。


そして、うすぼんやりですが、

これ以上、奥がない

という感覚があります(´・ω・`)

これ以上の「静寂」、「沈黙」がない。

もちろん、この世界はどんどん動いていき、そして、この世界への自分の表現は無限に続くと思います。万物流転。この世界も自分自身もどんどん変化して行くでしょう。
でも、もう自分から先を見て何かすることはないと思います。率直に言うと、ただ『いま』を生きるだけです。『いま』したいことをするだけです。「こうあるべき」なんていっさいありません。というか、「こうあるべき」と思いたくても、無理してももう思えないんです。なんで昔はそんな無理なことにエネルギーを費やしていたのかと、おかしくなります。
(・ω・)


いまはただ毎日が、今日一日が、「面白い」です。それだけでじゅうぶんで、それ以外には何もありません。

ただ「沈黙」と、その中の「面白い」しかなくなってしまいました。

「沈黙」=「歓び」

です。そんな感覚で、ずっといます。
(´ー`)


「あなたの道をまっすぐにせよ」

イエスはそう言いました。なかなか本当の意味がわかりませんでした。
だけど、いまはわかります。長々と書いた上のようなこと、これが

「まっすぐ」

なんだなと。

ごきげんよう。


ホカイドーいろいろ(゚∀゚)!
十勝牧場
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@北海道音更町

三国峠
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@北海道上士幌町

ばんえい競馬(´∀`)
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@北海道帯広市
posted by 笑うウリエル at 00:01| Comment(47) | 閑話休題 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2020年10月14日

「苦しみ」という快楽 (´・ω・`)

ごきげんよう (・´ω`・)困ッタナァ…


この世の中の人間たちは、問題を作って苦しむのが大好きです。まるで、そうしないと生きていけないと思い込んでいるかのようです。いや、実際、そう思い込んでます。ハイ。
なんでそんなことをしてるんでしょう?

楽しいからです(`・ω・´)ビシッ

何が楽しいのかというと、どこかで、何かで、

「優越感」

を感じて満足している「私」 つまりはエゴがいるからです。

……(´-ω-`)


優越感を感じている「私」は人それぞれでいろんなタイプがあり、しかも巧妙に隠れていますので、よーく探してみないと見つけられません。だから、よくよく注意してみてくださいね。

嫉妬するとき、「私はアイツより偉大で素晴らしいのに!」という気持ちがないと、そもそも嫉妬が起こりません。まさに優越感。
周囲に不幸をアピールすることで、人々の注目を集めるという優越感もあったりしますね。「私は人々の注目に値する。存在価値があるのだ」と思って喜んでいる「私」がいる。
(´・ω・`)
愛する人を失った。悲しみと言うのは、感じ切ったら自然に消えます。でも「私はこんなにも愛していた。なんて立派なのだ」という優越感でいつまでも悲しめます。
「お金がない。明日が、将来が不安」と言いながら、やりくりや工夫をして日々をサバイバルしていることに優越感。「私ってがまん強くて賢い」と。
また社会の「形式美」に優越感なんかも感じてたりします。「円満な家庭」とか「定年まで勤めあげる」とかに。
「私はそこらのダメ人間ではない。立派な人だ!」
でも、そんな人は愛しているのは家族でも会社でもありません。世の中の「形式美」

てな感じに、いろいろありまする。どこにでも誰にでもありすぎて、人それぞれすぎて、とても例をあげきれません。

……(´-ω-`)


もし、あなたが今、不幸だと感じるなら、苦しいと思うなら、

「優越感」

を、感じて楽しんでいる「私」を見つけるとよいです。その優越感を捨てられないがために、あなたは苦しんでいるのですから。冷静に見ちゃうと、もう滑稽のコケコッコーで笑ってしまいます。

ブッダはこう言いました。

「人は『私はこういう人間だ』と自分で考えるその通りのものになります」

と。これは「金持ちだ」とか「幸福だ」と考えていたら、そうなると言っているのではありません。

手放せない優越感

の、通りになってるよ。と、言っているのですよ。
(´∀`)


でも、優越感を無理に手放す必要はありません。この優越感が「快楽」になっていることに気づいておけばいい。気づいていたら、次第に生き方、そして、この世界が変わって行きます。

そうやって人は次第に全体になって行くのです。

ごきげんにょー。


九州いろいろ(´∀`)
「米塚」@熊本県阿蘇市
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佐賀のエッフェル塔(笑)@佐賀県神埼市
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「志」だらけ!@鹿児島県志布志市
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posted by 笑うウリエル at 06:33| Comment(82) | このへんから | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする